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April 17, 2011

苦しみの共有の光景、

被災地で我慢して生活する被災者、淡々と自分の肉親の被害を語る被災者達のことを、何故そんなに淡々と語れるのですか?と住職は問われて云った。

「同じ悲しみを味わうと、エゴの壁が壊れるのです。家は潰れたけど、家族は亡くなったけど、みなも同じだと、苦しさが、軽減されるのです」と。

「みなが苦しんでいるなら、1日おにぎり1個でもいいと云う気持にもなれるのです。世の"幸せ"が、人々を「個」として切り離し、他を見えなくしているのです。」と・・・・。

世間の幸せの強調、人々が自慢する幸せは、一方では、人々を地獄へ突き落としていることでもあったことに、私は気づいた。

自分の苦しみを表現することは、人々を地獄から救い出すことでもあるのだと思った。


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