"禅の安らぎ"
坐禅をしているときに限らず、修業が進むと、日常生活でも、時折"禅"になり、全てが禅に変わって行くような境地を瞬間味わうことがあると云う。
"禅のとき"の極地は、五感六識の運転を止めること。即ち"自他一如"、自分と他人の境が無くなり、全ては存在として同一化する。
生ぜず滅せず、会うも別れも無い、貧しくも豊かでも無い、全てが私自身なのだから。それは永遠にして安らいでいる世界。
個としての私に帰るから、大海が波に揺れ動き、右往左往の喜怒哀楽に翻弄される日常生活に引き戻される。
全てが私自身であれば、富を得る必要無し、名声を得る必要無し、愛を渇望する必要も無し、会えない人を嘆く必要も無し。全てが、自分自身の中で起きてることなのだから。
それが、禅がもたらす安らぎのもとであったのだと想う。
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