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August 31, 2011

高校、風紀委員の頃、そして今も理想を語る

昨日終業後、高校1年生の時一緒に風紀委員をした友人と、久し振りに一杯飲んだ。

彼が、4年前、米国へ赴任する前に飲んで以来だったが、高校時代以来、何かストイックに求める姿勢は変わらず、懐かしくも思った。高校時代、風紀委員で、100年後の校風を創る為にとか議論していた頃を想い出した。

私のやってる坐禅にも興味を示し、私は、禅の思想の魅力を語った。

彼は、意表を突いて、私に、漢字と英語のクイズのメモをくれた。 ひらがなを見て、その漢字と英語を書けと云う問題なのだ。せんえつ、(僭越、presumption)。 ぎまん、(欺瞞、deception)。 うずくまる、(蹲る、crouch,squat)。 など、難しい漢字の問題ばかり、漢字の次に、それをまた英語にすると云う知的挑戦ゲームに、唖然。彼の、変わらぬチャレンジ精神を垣間見るようで、内心可笑しかった。

私がすっかり止めてしまったゴルフに、彼は米国でそのゴルフの素晴らしさに気づいたことを、熱く語ってくれた。ビジネスには関係なく、安い料金($30くらい)で、見知らぬ人どうしが、ゴルフをしながら、人生の会話を楽しむって感じか。確かに、そんなゴルフは日本では、余り聞かない。 彼にとって、ゴルフは、私に於ける"旅"に匹敵する、心の安らぎでもあることがわかった。 また凝り性の彼は、かつて夢中になった剣道のように、ゴルフの技術を、極めつつある様子でもあった。 彼のゴルフへの熱っぽい思いを聴いていたら、私のゴルフへの印象がちょっと変わった気がした。

私が、日本の自殺者3万人の問題を改善することが、何なりと自分でやれないかと思っていることも話すと、彼は、どうしても耐えられない気持になるのは子供への虐待のことだと、顔が曇った。私も彼も、思いがけず、熱っぽく、また高校時代のような会話をしていた。

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August 30, 2011

50歳代の男性だったとのこと・・・、綱島駅人身事故8月29日早朝

昨日、通勤前にTVのテロップで、東横線の菊名・武蔵小杉間の運転中止を伝えていた。私は、いつもの白楽駅をあきらめて、JR東神奈川から京浜東北線で東京へ向かった。

会社へ着き、ニュースで、朝6時40分くらいに、綱島駅下りホームから飛び込み自殺があったとのこと。その後、50歳代の男性との報道だった。

7時35分運転再開まで、41本が運休、33千人に影響とニュースは伝えていた。

私が、坐禅の会に通う慣れ親しんだ綱島駅のホーム。住職と一緒に電車に乗ったり、降りたりする場所。己の仏性に気づかず、絶望の淵に沈んで逝く人のことを想った。

年間3万人を越える日本の自殺者は、東北大震災の死者・行方不明の約2万人をはるかに越える規模。その人だけにしか見えない精神的な津波が、人知れず、3万人もの人を押し流している。

地獄も天国も、同じ場所にあることに気づく。己の仏性を信じて、私は地獄でも生きる。

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August 29, 2011

主張の度合い、自己から遠ざかる度合いが、修行の度合い

「自分が主張しなければ、世界は整っていることに気づく。」

住職は、15歳から修行して来て、以来約50年。徐々に世界が違って見えて来たことを述懐された。

子供であるほど、自己の存在を主張するもの。修行とは、自己の主張を薄め、宇宙と一体化して行くようなものと私は感じる。"自己から如何に遠ざかれるか"が、修行の度合い。

住職の言葉は続いた。「誕生・維持・破壊」、「開と合」、「陰と陽」、「種子と樹木」、全ては一体のもの、セットのもの。

種子は原因、微妙、繊細なもの。 樹木は結果、粗雑なもの。

始まりと終わりは類似している。

破壊とは、原因に返って行くこと。死とは、原因に復帰すること。別の形式になっただけ。

生まれ代わり、死に代わり、繰り返される宇宙の営み。まどかなること大虚の如し。

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August 28, 2011

作務(さむ)、そして伊東の海、坐禅から帰る日

坐禅合宿の最後の日は、朝、作務(さむ)と云う、清掃などの作業を行う。

ただ、黙々と、没頭して、作業するのも、禅。

歌うも舞うも法(のり)の声。行くも帰るも余所ならず。など、好きな言葉を想い出す。

伊東駅で昼、解散の後、私は、伊東の海を見に海岸へ行こうと想う。海が見える旅館で日帰り入浴でもして帰りたいと想う。

ー8月26日、朝の記ー

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August 27, 2011

人生劇場、黒田節、

住職のお経を唱える時の声は、その修業の故か、丹田からでる凄い、力強い声、響きだといつも思って聴いているが、先日、懇親会で、住職にカラオケを歌って貰う機会があった。

聴きなれた「人生劇場」、「黒田節」が、こんなに、深さを感じさせる歌だったのかと、あらためて感じた。

私も、修行を積んで、あのように、「人生劇場」、「黒田節」を歌ってみたいと憧れた。

そのとき、私が歌ったのは、「街の灯り」、「吉田松陰」。

ー8月26日、朝の記ー

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August 26, 2011

今日から伊豆・天城山へ坐禅合宿

今日、午後から2泊3日で、伊豆・天城山へ坐禅合宿へ出掛ける。この数年、私にとって、毎年恒例の行事になった。

早朝4時、天城山中に、まだ真っ暗なうちから起き出し、虫の声、小鳥の声、日の出の光り。

ただ座る私。生きてもいない、死んでもいない。 そんな静寂の世界。

「自他一如」を、体感できればと想う。

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August 25, 2011

ベランダの蝉の死骸、

昨日の朝、私の部屋のベランダにアブラ蝉の死骸を見付けた。拾い上げて、しげしげと眺めて、そっと、そのままベランダの隅に飾っておいた。この蝉は、私が蝉好きなことを知って、私の部屋のベランダに、死に場所を見付けてくれたのではないかと、愛着を感じた。

夏も終わりに近付き、通勤途上にも、道路で、蝉が、大の字に仰向けに、死んでいる姿をよく見かける。

その姿を見ると、私は、拾い上げて、近くの茂みに置くようにしている。通りかかる車のタイヤにつぶされたり、蟻のエサになるのが忍びない。

それでも、蝉の死に方に、いつも感心させられる。余りにも、堂々と、あっけらかんと仰向けに道路に落ちて死ぬ姿に。目立つような場所に死んで、寧ろ、蟻のエサにでもなって好いと思っているかのように。

蝉の声が、夏の終わりを告げるように鳴いているこの頃、感慨に耽る。

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August 24, 2011

「イチローを創った、魔法の言葉」

昨日、昼休み何気なく入った神谷町の書店で、偶然、手にした本、「イチローを創った魔法の言葉」と云う本に、いきなり衝撃。

「苦境は敵ではない。厳しい友である」、「困難を越えるのは"金"、困難に挑むのは"銀"」、「最後は、計算しつくされた"カン"に全て委ねる」、「人事を尽くして、"尽くして、尽くしてから"天命を待つ」、

「つまらないことを楽しめたら、もう楽しいことしかない」、「プレッシャーは心のダンベル」、「最強のサポーターは、鏡の中にいた」、などの言葉がちりばめられていた。

「最強のサポーターは鏡の中にいた」と云う言葉は、ハッと気づかされ、泣けて来た。私は、テレくさくて、鏡で、自分の顔をよく見たことはない。。確かに、鏡の中に私の、両親がいる。そうだ、確かに、鏡の中に、私の最強の応援者がいたのだ。

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August 23, 2011

あっと云う間に過ぎない時間、

8月は、長岡の花火に始まり、地元の夏祭り、お盆の九州帰省、そして月末の伊豆・天城の坐禅で終わる。

私には、ひと月でも、長く、ながーく感じる。あっと云う間に過ぎない時間に感謝する。

それぞれの出来事に残映が残り、時折、余韻に浸る。

色々な縁に触れ、日々生きてる実感を確かめる。

心穏かになる縁もあれば、心乱れる縁もある。それでも、内面の教師が、その風景を解説してくれる。

両親がくれた時間。神がくれた時間。

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August 22, 2011

「満洲のバカヤロー」の叫び、

昨日は、雑学大学で、学徒出陣の元航空通信兵(朝鮮・平壌で終戦)の山崎弁さんの「一人ぼっちの逃亡兵」の講演を聴いた。

8月15日終戦後の、満洲に於ける日本人の悲惨な状況を、彼が見た目で語ってくれた。満洲・延吉の捕虜収容所体験の頃、延吉で、14、15歳の満蒙開拓団の少年達の沢山の死体を埋葬した様子が、切なかった。

満洲奥地から引き揚げて来る日本人の、乞食同然のボロボロの様子。

南下するロシア軍に、果敢に特攻攻撃に出撃した戦闘機に、新妻を遺して死ぬのが忍びなく新妻を特攻機に乗せて突撃して逝った人もいたことを知った。

1946年、コロ島から、引き揚げ船に乗る時、船に翻る日の丸を見た時の感動。

そして、山崎さんは、引き揚げ船が出航する時、船から陸に向かって、「満洲のバカヤロー」と叫んだとのこと。大勢の人も、泣きながら、満洲のバカヤローと叫んだことだろう。

歴史に翻弄されること、人間の業のこと、様々な人生の過酷さへの想いが、私の頭に去来する。そして、その様な体験をした両親の魂を受け継いで、私は、今日も生きる。

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August 21, 2011

良寛和尚、災難をのがるる妙法

「災難に逢時節には 災難に逢がよく候 死ぬ時節には 死ぬがよく候 是はこれ災難をのが るる妙法にて候」 良寛和尚 。

お盆に仙台の被災地の海岸で、慰霊のお経をあげて来られた住職と坐禅会の9人の一行が、13日の夜7時のNHKニュースの冒頭に、その映像が流れたと云う。海岸で、黄色の袈裟を纏った住職の写真も見た。NHKの取材は、偶然の遭遇だったという。

住職の言葉に、被災された方も、心が楽になり泣き出す方もおられたと聴いた。

昨日、「ハイ」と云って、己の運命にしたがう、良寛和尚の修業の果てに到達された言葉を、あらためて住職から聴き、清らかな気持になった。

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August 20, 2011

蘇る人生、「この世へ舞い戻って来たら・・・」

「もし、この世に舞い戻って来たら」、それが今と思えば、生き方が変わる。

既に私は死んでいる。物理的には、今の私の60兆の細胞は生まれた時から、全て入れ替わってしまっている。私は別人。

子供の頃の自分の写真、20歳の頃の自分の写真を見ると、確かに、心も身体も入れ替わっているようにも思う。

私は、この世に、今、再度の時間を与えられ、舞い戻って来ているのだと思う。

前世の余韻を、楽しむように、周りを見れば好い。未熟でも、真剣に生きたシーンなら、感慨も深い。

この世に舞い戻って来たのなら、人生への想いも、一日の行動も変わって来る。

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August 19, 2011

ゆるやかな流れに身を任せて、

何かを、必死に求めるでもなく、ただ淡々と、日常の出来事に身を任せて生きると云うのも悪くない。

喫茶喫飯。お茶が出たらお茶を飲み、ご飯が出たらご飯を食べる。

太陽と共に目覚め、夕日と共に休む。

虫も、動物も、鳥も、そうして生きているように、私も生きていると思えば、私は自然界に溶け込んで行く。

時折、感動したり、悲嘆にくれたりする時、それは、自然界に於いては、嵐の到来。津波の到来のようなもの。それを、幾度となく、乗越えて来た人生。

だからこそ、淡々と生きることも、穏かな休息であり、人生の安らぎ。禅で、「生きてもいない、死んでもいない」と云う永遠性は、この淡々と生きる日常の中にあるのではと想う。

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August 18, 2011

誰かの誕生日も、誰かの命日でもある。喜びと哀しみの同居。

誰かの誕生日の日も、誰かの命日でもある。誰かの命日も、誰かの誕生日でもある。喜びと哀しみの同居。

私が持つことは、誰かが持たないこと。私が持たないことは、誰かが持つこと。私が譲ってあげれば好いと思う。

私が、苦しい時、誰かが救われているなら、それで好いではないかと思う。苦しみ甲斐があるとさえ思う。

そんな気持が芽生えて来たのは、ごく最近のことのように思う。

九州への帰省の時、弟が実家にあった古い写真を見せてくれた。私が6歳の時の写真、私が22歳の時の写真。共に、別人のようであった。心の中は、確かに別人だったと思う。人生が、世界が確かに自分中心であった時代。

しげしげと、セピア色の、昔の私の写真を眺める。


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August 17, 2011

幸福度向上の5つの行動、

昨日、夕食に入ったレストランに置いてあった雑誌に、英国の統計学者ニック・マークスの幸せの尺度となる行動について書いてあった。

Connect : 他者と繋がっていること

Active: 行動的であること

Take Notice : 他者を気に留めること

Keep Learning : 学び続けること

Give : 与えること

確かに、と思いながら読んだ。哀しみは慈悲を生み、喜びは勇気を生む。

私は、哀しみの人であり、そして喜びの人でありたい。

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August 16, 2011

館山上空の励ましの声

昨日朝、福岡からのフライトで、羽田着陸15分前、座席前のモニターの画面に房総半島の地図が出た時、私は、館山の文字に、住職のことを想った。能忍寺から見た館山の海、布良の海を想った。

羽田まで103キロメートル、地上5500メートル、時速700キロメートル、外気温度マイナス3℃、JAL302便は、09:20大島の南を回り込んで、相模湾を越え、館山の南の上空を越え羽田へ近付く。

館山の文字を見ると、「先生!」と、心の中で叫びたくなる。館山と云う文字だけで救われたような気持になれる。

先生は、朝日でもあり、夕日でもある。

先生のいる館山の上空で、私は、叱咤激励されているような気持になった。今日から、また頑張ろうと思った。

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August 15, 2011

柴田トヨさんの詩集のみやげ、帰省の終わりの日、

今回の帰省の帰りに、姉から、読み終わったからと、柴田トヨさんの詩集を貰った。あと書に書いてあったことが、私の感情を、揺さぶった。

「一人暮らしの私の家にはヘルパーさんが週6日、64歳になる一人息子の健一が週1回来てくれますが、正直云えば、ヘルパーさんや倅(せがれ)が帰る時は、悲しくなります。特に健一が帰る時間が近づくと気分が塞ぎ、無口になってしまいます。」

大学時代以来、父母の生前、年に一度か二度の帰省の度に、していただろう、母の想い、父の想い。今は、姉もそんな想いで私を見ているかも知れない。

「でも、私は、その度に歯を食い縛り自分を、叩いて叩いて自分に云いきかせます。"くじけるな、頑張れ、頑張れ"って」、とトヨさんの文章は続いていた。

帰省からまた東京へ帰る時、私が、家の前のバス停からバスに乗り込み、バスの後ろの窓から見た、電信柱のかげで両親が手を振る姿を想い出す。

一昨日朝、コンビニの書籍棚で偶然見付けた「はじめての禅」と云う小冊子に、般若心経が解説されていた。

今日は、住職も東北から東京へ帰って来られる日。静かな、住職の禅の姿を想い出す。全てが修業。人生はどんなことがあっても素晴らしい。ピリッとした想いで東京への帰路につく。

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August 14, 2011

クマゼミ、墓参り、同窓会、高校生の私

昨日は、昼、故郷で久し振りにクマゼミを手にした。道路のそばに、弱って落ちていた。黒い縁どりの透明の羽、オレンジ色の腹、力強い鳴き声、主に高い木にいて、朝だけ鳴く、子供の頃の憧れの蝉だった。手の平にのせるだけで、子供時代に感じた蝉取りの達成感が甦る。

午前中は、弟・姉と両親の墓参り。帰省の度の恒例行事。供えものに、いつも父の好物だったマルボーロ(菓子)。

夜は、三池高校の大同窓会参加。高校2年生の春、病気で留年した私は、2学年に同窓がいて、ちょっと中途半端な高校時代だったが、今では、幅広い同窓に、友人知人の輪が広がり好かったとも思う。

お互いに顔を会わせて、すぐわかる人、わからずしまいの人、友人達の消息、友人の人生の話など、色々な小さな驚きに溢れていた。昔、校舎で、何となく見慣れた友人達の顔々に、遠く忘れていた自分と再会するような思いだった。どんな、自分だったんだろうと思う。くすぐったいような、恥ずかしいような、案外まともだったような、そんな自分を今更ながら観察する。

故郷への旅は、私の原点への旅。日常を、ちょっとリセット。明日、早朝のフライトで、今の私に戻る。

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August 13, 2011

寂しさの果てを描く、高島野十郎の禅の世界、

昨日、石橋美術館にあった、「野十郎からの手紙」と云う栞に、野十郎にの気持になって書かれた手紙に惹かれた。

「私は進んで、世捨て人になろうとしました。人間どうしのつき合いや世の中の常識など一切をかなぐり捨て、自然をありのままに、好きも嫌いも美も醜も一緒くたに見ようとしました。私にとって、それが絵描きである為の条件だったのです。私の絵を見て、他人はまるで写真のようだと声をあげます。けれど絵には、私の一筆、一筆が重ねられています。そして一筆一筆には、絵の具だけでなく、私の孤独もまた塗り重ねられているのです。」

そして、野十郎自身の言葉の記録には、禅の世界が、はっきりと刻まれていたことを発見した。「花ひとつを、砂ひと粒を、人間と同物に見ること、神を見ること、・・・月ではなく闇を描く、闇を描く為に月を描く、・・・・・全宇宙を一握する、これ写実、全宇宙をひと口に飲む、これ写実。」

野十郎は、絵の世界から禅の境地に入った画家であったのだ。

快晴の暑い夏の日、石橋美術館の庭園の花々の耀き、池の涼しい景観、割れんばかりのクマゼミの鳴き声、絵画の巨匠との再会の日だった。

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August 12, 2011

羽田空港、福岡空港、山鹿温泉、高島野十郎、青木繁など

昨日夜のフライトで、福岡へ入った。昨夜は、博多のビジネスホテルに泊まり、朝、久留米・石橋美術館に立ち寄り、その後、故郷・大牟田へ。

羽田空港、何度も帰省の度に訪れる場所、色々な変遷を想う。空港も、私も。

福岡空港に降り立つと、条件反射で、父母の顔が浮かんで来る。娘が幼児だった頃、帰省した時のことも。

今朝、ホテルのTVでは、山鹿の燈籠祭りの特集の宣伝をしていた。山鹿は、近い温泉なのに、私は数年前に、一度だけしか行ったことがない。古い大衆劇場のある、山間の温泉の町。余りの素晴らしさに、驚いた。父が、大好きだった温泉の意味が、その時、やっとわかった気がした。

開催中の石橋美術館の高島野十郎展は野十郎の"里帰り展"、久留米は青木繁の故郷でもある。私の大好きな、二人の画家は、久留米出身。

故郷の味わいに、心が、「帰って来たよ」とつぶやく。

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August 11, 2011

九州、三池高校の大同窓会への旅、

今日、夜のフライトで福岡へ帰省する。

久留米・石橋美術館に開催中の高島野十郎展を見に行ったり、三池高校の大同窓会に出たり、姉や弟家族と会ったり、15日(月)の朝のフライトで返って来る予定。

高島野十郎の絵は、何枚もの蝋燭の絵に心惹かれる。蝋燭の炎は、喜びと哀しみのミックスした、やわらかな、生命の耀き。

13日のガーデンホテルでの三池高校の大同窓会には、学年幹事の年で、同学年が約70人も集うらしい。まさに、「高校3年生♪」の歌が蘇る。「君達がいて、僕がいた♪」も。

帰りには、柳川の水郷にも立ち寄りたい。そんな希望を、持ちながら今朝は旅支度。

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August 10, 2011

「ハンカチ・チリ紙持ったか」、父の口癖の想い出

「ハンカチ・チリ紙持ったか」、いつも外出する子供達に、父が、からかうように云っていた言葉。ニヤニヤしながら、云っていた父の表情までも、克明に想い出す。

子供達は、「わかっとる、わかっとる」と、寧ろ、その言葉を、うるさく感じ、軽くあしらう。

それでも、毎回、毎回、父は、そう云う機会を楽しむかのように、ニヤニヤしながら、子供達に云う。

それは、子供達との会話の楽しさや、幸せの表現だったんだなと、今は想う。

「ハンカチ・チリ紙持ったか」、今は、私が、ニヤニヤしながら、亡き父をからかう、愛情の言葉。

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August 09, 2011

死ぬ私、死なない私の同居

人間の死とは、五感六識(顕在意識)の崩壊、即ち肉体の崩壊を云う。眼・耳・鼻・舌・身の五感と心(六識)は滅する。

しかし、人間の持つ潜在意識たる七識(執着心)、八識(太古からの印象気分の総合計)は五感六識の崩壊後もビクともしないと、住職に教えて貰った。

人は死しても、この七識、八識、を手慣づけなくては、苦しみからの解放は無い。寧ろ、執着心の果てに死ねば、制御の効かない地獄の苦しみの渦潮に撒き込まれ、宇宙に漂い、次の生命(人間とは限らない)を得て苦しみは続く。

生きている間には、意思の力で、五感六識の制御、七識八識への働きかけも出来る。それが修業の意味。生きている間こそ、人間の持つ意思力で、強力な執着心(煩悩)とも戦える。

執着(煩悩)は波。波の底には、穏かな単一の大海(自他一如)の世界がある。人は、その大海を、仏性とか、神とか、アートマンとか呼び、その存在を感じている。

肉体や心の死は部分的な死。永遠に続く第七識・第八識が、どんなものなのか、その七識・八識の視点で、自己分析をし、周りの人を見ると、新たな人間観が生まれて来る。死ぬ私と、死なない私が同居している。

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August 08, 2011

夏祭りの日、穏かな夏の日、

昨日は、町内の夏祭り、夕方から模擬店を手伝った。とうもろこしの皮剥きから始まり、今年は「かき氷屋」さんを手伝った。

小学2年生の女の子2人が、「何か手伝うことありませんか?」と言葉使いが正式で、一緒にとうもろこしの皮を剥いたり、かき氷のシロップのビンを補給してくれたり、可愛かった。

模擬店は、子供連れの近所の人達で賑わい、焼き鳥、フランクフルト、フライドポテト、わたあめ、かき氷など、50円や100円のものばかりだが、全体で約20万円も売り上げたと云う。

途中、私の故郷の炭鉱節がかかった時、ちょっと持ち場を離れて、盆踊の輪にも加わった。子供の頃から慣れ親しんだ炭鉱節。私は、炭鉱節は、不思議なくらい、スムーズに踊れることに、改めて気づいた。

8時半くらいには、雨も多少降り始めたから、若干祭りも早目に切り上げ、会場のあとかたずけをして、町内会のスタッフで打ち上げのビールを飲んで帰った。

朝は、綱島小学校へ気功をしに行った時、道の木立で、蝉が小鳥に追い掛けられてる光景を見た。そして蝉が逃げ失せる姿を見てほっとした。そんな、夏の穏かな一日だった。

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August 07, 2011

自分が自分を照らす、

私が、内へ向かう時、「私が」と云う想いが消え、「それは何者か?」との疑問が湧いて来ると云う。

そして、行きつくところ、天地自然界は一つの生命であることに気づく。それは、自分が自分を救済するようなもの。もう、そこには他者は要らない。

「自分が自分に打ち向かう為の方便が、教会であり、寺であり、仏像でもある」、との住職の言葉に、自己究明の気概に圧倒される。

「自分が自分を照らす」 、小さな、荘厳なる気づき。

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August 06, 2011

遺書を書いて行く旅、住職の旅、

今度、お盆の頃、被災地の東北へ慰霊訪問をされる住職に同行する有志数名の人達へ、その心構えを、昨日住職が話された。今回、亡くなられた方々への供養、遺族の方々の心のケアなどの活動を、現地の方と連絡を取り合って、行かれることになった。

般若信教を覚えて行くこと、遺書を書いて行くこと、津波が来ても逃げない覚悟で坐禅をすること、私語は慎むこと。など、私は、その覚悟に、全てが思いもよらないことに驚いた。

私は、今回、お盆の頃は、九州への帰省で、住職の慰霊訪問へは、同行できないが、今回の旅に同行できなかった縁を想った。私の修行の、道のりの遠さを想った。

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August 05, 2011

新潟散策、横越村・北方博物館の懐かしさ、

せっかくの長岡への旅だったから、昨日は横浜への帰りに再度、新潟まで足を伸ばして、昔住んだ新潟の町を、散策して、最終の新幹線で横浜へ帰って来た。

新潟市郊外の阿賀野川沿いの横越村、豪農の館、北方博物館へも、約30年振りくらいで訪れた。若い頃見た光景とはまた、全然違って、周りの自然の風景も含めて、今回は落ちついて、その趣きをじっくり見れた気がした。その田舎の光景は、私が、子供時代に母と歩いた、福岡・瀬高の川沿いの田園風景とそっくりに想えた。

人は、その時、その時、情景を違って見ているんだなーとつくづく思った。若い頃は、余裕が無いのか、他のことに気を取られているのか、余り、深く見ていなかったように思う。

新潟では、市内の巡回遊覧バスで、市内を廻った。日本海を見下ろす、護国神社の前の掲示に、昭和52年11月15日、当時の拉致被害者・横田めぐみさんのことが書いてあった。改めて、この場所だったのかと、胸が痛んだ。

夜は、昔、新潟の工場で私が勤務した時代、当時私が人事部門で地元高校から採用した後輩2人と、駅前の居酒屋で、21:30の最終新幹線まで、懇親会を楽しんだ。

8月2日午後から昨日夜までの短い時間なのに、想い出が一杯の旅に、長~い、長~い時間が経ったように想う。

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August 04, 2011

長岡の空に、フェニックス(不死鳥)が舞う、長岡花火

昨日は、長岡でのパソコンの会のイヴェントでFacebookに就いて学んだ。そして夜は、長岡の大花火大会を初めて見る機会を得た。

信濃川の河川敷に、長岡の人口(約25万人)の倍、42万人の人出とも云われるほどの壮大なスケールの花火は、花火の芸術を、これでもかと云うほどに見せてくれた。直径90センチ、300kgの大三尺玉も長岡の空に舞った。長岡出身の山本五十六長官の真珠湾攻撃の縁で、ホノルル市長も平和友好の為、この長岡の花火を見に来て挨拶をしていた。

ナイヤガラ、フェニックスなど、これだけのスケールの花火は、見た事はなかった。

長岡の花火は太平洋戦争の時の、長岡空襲の犠牲者を慰霊する為に始まった鎮魂の行事だったと云う。

今回の東日本震災の犠牲の方々の遺族から愛する亡くなった方々へのメッセージを添えて、花火が始まった。空一杯に広がる花火は、寧ろ、生きてる私を、励ましてくれているようで、母や父の顔も空に浮かんで来て、泣けた。

会場から旅館へ帰る、すごい人混みを歩きながら、これが、有名な長岡の花火だったのかと、初めて、すごい花火を見たことを思った。これも、私の人生の1ページ。

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August 03, 2011

佐渡への里帰りのような旅、

昨日、午後から休暇を取り、新潟佐渡へ来た。夕方18:00のジェットフォイルで新潟から約1時間で佐渡・両津へ着いた。夕日に向かって日本海を西に向かった。まさに、空と海の景色に、圧倒された。

佐渡は、私が9年前、会社を辞める決心をした想い出の旅の場所。あの時の、山や海が私を迎えてくれた。私の人生の節目になった旅を想いだす。

4時半頃、夜明けと共に目が醒め、朝5時に入浴。6時頃、佐渡の海を見下ろす丘の上の旅館の周りを散歩した。加茂湖と云う湖も、海と一緒に眺望できる両津港近くの宿。水田の香りや、虫の声、トンボ、蝶、木々には蜘蛛の巣、海に浮かぶ船々。

今日は、長岡で開催されるパソコンの会のイヴェントに参加する。今日も、新たな小さな驚きが、私を迎える。私の人生の旅。私の命への感謝、両親への感謝、神への感謝。

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August 02, 2011

空と海、「空海」

先日、TVで「空海」を紹介する番組予告で、四国の空と海を映し、「空海」は、何故この"空と海"を己の名前としたのか、とナレーションが続き、私に、ハッと衝撃が走った。

空と海、何と云う素晴らしい名かと。

「空海」は、怒りの仏像を、初めて日本に紹介したと云う。

"怒りながら、慈悲の心を持ち合わせた仏像"を、「空海」は、求めたと云う。

空と海、人を、厳しく、優しく、導く空と海。

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August 01, 2011

町内会の夏祭り準備作業の心地よさ、

昨日は、私の例年この時期の恒例行事、町内会の夏祭りの準備作業に汗を流した。いつも覚悟して、町内会のみんなと肉体労働。公園に盆踊りのやぐら建て、屋台のテント張り、提灯飾り、神輿の準備、などなど。多少、きつくても、それは心地よい労働。

昨日も、町内の名物の70代後半の棟梁(とび職)に、「何、ボーっとつ立ってるんだ!」とか、どやされたり。この棟梁の声を聞くと、また夏が来たなー、祭りが来たなーと思う。

作業が終わって、昼食の時、この棟梁と、ゆっくり話せて愉しかった。棟梁は、18歳で東北の田舎の地主の家に奉公に出された時のこと、若い頃、酒飲んで、雪に埋もれて死にかけたことなども、私に色々教えてくれた。

祭りの本番は8月7日夜、私は、例年フランクフルト屋さんや、わたあめ屋さんになる。ちっちゃな子供達が浴衣姿で公園に来るのを見るのが愉しい。私も、みんなと盆踊りを、少し踊る。

祭りは人を繋げると思う。 夏には、大好きな蝉も鳴く。 私は、内心、静かに、こんな夏の情景の趣きに酔う。

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