子供に対して、「大きくなったねえ」の感嘆の示唆、
子供がドンドン成長して行く時、周りは、驚嘆の余り、「大きくなったねえ」と驚きの言葉を連発する。
それは、私にとって、人も常ならずと云う、無常観に繋がるとは、今まで思いもよらなかった。あのあどけない子供達は、もう二度とは逢えないのだ。あの輝くばかりの思春期の子供達とは、もう二度とは逢えないのだ。今生の別れをして来たのだ。
子供達の成長は親にとって、周りにとっても、当たり前で、そうでなければ、悲しいこと。子供達の変化、成長は、たとえその場面に二度と逢えなくなっても、それは嬉しいこと。
一瞬一瞬に、瑞々しい現在の瞬間が重ねられて行く。
大人になってからは、その自然界の絶えざる変化に目をそむけ、留まりたいと思う心が、精神をよどませ、精神を病んで来る。
以前に体験した人生のシーンの一瞬一瞬の感動が、今ここに、目の前に展開しようとしているのに、過ぎ去った過去の感動には、到底及ばないと確信・勘違いをして生きているのではないか。
変化こそ、生命の証であり、宇宙の真理。永遠の美は、変化の一瞬の残像であり、何処かに留まって澱んだ場面を云うのではない。
大人になってからも、「大きくなりましたねえ」と、精神の成長に感嘆して貰える人生は素晴らしいと思う。