被害者、加害者、そして永遠の安らぎとは
被害者的人生観には、相変わらぬ不運さ、悲しみと、怒りと、諦めなどが混ざる。自分の不幸にはいつも他人がかかわっていて、他人のせいにしてしまう生き方。だが、今回の震災では、誰かのせいに出来ないことを学ぶ。そして、日頃の被害者的生き方のエゴ性に気づくのもよい。
加害者的人生観には、相変わらぬ傲慢さと、悲しみと、懺悔と諦めなどが混ざる。毎日、何らかの命あるものを食して生きてること自体、加害者的生き方ではないのかとも思う。自らの加害者的存在に気づくのもよい。懺悔の材料が無いと、エゴ性の放棄が出来ないから。
住職は、若い頃指導を受けた住職の師、大田老師の教えを、今懐かしく、自己の内面で反芻してらっしゃると云う。その、大田老師の講演録に、「世間道に立つ限り、永遠はわからぬ、仏道は人間思想ではない。・・・・・・自己を忘れ、万法に証せられている世界のみである。」とある。エゴ性の放棄の先に、永遠にして安らいでいる世界を垣間見る。
そして、「永遠を感ずる者は、必然的に求道者となる」と云われている。住職は、今はこの意味は、十分よくわかるとおっしゃった。言い換えれば、「永遠を感じない人は、求道者ではない」とおっしゃった。何か、住職の真剣さが、伝わり、全身がピリッと引き締まる思いがした。
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