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March 09, 2011

インド哲学の感動、牛乳とヨーグルトの話、

昨日、横山紘一先生(唯識)の哲学カフェに参加した時、先生が、インド哲学を学び始めた頃に感動された話を、想い出して語って下さった。

通常我々は「牛乳」は「ヨーグルト」になると知っているが、「牛乳」は実体として在るのか?

「牛乳」が、もし実体として在るなら変化しない。

「牛乳」が、もし無いのなら、変化はしない。

「非有、非無」の世界、「あって無い、無くて在る」、「中道」の世界。

これが、横山先生が、哲学に引き込まれた感動であったと云う。

「生きていて、死んでいる」、「死んでいて、生きている」と云う禅の世界の話を、よく、住職から聴く。

私はいるのか、いないのか? いないとも云える、いるとも云える。「生ぜず滅せず」の、時空を超越した世界への扉なのか? 参ったなー! と想うが、心地よい気づき。

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Comments

哲学カフェで、お目にかかりましたものです。

牛乳とヨーグルトの「たとえ」は、私にとって分かりやすく、大事な発見でした。
次回も御目に書かれますよう。

Posted by: 発作人 | March 15, 2011 07:46 PM

発作人さん、先日、新宿の哲学カフェでお会いした方ですか?

その後、3月11日の大災害が起こるとは、あの時には、思いもよらぬことでしたね。

「打撃・衝撃は、自己を学ぶ暗示なり」と云います。人生を考え直すきっかけになりました。

Posted by: life-artist | March 16, 2011 09:43 PM

隣の席で名刺をいただき、こちらにお邪魔しました。

被災した人も、してない人も愉快になれるには、何か出来る事は無いか考え中です。

Posted by: 発作人 | March 18, 2011 10:06 PM

発作人さん、
今回の震災で、「自他一如」をあらためて感じます。

「自分だけ幸せになっても、嬉しくない気持」、それです。全てが私だからです。

そんなことを思います。

Posted by: life-artist | March 19, 2011 06:53 AM

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