夕日の詩、そして太陽の衣装直し
新潟市は日本海に沈む夕日鑑賞のスポットの宝庫だと云う。昔、新潟に住んだことのある私は、冬には荒れ狂う日本海、荒涼たる雪景色なども想い出す。夏には、佐渡も見える、穏かな海の果てに、沈む夕日は、さぞ美しかろうと、今は遠くにいて想う。
沈む夕日に心が惹かれるのは、誰しも、それぞれの意味を持っているのだと想う。私は若い頃、夕日は惜しむもの、寂しいものと想い、夕日の持つ深い意味など考えたことはなかった。
それでも、私の人生でずーっと、故郷の裏山で母と一緒に見た夕日は、今でも私を照らし続けている。銀色の朝日の耀きと、オレンジ色の夕照、共に人生を支えるエネルギーではないかと想う。
朝日は知の象徴。夕日は情の象徴かと想う。感傷に耽りながらも、沈む夕日に手を振って見送れば好い。
沈む夕日を惜しむ心が、その惜しむ心が、昇った朝日にまで返る時、それは執着を離れ、朝日であったことへの感謝に代わる。
私を導いて来た朝日、あんなに私を力強くしてくれた朝日が、ちょっと自宅に返るのが、夜と想えば好い。
夕日が、私に、「大変だったね。お疲れさま。また明日の朝来るから、ちょっと待っててね」と云って、沈んで行くと想えば、まるで太陽の衣装直しのようで、夕日の持つ哀しみは和らぐ。夕日を見送るのも、人生の深い味わいだと想う。
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