インド哲学の感動、牛乳とヨーグルトの話、
昨日、横山紘一先生(唯識)の哲学カフェに参加した時、先生が、インド哲学を学び始めた頃に感動された話を、想い出して語って下さった。
通常我々は「牛乳」は「ヨーグルト」になると知っているが、「牛乳」は実体として在るのか?
「牛乳」が、もし実体として在るなら変化しない。
「牛乳」が、もし無いのなら、変化はしない。
「非有、非無」の世界、「あって無い、無くて在る」、「中道」の世界。
これが、横山先生が、哲学に引き込まれた感動であったと云う。
「生きていて、死んでいる」、「死んでいて、生きている」と云う禅の世界の話を、よく、住職から聴く。
私はいるのか、いないのか? いないとも云える、いるとも云える。「生ぜず滅せず」の、時空を超越した世界への扉なのか? 参ったなー! と想うが、心地よい気づき。
Comments
哲学カフェで、お目にかかりましたものです。
牛乳とヨーグルトの「たとえ」は、私にとって分かりやすく、大事な発見でした。
次回も御目に書かれますよう。
Posted by: 発作人 | March 15, 2011 07:46 PM
発作人さん、先日、新宿の哲学カフェでお会いした方ですか?
その後、3月11日の大災害が起こるとは、あの時には、思いもよらぬことでしたね。
「打撃・衝撃は、自己を学ぶ暗示なり」と云います。人生を考え直すきっかけになりました。
Posted by: life-artist | March 16, 2011 09:43 PM
隣の席で名刺をいただき、こちらにお邪魔しました。
被災した人も、してない人も愉快になれるには、何か出来る事は無いか考え中です。
Posted by: 発作人 | March 18, 2011 10:06 PM
発作人さん、
今回の震災で、「自他一如」をあらためて感じます。
「自分だけ幸せになっても、嬉しくない気持」、それです。全てが私だからです。
そんなことを思います。
Posted by: life-artist | March 19, 2011 06:53 AM