感謝は煩悩と戦う究極の兵器、唯識からの気づき
人間が、太古の生命誕生以来、五感で感じたものは全て、直接第八識(アーラヤ識)と云う大きな倉庫に全て貯えられて行くと云う。それが、種子として生育し、潜在意識として、その人の行為を司って行くと云う。
だから、日々人間が五感で何を感じて生きているかが、その人の行為を決め、その後の人生を、運命を決めているとも云える。
その時に(五感で感じた)清浄な種子に肥料を与えることが修業、邪悪な種子には水を与えず肥料を与えず自然消滅させるのが意思の力による修業。(住職は、「相手にせず、邪魔にもせず、ただ自然消滅させよ」と説かれる)
貪り、怒り、愚痴(三毒)など、邪悪な種子は放っておくと、強力な煩悩となり、人間を悩ませ、苦しませ、苛ませる。その煩悩に対抗する、究極の兵器は"感謝"。
「唯識を学ぶ意味は、感謝を学ぶことと見付けたり。」
外界は全て、内面の自分の心が決めている(唯識)と云うことを学ぶ、その行き着く先に目指すものは、煩悩からの解放、煩悩の厚い雲を取り除いた内奥にある仏性の解放があるのだと私は思う。
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