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April 11, 2011

神への甘え、そして懺悔、「妙好人」

住職は、経典を学ばなくても、読み書きが出来ない人でも、解脱・悟りの境涯は得られることを、ご自身の体験を通じた実例から教えてくれた。

それは、「妙好人(みょうこうにん)」と呼ばれる。住職は、「逃げられない耐えがたき苦痛、悲しみ」が土台にあり、そこに「深い信心」と、「今ここに打ち込む無私の行為(作業)」があれば、高僧のような「妙好人」を生み出すとおっしゃった。

毎日、苦悩を神仏にぶつけて泣き叫びながら祈り、作業に打ち込み、その行き着く先に、遂に、手に負えない苦悩が、悲しみの涙となって、涙が、我慢の崩壊、エゴの崩壊を促すのです。

我慢(エゴ)が崩壊し、幼児のような、神への邪心の無い"甘え"の世界に入らせしめるのです。そして、「ごめんなさい」、「ごめんなさい」と、神に思いっきり甘えるのです。悲しみからの解放です。何故なら、悲しみはエゴそのものだからです。エゴは、悲しみを通して、導いてくれたのです。

それが、「解脱」です。

この境地を、世の高僧達は修業の末に求めて来たのです。

「妙好人」の話を聴くと、私は身近に、神様を発見したような気持になれる。

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