禅の心で見たロンドン
今回のロンドン出張で見たのは、英国の輝かしい歴史や華やかな面ばかりではなかった。禅の心で、見たものは、4人の乞食のことだった。
地下鉄のホームそばの通路に座った中年の男性の乞食は、顔にもひどい火傷を負った、片方の手は手首から欠損している人だった。その乞食に、決して裕福そうではない南欧系の中年の女性が、一度そばを立ち去って、再び近くへ引き返して来て、涙を潤ませ、10ポンド(1500円内外)紙幣か5ポンド紙幣を手渡していた。その光景を見て、私は、禅のことを思い出した。住職から聴いた「自他一如」が、脳裏に強烈によみがえって来た。
別の日、一人、オープンカフェで通りを見ながら、ワインと食事を楽しんでいたら、そんなに身なりはひどくない白人の初老の男性が、一つ一つのテーブルに近づいて、手を出してお金を乞うて来た。若い数人の女性客のグループは、サラッとあしらいお金を渡すそぶりはない。乞う方も、わかったことのように、ふらふらとテーブルを離れて行く。私は、その、乞食の勇気に圧倒され、1ポンド硬貨(150円内外)を渡した。
ハイドパークの入り口付近のベンチに、毛布を包んで一日中座りこんでいた中年黒人男性。観光バスや、観光の人々が行き交う中、彼の人生のことを、あれこれ想像した。そばの地下鉄マーブルアーチ駅の地上入り口付近で、座って物乞いしていた中年の白人女性。1ポンド(150円内外)硬貨を渡すと、優しい女性の表情が返って来た。私は、何故か驚いて早足で立ち去った。
街頭にはRoyal Weddingの華やかな記事の雑誌が並び、開催中のRoyal Ascot競馬の華やかな富裕層のファッションがTVで報道されていた。オクスフォードストリートには、買物客が大勢往来していた。
私が見ている世界は、これら全ては、私自身なのだ、私自身の人生への気づきなのだと思った。神は何かを伝えようとしている。「一即一切、一切即一」を心の中で唱える。
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