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June 30, 2011

夕日の詩、そして太陽の衣装直し

新潟市は日本海に沈む夕日鑑賞のスポットの宝庫だと云う。昔、新潟に住んだことのある私は、冬には荒れ狂う日本海、荒涼たる雪景色なども想い出す。夏には、佐渡も見える、穏かな海の果てに、沈む夕日は、さぞ美しかろうと、今は遠くにいて想う。

沈む夕日に心が惹かれるのは、誰しも、それぞれの意味を持っているのだと想う。私は若い頃、夕日は惜しむもの、寂しいものと想い、夕日の持つ深い意味など考えたことはなかった。

それでも、私の人生でずーっと、故郷の裏山で母と一緒に見た夕日は、今でも私を照らし続けている。銀色の朝日の耀きと、オレンジ色の夕照、共に人生を支えるエネルギーではないかと想う。

朝日は知の象徴。夕日は情の象徴かと想う。感傷に耽りながらも、沈む夕日に手を振って見送れば好い。

沈む夕日を惜しむ心が、その惜しむ心が、昇った朝日にまで返る時、それは執着を離れ、朝日であったことへの感謝に代わる。

私を導いて来た朝日、あんなに私を力強くしてくれた朝日が、ちょっと自宅に返るのが、夜と想えば好い。

夕日が、私に、「大変だったね。お疲れさま。また明日の朝来るから、ちょっと待っててね」と云って、沈んで行くと想えば、まるで太陽の衣装直しのようで、夕日の持つ哀しみは和らぐ。夕日を見送るのも、人生の深い味わいだと想う。


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June 29, 2011

夏の風、郷里の夏を想い出す

夏の風を感じる季節になった。

故郷の裏山の蝉の声。裏山の梨ばたけ。蝉採り竿を持った子供の私が裏山を駆け巡る。

ラジオ体操の音。朝顔の露。

暑くても好い。夏が廻って来たことが嬉しい。

私は、夏と戯れる。

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June 28, 2011

サラリーマンの持つ一面への気づき

昨日、会社帰りに、行き付けのジャズ喫茶に入ってジャズを聴いていたら、ちょっと酔った中年の男性が店に入って来て、ビールを飲みながら、店のママに話しかけて云っていた。

「この辺で、数千万の家を建てて、チマチマと、偉そうに生活しているサラリーマンの奴等、バカヤローどもが、俺は頭にくんだ。」、「みんな馬鹿ばっかり、」など、サラリーマンに敵意丸だし。

その人は、職が安定せず、社会と折り合いが悪く、人生に苦しんでいる人なのだろう。定職について、気楽そうに生活しているサラリーマンが、他人の苦しみも知らず、のうのうと生活してるようで、憎いのだろう。

私は、自分がネクタイをしめたまま、サラリーマンっぽい格好でジャズを聴いていたので、ちょっと緊張したが、かかわり合わず、黙って、嵐が収まるのを待った。

ただ、この様に、サラリーマンが憎まれていることを身近に知るのは、小さな驚きでもあった。気づかないうちに、人に憎まれていることもある。 怒り・愚痴など煩悩に苛まれ、精神を病める人にとっては、世界は全く違って、暗黒にも見えているかも知れない。

光りを、何とかして、光りをと思う。全ては私自身なのだから。

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June 27, 2011

「カブトムシ、地球を損なわずに歩く」

「カブトムシ、地球を損なわずに歩く」

「思えば、人間以外のどの生きものも、身ひとつの潔さで一生を終えるものだ」

俳人・宇多喜代子さんの句とのこと。6月18日、英国から帰国する機内で読んだ朝日新聞の天声人語の中にあった。

この句に刺激され、私は、「何も持たず、敬(うやま)われることもなく、蔑(さげす)まれることもなく、唯、淡々と生きるカブトムシ」と、自分の言葉で読み代えて試た。

いきとしいけるものへの賞賛。

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June 26, 2011

心の中の世界遺産、"こころ遺産"

小笠原諸島、平泉が世界遺産に登録されたニュースで、数年前、"こころ遺産"と云う言葉を聴いたことを想い出した。こころの中に残る世界遺産のような存在を写真や文章で整理しておく考えである。

私の人生の、"こころ遺産"には、大牟田の実家、長崎の京泊、三池高校、・・・・など登録するだろう。

世界遺産には普遍的価値が必要と云われる。私の人生全体を通して、普遍的価値がある場所、出来事を選んで認定してみる。

色々なことが、今では、"こころ遺産"として、人生を振りかえる"自分観光の名所"になれば、こころが楽になる。

"こころ遺産"認定委員会は、私だけ。アドバイザーは、私の仏性。

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June 25, 2011

感謝は煩悩と戦う究極の兵器、唯識からの気づき

人間が、太古の生命誕生以来、五感で感じたものは全て、直接第八識(アーラヤ識)と云う大きな倉庫に全て貯えられて行くと云う。それが、種子として生育し、潜在意識として、その人の行為を司って行くと云う。

だから、日々人間が五感で何を感じて生きているかが、その人の行為を決め、その後の人生を、運命を決めているとも云える。

その時に(五感で感じた)清浄な種子に肥料を与えることが修業、邪悪な種子には水を与えず肥料を与えず自然消滅させるのが意思の力による修業。(住職は、「相手にせず、邪魔にもせず、ただ自然消滅させよ」と説かれる)

貪り、怒り、愚痴(三毒)など、邪悪な種子は放っておくと、強力な煩悩となり、人間を悩ませ、苦しませ、苛ませる。その煩悩に対抗する、究極の兵器は"感謝"。

「唯識を学ぶ意味は、感謝を学ぶことと見付けたり。」

外界は全て、内面の自分の心が決めている(唯識)と云うことを学ぶ、その行き着く先に目指すものは、煩悩からの解放、煩悩の厚い雲を取り除いた内奥にある仏性の解放があるのだと私は思う。

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June 24, 2011

サッカーの試合、煩悩vs仏性の圧倒的に不利な戦い、

煩悩軍26人、仏性軍11人のサッカーの試合、圧倒的な煩悩軍優勢のサッカーの試合のようなものが、人間内面で繰り広げられています。(マンダラ手帳考案者、松村氏の昨日の講演)

煩悩の心の働きは、貪り、怒り、愚痴、など仏教で云う26種のそうそうたるメンバー。仏性軍は、信とか勤とか不害とか11種の弱々しいメンバー。 指令塔兼ゴールキーパーは、煩悩軍は、最強のアーラヤ識(太古からの貯蔵意識)。仏性軍のゴールキーパー兼指令塔は、第6識(思考意識)。

これでは、もう勝負はついてるようなもの。自分が生まれる前から蓄積された印象・気分が貯蔵された第8識(アーラヤ識)に導かれた数々の煩悩は、人の心の中を、縦横無尽に走り回る。

一方の第6識(思考意識)は、意識して善行を行う(八正道)ことががなければ、寧ろ、相手のアーラヤ識(第8識)に誘導されてしまう始末。

だから、人間は苦しみ、悩み、もがくのですとの説明。

全く、的確な比喩に、感服した。(講師は、「仏性」の代わりに、「良い心の働き」と云う言葉を使ってはいたが)

煩悩軍に負けない為のポイントは、「感謝の心のパワーが心を整え、煩悩軍に立ち向かえるのです」と。

経営コンサルタントの立場で、仏教を探求した方が、こんなことまで、云い始めるとは、私は、仏縁を感じざるをえなかった。

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June 23, 2011

エリザベス女王に私が謁見する写真の存在、

オバマ大統領の執務室でのオバマ大統領と私の写真。

エリザベス女王夫妻と私が並ぶ記念写真。

これらを、眺めれば、眺めるほど、我ながら、茶目っ気が可笑しくなる。

Madame Tussaudsと云うロンドンの蝋人形館での、出来事。

以前、私は、オーストラリア出張の時、スーパーマンになり、シドニー上空を飛ぶビデオを、作って貰って、親戚の子供達を驚かせて、喜んでいたことを想い出した。

ニュージランドのオークランドのタワーからバンジージャンプする写真も、合成で作って貰って、人に見せて喜んでいた。

今回は、オバマ大統領、エリザベス女王とのツーショット写真か。こんなことをするのも、父親譲りのひょんきん振りかと思い、自分のお笑い系煩悩に、苦笑する。大丈夫ですか・・・・と。

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June 22, 2011

英国国王のスピーチ、吃音と皇族、障害への気づき

以前、「英国国王のスピーチ」でという、国王が吃音(どもり)で苦しむ映画を見た。英国では高貴なクラスに、どもる人が多いと云う。確かに、しゃべるのが極端に遅かったり、つっかえながらしゃべる人が貴族的なクラスの人に多いと思う。サウジのアブドラ国王もそう云われている。日本の昭和天皇も、確かに皇族には多いと思う。

皇族には、周りには、測り知れないストレスがあるのだろう。言語に障害を負うことは、本人にしかわからない辛さがある。どもりより、寧ろ、聾唖の方がよかったとさえ思うことがあると。

しかし、流暢に、これでもかこれでもかと表現をすることが、寧ろ、聞き手に薄っぺらに響くことも多い。寧ろ、どもりながら、朴訥と、一生懸命に話すことが相手の心を打つことも多い。表現力の障害が寧ろ、表現に奥行きや、広がり、深みを与える。映像の無いラジオの表現。映像の無い文学の表現など、表現のハンデは寧ろ、想像力のロマンが広がる。

人生も同じではないかと思う。人生の障害(失敗・苦難・不幸)があることで、寧ろ、神からのメッセージが聴きやすくなる。障害は、何か深い、深い、人生の気づき、暗示を与えてくれているような気がする。


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June 21, 2011

禅の心で見たロンドン

今回のロンドン出張で見たのは、英国の輝かしい歴史や華やかな面ばかりではなかった。禅の心で、見たものは、4人の乞食のことだった。

地下鉄のホームそばの通路に座った中年の男性の乞食は、顔にもひどい火傷を負った、片方の手は手首から欠損している人だった。その乞食に、決して裕福そうではない南欧系の中年の女性が、一度そばを立ち去って、再び近くへ引き返して来て、涙を潤ませ、10ポンド(1500円内外)紙幣か5ポンド紙幣を手渡していた。その光景を見て、私は、禅のことを思い出した。住職から聴いた「自他一如」が、脳裏に強烈によみがえって来た。

別の日、一人、オープンカフェで通りを見ながら、ワインと食事を楽しんでいたら、そんなに身なりはひどくない白人の初老の男性が、一つ一つのテーブルに近づいて、手を出してお金を乞うて来た。若い数人の女性客のグループは、サラッとあしらいお金を渡すそぶりはない。乞う方も、わかったことのように、ふらふらとテーブルを離れて行く。私は、その、乞食の勇気に圧倒され、1ポンド硬貨(150円内外)を渡した。

ハイドパークの入り口付近のベンチに、毛布を包んで一日中座りこんでいた中年黒人男性。観光バスや、観光の人々が行き交う中、彼の人生のことを、あれこれ想像した。そばの地下鉄マーブルアーチ駅の地上入り口付近で、座って物乞いしていた中年の白人女性。1ポンド(150円内外)硬貨を渡すと、優しい女性の表情が返って来た。私は、何故か驚いて早足で立ち去った。

街頭にはRoyal Weddingの華やかな記事の雑誌が並び、開催中のRoyal Ascot競馬の華やかな富裕層のファッションがTVで報道されていた。オクスフォードストリートには、買物客が大勢往来していた。

私が見ている世界は、これら全ては、私自身なのだ、私自身の人生への気づきなのだと思った。神は何かを伝えようとしている。「一即一切、一切即一」を心の中で唱える。

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June 20, 2011

父の日に帰国、新たな日々が始まる

昨日、約12時間の長いフライトで、無事ロンドンから帰国した。11日から、一週間振りの日本。ちょっと今までと違って見える。今回は、壮大な大英博物館も初めて訪れることができ、新たな世界観の刺激を受けたような旅でもあった。

帰国した日(6/19)は父の日だったことを知ったのは、娘から、私へ食物のプレゼント。「アジの味醂干し、殻付き落花生、マルボーロ、葛湯。」

今まで、父の日と云っても、プレゼントは、貰ったことはなかった。私は魚の味醂干しが確かに好物、落花生も食べすぎに注意が必要なくらい、マルボーロ(菓子)は私の父が好物だったもので、いつも父の墓前に供えるもの、葛湯は私が、色んな人へ土産ものなどにもよく買う健康食品。一つ一つが、私のことをよく見ていてくれたことを感じさせてくれる品物だった。

娘に、代金は払うからと頼まれてロンドンで買って来た、化粧品・名刺入れは、代金はつい帳消しにしてしまった。

今朝は、味醂干しを食べて出勤。

昨日、機内で見た映画、コミック、「ガリバー旅行記」のような、別世界を旅して来たような不思議なことの数々を、想い出しながら、新たな人生が広がる。

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June 19, 2011

時空を越えて、と云う感覚

私は、最近、道を歩いている時に、これが今、昭和30年代だったらとか、考えると、スーッとその当時にタイムスリップしたような気持になれる。

風景によっては、何年前でも、何十年前でも、気持がスーッと、その当時の空気も感じることが出来る。

近所の高校のグラウンドで、高校生が野球の練習をしていると、「カーン」とボールの音がして、その音に、自分が高校時代に、グラウンドで聴いた音、そのものを想い出すことが出来、ほのぼのとすることもある。

早朝、新聞受けに新聞を取りに、玄関のドアを開けた瞬間に感じる、清々しい空気は、何十年も前、インドネシアに出張して泊めて貰ったゲストハウスで感じた、清々しい空気、木々の匂い、小鳥の声などを、想いださせてくれる。

結局、私は、時空を越えて、生きているのではないかとさえ想う。

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June 18, 2011

Rain in London , Departing day , .

It is raining toady in London. Temperature is arond 17 degree.

I think this trip reminded me of some precious learning which I have been unaware of for several years .

I admire the Zen philosophy .

God Bless You . from London .

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重たい荷物を運ぶ父の姿、

最近、私が愛飲しているミキプルーン20ビンが入った重たいダンボールの箱を、発送する為に、近所のコンビニまで歩いて運んでいたら、丁度帰宅途中の娘に道で偶然出会った。

家から近所のコンビニまでは歩いて10分はかかる距離。プルーン1ケース(20ビン)だと、結構汗だくで運ぶことになる。

「お父さん、何してるの」って感じで、娘は、私の汗だくの姿を見た。

偶然、こんなところを、娘が見てくれたことは、何故か、嬉しかった。私が、汗だくになってプルーンのダンボールの箱を運んでいるところを見てくれて、嬉しかった。

お父さんの、一つの姿として、娘の脳裏に刻まれたであろうことが、何故か、とても嬉しかった。

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June 17, 2011

Squirrel(Risu) in London, June 16

Today (June 16 Thurs) , I happened to be free from business 13;00-15;00 , I enjoyed visiting St James Park near Paulmall in London.

I was very much surprised to see cute squirrels(Risu) running around in the park .

Business was all right , satisfactory . I am pleased to be able to enjoy some observation(sightseeing) of London tomorrow afternoon .

Today , TV is broadcasting Royal Ascot Horse Race , 300 years UK historical big event which is famous for cerebrity gathering with fashionable outfits , elegant hats .

I will leave London 19;35 on June 18 for Japan to arrive on June 19 night.

Thanks & Best Wishes.




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犬8万、猫20万、年間処分された数

先日、横浜・大倉山記念館で開かれたアルゼンチン・ギターのコンサートに出掛けた時、会場で、配られていたパンフレットに、「犬8万4264、猫20万2228」と書いてあった。

平成20年度に処分された"いのち"の数とのこと。

動物を守る法律の制定を訴える内容であった。

所有者の判明しない犬猫の保管期間を、最短でも、「2週間以上」と定めること。「生後8週齢」以下の子犬・子猫の流通を禁止すること。など書かれていた。

生後8週齢などが問題になるほど、早すぎる親兄弟からの引き離しは、子犬・子猫にその後多大な影響を与えると云う。

知って下さい。僕達のこと。と、犬・猫の写真は訴えていた。

日頃、微笑ましく考えるペットについて、人間中心の暗黒時代に生きるペット達のことを想った。気づかなかったこと。衝撃的なこと。


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June 16, 2011

幼児と母との会話の瑞々しさ、駅のホームにて

先日、朝出勤時、幼稚園児の女の子が、駅のベンチで、母親に聞いていた。横に座っていた私も聞いて、密かに笑った。

「ママ、お鼻の穴が二つあるから、お薬を二つ飲むの?」と聞いている。

お母さんは一瞬当惑気味に、黙って、その後曰く、「それは関係ないのよ。」(鼻でクスリ飲む訳じゃないんだから。)と云うやり取りが、隣で聞いてて、噴出しそうになった。

穏かな、小春日よりの私の通勤風景であった。

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June 15, 2011

London , on June 15, 2011

My stay in London this time will be 8 days from June 11 to june 18.

Today is just a mid-point of my stay in London.

I feel I have been staying London for a month due to many small surprise around me .

I stay Radisson SAS Hotel near Hyde Park where I can enjoy a walk in the early morning before business .

I am enjoying open air cafeteria facing the street to see the life of London. I epecially got fascinated in Spanish restuarant in James Street .

I am going to visit British Museum for the first time before my departure on June 18(Sat).

Greeting from London. June 15 (Wed) , 8 hours behind Japan time.

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自由と孤独、これはセット

人は大概、自由でいたいと思う。

自由であれば、あるほど、人との関わりは、マイペースで好い。煩わされることは無い。

と云うことの裏腹に、いざと云う時には、孤独と云う代償が付きまとう。

自由と孤独はワンセット。自由もほどほどになら、大したことじゃない。

自由と云う光りの影が孤独。

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June 14, 2011

負ける意味、負けの効用

負けそのものに意味があると私は想う。

勝ちを目指し、勝った時、勝利に酔いしれ、色々なことに気づく心が粗雑になり、何とも云えない空虚さのようなものが後に続く。

負けたからこそ、到達出来た境地がある。

勝ちを目指しながらも、力及ばず負けるところに、人生の隠し味が潜んでいる。

人生が楽勝つづきでは、もともこもない。しまらない、人生になってしまう。

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June 13, 2011

白楽駅から徒歩30秒の看板、30秒が可笑しい

通勤途上、駅のホームから広告の看板が見える。○○クリニック、「白楽駅から徒歩30秒」とか書いてある。

30秒とか、秒単位で書いてあるのが可笑しくて、すぐ笑ってしまう。

23秒とか、更にストップウォッチで測ったように書けば、尚可笑しいだろう。

鳩山由紀夫さんなら、違っていたら、「嘘つき」、「ペテン師」と云うだろうか。

世の中には、そんな何でもない誇張や、嘘が、散りばめられている。かわいい。

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June 12, 2011

「蜜蜂の羽音、地球の回転」 、山口県祝島・原発反対運動の記録

先日、「蜜蜂の羽音、地球の回転」と云うドキュメンタリー映画を見た。

山口県、瀬戸内海の祝島の住民達が、対岸の田ノ浦原発を、絶望的状況の中でも、何十年にも亘り、粘り強く反対し続けて来た、苦難の映画だった。

貧しくても、自然に抱かれて、安心して生きて行きたい切なる住民の願いだった。蜜蜂の羽音でさえも、地球の回転に、何か影響を与えてるかも知れないと云う、繊細な自然への賛美であった。

蜜蜂の羽音か、・・・・、青々とした海、ひじきや海苔を採ったり、枇杷を育てたり、牛や豚を飼ったり、人々は、そんな小さな、穏かな平和を守りたかった。

そして、数々の政治の力の実力行使で、原発が、腕づくで、押し通されようとするさなかに、福島原発の事件が起き、原発推進の世間の流れが変わった。

彼らは、力は弱く、原発建設を中止する力は無かった。ただ少しでも原発建設が彼らの反対運動で遅れれば、そん間に、流れが変わってくれればと祈っていた。

蜜蜂の羽音も、地球の回転に影響しているように、どんなに小さな生きものでも、愛おしく想う。

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June 11, 2011

この世に永遠なるものを求めて、それが宗教へのいざない

「人は、この世に永遠なるものはないのかと考え、宗教に目覚める。そして、人生の幾多の体験を経て、自らの中に、永遠なるものを見出して、宗教は終わる。」

これは、スワミ・ヴィヴェーカナンダの言葉にあると云う。

永遠なるもの、これが道を求める原動力。

人生に宗教は必要なこと、生きて行く時の命綱にもなる。苦悩の荒波に揉まれている時などには、浮き袋のような存在にもなる。

そして、宗教の果てに、自らの内面の中に、神を見出した時、宗教はその役目を果たし、宗教は終わる。

スワミ・ヴィヴェーカナンダの宗教観は、すごいと想う。

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今日からロンドン出張、

久し振りの海外出張。私は、大体、年に2~3回は海外出張するが、今年は、まだ行っていなかったので、好い刺激になる。

空港のラウンジで、ワインでも飲みながら、雑誌を読んだり、空港の景色を楽しんだり、また、あれこれ思考するのも、大好きである。

今回の出張はロンドンへ11日~19日(日)の予定。

ブログは、いつもそうするように、出張期間中、19日までの分を、まとめて書いて、時限掲載にセットして出発する。現地のホテルから入力したら英語になるし、好きな時間に書けないし、書ける余裕が無い日もあるから。

日々の驚きの材料は、メモが蓄積しているから大丈夫。

さー、成田エキスプレスで出発。


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June 10, 2011

「私について来るな」、 釈迦の言葉

「釈迦は、私について来るな」と、偶像崇拝をするなと弟子達に諭したと云う。

法(真理)を灯火とせよ、自ら(己の内面の仏性)を灯火とせよと。法灯明、自灯明を説いたと云う。

弟子たちも皆も、釈迦と同じようになれる。釈迦は「私について来ても意味がない」と、諭したと云う。

それでも弟子達は、人々は、釈迦を崇め奉ってしまった。そのことは釈迦にとっては不本意であったことだろう。

私について来るな、己の仏性に気づきなさい、己の神性に気づきなさい、と釈迦は説いたと云う。

そこが、釈迦のすごさだと、私はいつも想い、釈迦を敬愛する。

禅の修業の進んだ僧の境地は、「釈迦、何するものぞ」と云う気迫があると云う。釈迦も、それでこそ、我が弟子と、そのような気迫の弟子を、頼もしく想うことだろう。

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June 09, 2011

無言館の絵画展、横浜赤レンガ倉庫で開催中

先日、横浜みなとみらいの赤レンガ倉庫で開催中の、無言館の絵画展(戦没画学生・祈りの絵展)に行って来た。

迫り来る死を感じながら、夢中で愛する対象を描いた画学生達。故郷の風景、妻、お婆ちゃん、など。

画家が万感の想いで描いた絵の数々は、今も臨場感をもって訴えている。「もっと生きたかった」と。

数年前、私が長野の無言館を初めて訪れた時、無言館へ続く小路に、可憐なコスモスが咲いていた。

「画家は愛するものしか描けない。相手と戦い、相手を憎んでいたら、画家は絵を描けない。」赤レンガ倉庫1号館の展示室の出口には、そう書かれていた。

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June 08, 2011

生命を奏でるジャズアーテイスト達、NHK横浜に集う

6月5日(日)、NHK横浜放送局1階ロビーで、震災復興支援ジャズライブがあり、行ってみた。新装なった横浜放送局のロビーには、大勢(300人くらい?)のジャズファンがつめかけていた。昼12時位~19時頃まで、約70人位のボランテイアに賛同したジャズアーテイストが約20分~30分間隔で次から次へと、小気味好く演奏していく。間に、演奏者自ら募金箱を持って、観客席を回る。

ジャズファンにとっては、有名な、蒼々たる顔ぶれに、また迫力ある演奏に息をのんだ。私は、ちょっと立ち寄るつもりだったが、余りの素晴らしさに、昼~夕方まで、聴きいってしまった。アーテイスト達にとって東北は、演奏ツアーでよく行っていた場所でもあり、出身地の人もいた。震災後行って来た人もいた。

酒井俊さんの歌が、このチャリテイーライブを象徴するように思った。彼女は、「気仙沼は壊滅していました」と云った時、私は動揺した。心も潰滅した人もいただろうと私は思った。

「ヤサホーイ。ヤサホーイ。唄が聴こえる。たき火を囲め。満月の夜」と、哀しみに耐え絞り出すように歌う彼女の、生命の叫びに、心が震えた。

震災のショックで体調を壊していたと云う北浪良佳さんは、「Smile」を歌った。板橋文夫さんのピアノも生命の耀きを叫んでいた。

数えあげたらきりが無いほどの蒼々たるジャズアーテイスト達の感動の演奏だった。生命を叫ぶ、生命を奏でる演奏だった。 瓦礫の中でも潰滅していない心を祈った。初めて訪れたNHK横浜放送局は、この感動の場所として私の脳裏に刻まれた。

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June 07, 2011

ただ座る禅、そして中道とは、

曹洞宗・沢木興道老師は、ただ座る禅、何も考えない禅を説いたと云う。

原田祖岳老師は、その何も考えず、ただ座る禅の陥り易い欠点を批判して、曹洞に臨済の公案(問答)を採りいれたと云う。

ただ座る禅は、高度過ぎて、弟子の中には、黙って壁に向かって寝てる僧もいると、批判されたとのこと。

一方、公案(問答)する禅は、求める禅、餓鬼禅に陥り易いと、住職は対比して説明してくれた。

近代の曹洞禅のニ大高弟の縁の元、修業されて来た住職は、両派のことを、中道として見る力を、ヴェーダンダから学んだとおっしゃる。

「地球を座布団にして、宇宙一杯に座れ」と、原田祖岳老師はよくおっしゃったと云う。部分的なものを見るなと云う戒め、気迫。

住職は、今まで師事して来られた、丸山英智老師、大田洞水老師、原田湛玄老師の教えに、それぞれの教えを想い出して、その素晴らしさにうっとりとされているように想う。

それを見ている私も、また、その境地に憧れる。

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June 06, 2011

函館から岩手久慈港へ中古漁船228隻、キラキラ耀く、

「東日本大震災で約9割の漁船を失った岩手県の久慈市漁協に、北海道函館市内の5漁協から中古の小型漁船228隻が無償提供されることになり、最初の83隻を載せたクレーン船が6月5日午前、久慈港に到着。」6月5日夕方共同通信は伝えた。

昨日朝、このニュースをいち早く知った私の知人は感動の余り、「嬉しくて、嬉しくて、涙がこぼれた」とメールを送って来た。私も、そのメールに感動の余り、すぐ住職に私の感動をメールした。住職は、「日本中が耀いていますね」と返信してくれた。

夜、帰宅して、詳しく調べようと、インターネットで、このニュースを検索していたら、更に感動は終わらなかった。

1934年函館の大火の時、岩手から義捐金を貰ったことへのお返しとの函館の人のコメントが載っていた。そのことについて、北海道の方言「なんもさ」「なーんもさ」と云うのを紹介してあった。「なんもさ」とは、お礼を云われた時など、はにかんだ時に使うのだそうだ。

今回の支援について、77年前のエピソードを持ち出すことは、相手に気を遣わせない、北海道の人の優しさではないかとも書いてあった。 「なーんもさ」、自分でこの言葉をくちずさんでみたら、涙がこぼれた。

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June 05, 2011

求める禅、求めない禅、

昨日の住職の話は圧巻だった。

人間には、苦しみが無いと、エゴ性が守られてしまう。だが、苦しみは、まだエゴのうち。

人間は、「永遠」に対する答えが出てないと、生きていけない。 無常が、わからないから、永遠がわからない。

求める禅とは、餓鬼禅。自己を棚上げにした禅。第七識(潜在的自我執着心:未那識)を保ったまま、六識以下を満足させようとする。

「求めない禅」とは、自己を丸ごと禅に投げ打って行く。第七識(潜在的自我)を突きぬける禅。

一切を相手にするのが禅の気力。部分を相手にしない。「求めない禅」をするには力量が要る。力量とは、もう一人の自分がいること。

これらを、私はノートに、聴きもらすまいと書きなぐった。

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June 04, 2011

サラリーマンの「今生の別れ」、

サラリーマンには、定期的な人事異動で転勤したり、それが今生の別れになっていることも多い。

昨日、私の勤めるアラブの国営石油会社の役員が異動になったことの連絡があった。今年1月、来日した時、彼が若い頃長期滞在した懐かしい横浜を、プライベートに案内したばかりだった。

みなとみらい、大桟橋、山下公園、中華街、元町など、その時のシーンや会話を想い出す。みなとみらいで、警備員に見逃して貰って、レストランの前で、お祈りをしたことも懐かしい。中華街を、甘栗を食べながら歩いたことも。

その時は、これが、最後になるだろうとは思わないが、結局、サラリーマンの付き合いは、よっぽどでないと、深い付き合いとしては続かない。

今思えば、あれが、サラリーマンどうしの今生の別れになったのかも知れない。仕事での縁が切れると、ドンドン疎遠になって行くものである。私が、元いた会社の仲間も、事実上、今生の別れになってしまっているのに気づかないだけ。

今生の別れとは、大げさなものでは無く、日々体験する日常の営み。

今生の別れも、ただ淡々と自然の営み。今生の出会いも、ただ淡々と自然の営み。「今生の出会い」と云う言葉は好い。出会いに、哀しさや寂しさを消し去らせてくれる。感謝しか残らない。

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June 03, 2011

電車の中の事件の驚き、

昨日、出勤途上、東横線の電車の中で、隣の席の男性二人が、バックが当たったとかで口論を始めてしまった。

先に座っていた中年の男性に、後で座って来た若い男性のバッグが当たったとかで口論化した。「そんな云い方はないだろう」→「じゃどう云えばいいんだ」、かなり罵声化して行く恐れに内心、大変な場所に居合わせたものだと、逃げ出す体勢を考え始めた瞬間。「旦那、どう思います?」と、何と私に、中年の男性が意見を求めて来た。

一瞬、頭が真っ白になるような、予期せぬ質問に仰天するも、私は、「お互いに、もう済んだことなんだから、大した問題じゃないんだから、静かにしてください!」と、言葉を発していた。

それは、神のお告げを伝えるメッセンジャーのようなものだったのか?喧嘩してた二人は、ハッと我に返ったかのような、静寂の後、そのまま沈黙し続け、中年の男性は、週刊誌を読み始めた。一件落着した。もし、私が、一方に肩入れしたら、私も、喧嘩に撒き込まれていたかも知れない。

もし私が、手に小旗でももって、「こっちの勝ち」とか云ってたら、どうだっただろうとか、想像して内心、想い出し笑いしながら会社へ行った。

この、私にとって大事件を、会社の男性に話したら、「では、皆さんのご意見を聴いてみましょう」とか、同じ車両の乗客の意見を聴いたら・・・・とか、多数決のアイデアで反応されて、また大笑い。

日々、人生の森は、色んな動物達がいて危険は一杯に溢れているが、童話で出てくるような、耀く大自然のメルヘンのような森であるのかも知れない。そこで、神に守られサバイバルする、私がいる。

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June 02, 2011

サラサラと流れる川のように、

一つのところに留まることが、如何によどんでしまうか、池や沼の様を想像する。

絶えず流れる川の水の、如何に清流であることか、その差は歴然。

「何事も常ならず」と云う、無常観は、サラサラとした清流の哲学だと思う。

何処かに留まりたい気持、執着は、よどんだ池のように、腐敗して来る。

ただ淡々と、「今 ここ」をサラサラと生きる。どんなに素晴らしく感じても、留まってしまえば、濁り、病みが始まる。

絶えずサラサラと流れる川のように、ただ淡々と生きる。次から次と流れて来る水は、常に輝いている。

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June 01, 2011

やはり野に置け、蓮華草

会社の人から教わった、可笑しいが、後で真顔になるような、意味深い句がある。

「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」、滝野瓢水(ひょうすい)と云う人の歌らしい。


花は、自然に生えてるところに、その輝きがある。自分が、手に取り、持ち帰っても、その輝きは残らない。

何事も、微妙な調和は、壊れやすいもの。

所有、執着は、それらの自然界の輝きを奪うもの。私は、そんな解釈をして、真顔になった。

自分は、透明人間になったように、風にでもなったように、ただ自然を愛でればよい。

それぞれが、野にあれば、全てが輝いて見える。

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