高校、風紀委員の頃、そして今も理想を語る
昨日終業後、高校1年生の時一緒に風紀委員をした友人と、久し振りに一杯飲んだ。
彼が、4年前、米国へ赴任する前に飲んで以来だったが、高校時代以来、何かストイックに求める姿勢は変わらず、懐かしくも思った。高校時代、風紀委員で、100年後の校風を創る為にとか議論していた頃を想い出した。
私のやってる坐禅にも興味を示し、私は、禅の思想の魅力を語った。
彼は、意表を突いて、私に、漢字と英語のクイズのメモをくれた。 ひらがなを見て、その漢字と英語を書けと云う問題なのだ。せんえつ、(僭越、presumption)。 ぎまん、(欺瞞、deception)。 うずくまる、(蹲る、crouch,squat)。 など、難しい漢字の問題ばかり、漢字の次に、それをまた英語にすると云う知的挑戦ゲームに、唖然。彼の、変わらぬチャレンジ精神を垣間見るようで、内心可笑しかった。
私がすっかり止めてしまったゴルフに、彼は米国でそのゴルフの素晴らしさに気づいたことを、熱く語ってくれた。ビジネスには関係なく、安い料金($30くらい)で、見知らぬ人どうしが、ゴルフをしながら、人生の会話を楽しむって感じか。確かに、そんなゴルフは日本では、余り聞かない。 彼にとって、ゴルフは、私に於ける"旅"に匹敵する、心の安らぎでもあることがわかった。 また凝り性の彼は、かつて夢中になった剣道のように、ゴルフの技術を、極めつつある様子でもあった。 彼のゴルフへの熱っぽい思いを聴いていたら、私のゴルフへの印象がちょっと変わった気がした。
私が、日本の自殺者3万人の問題を改善することが、何なりと自分でやれないかと思っていることも話すと、彼は、どうしても耐えられない気持になるのは子供への虐待のことだと、顔が曇った。私も彼も、思いがけず、熱っぽく、また高校時代のような会話をしていた。
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