驚嘆の禅、手の平の上の無限
ただ、何も考えずに壁に向かって座る曹洞禅は、高級過ぎて初心者には居眠り禅になる恐れがあると云う。ぼんやりした禅は、何万年やっても、ものにはならぬ。
そこに、便法として考案を用いた考える禅、血眼になってやる臨済禅がある。
そして、何かを望む禅は「餓鬼禅」、問題を解決を求める禅は「修羅禅」と云う、と住職の言葉は続く。
手の平の上の無限、今が無限、ここが無限。
阿僧祇(あそうぎ)とは、一里四方の岩を、百年に一度、空から天女が降りて来て、衣で岩を撫で、そしてその岩が磨耗して無くなるほどの年月、途轍もない年月のことを云う。よくお経に出て来る三阿僧祇とは、それが三つ集まったもの。
禅は、その阿僧祇を手の平の上で、転がして遊ぶ。
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