無一物の心地好い気づき
今回の震災で、はっきり、人間が、生物が、無一物である存在に気づいた。
蓄えても、身にまとっても好い。一時的な気休めに。
蓄えても、作っても、身にまとっても、それは一時的な気休め。生活の為の、仮設住宅のような存在。
いずれかは、"無一物と云う本来の家"に帰らねばならない。
その無一物と云う本来の家は、大安心の、全てが調和した、満ち足りた家。
無一物に気づくことは、悲しみではなく、"幸せを照らす光"であったのだと想う。
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