英国国王のスピーチ、吃音と皇族、障害への気づき
以前、「英国国王のスピーチ」でという、国王が吃音(どもり)で苦しむ映画を見た。英国では高貴なクラスに、どもる人が多いと云う。確かに、しゃべるのが極端に遅かったり、つっかえながらしゃべる人が貴族的なクラスの人に多いと思う。サウジのアブドラ国王もそう云われている。日本の昭和天皇も、確かに皇族には多いと思う。
皇族には、周りには、測り知れないストレスがあるのだろう。言語に障害を負うことは、本人にしかわからない辛さがある。どもりより、寧ろ、聾唖の方がよかったとさえ思うことがあると。
しかし、流暢に、これでもかこれでもかと表現をすることが、寧ろ、聞き手に薄っぺらに響くことも多い。寧ろ、どもりながら、朴訥と、一生懸命に話すことが相手の心を打つことも多い。表現力の障害が寧ろ、表現に奥行きや、広がり、深みを与える。映像の無いラジオの表現。映像の無い文学の表現など、表現のハンデは寧ろ、想像力のロマンが広がる。
人生も同じではないかと思う。人生の障害(失敗・苦難・不幸)があることで、寧ろ、神からのメッセージが聴きやすくなる。障害は、何か深い、深い、人生の気づき、暗示を与えてくれているような気がする。
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