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April 09, 2011

「永遠でなく、一番でもなく、思い通りにもならず」を愉しむ境地

人間が考える幸せの中味は、「自分は永遠であり、自分が最高で一番であって、自分の思い通りになること」がベースになっていると思われる。 ちょっと、欲張り過ぎでは無いかと思うが、そのような人間の奥深い煩悩が、仏教でも説かれている。

そのような、極めて当たり前の人間の煩悩に惑わされなくなれば、心穏かに、平穏な安らぎの人生が到来するのだと思う。

そうか!!!。 私は、忘れ去られる存在であり、と思えば、返って気が楽になる気もする。 私は、中くらいで、一番なんかじゃないからこそ、気が楽にもなれる。 自分の思い通りになったら、不気味で気持悪くて、面白くも何ともない、スリルの無い詰らない人生にも思える。思い通りにならないところに人生の醍醐味がある。

私は、永遠でもなく、一番でもなく、何事も思い通りにならない、ドッタン・バッタンの苦しみの人生であるが・・・・、待てよ、それが、隠し味の効いた、燻し銀の人生じゃないのか?

波のような存在である自分が、全く勘違いして、大海たる神の特性、永遠性などを求める、ドタバタ喜劇に没頭しているのが人生かと、滑稽さも見えて来て、可愛らしくさえ想う。

「君も役者だなー」と神様に、微笑んで、褒めて貰えそうな展開。 人生の新大陸の発見。

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