心地好く、翻弄されて生きる
"もう一人の自分"の存在がはっきり意識されていれば、多少人生に翻弄されても、大丈夫のような気がする。"もう一人の自分"とは仏性、内面の教師。
打撃・衝撃を消化し、それは神から自己への暗示だと思い、吸収する力があれば、何があっても大丈夫。そこは涅槃のようなものかも知れない。一元を知り、二元に遊ぶ境地ではないかと思う。
人生の渦潮に翻弄されても、流れにぐるぐる回されながらも、「これは一体何?」と、神からのメッセージに興味が湧いて来るような余裕さえ出て来る。不幸の只中と云うより、小さな驚きの衝撃。
何があっても、人生は、輝いて、「今ここ」がある。
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