無一物の心地好い気づき
今回の震災で、はっきり、人間が、生物が、無一物である存在に気づいた。
蓄えても、身にまとっても好い。一時的な気休めに。
蓄えても、作っても、身にまとっても、それは一時的な気休め。生活の為の、仮設住宅のような存在。
いずれかは、"無一物と云う本来の家"に帰らねばならない。
その無一物と云う本来の家は、大安心の、全てが調和した、満ち足りた家。
無一物に気づくことは、悲しみではなく、"幸せを照らす光"であったのだと想う。
今回の震災で、はっきり、人間が、生物が、無一物である存在に気づいた。
蓄えても、身にまとっても好い。一時的な気休めに。
蓄えても、作っても、身にまとっても、それは一時的な気休め。生活の為の、仮設住宅のような存在。
いずれかは、"無一物と云う本来の家"に帰らねばならない。
その無一物と云う本来の家は、大安心の、全てが調和した、満ち足りた家。
無一物に気づくことは、悲しみではなく、"幸せを照らす光"であったのだと想う。
毎年見る桜は、去年の桜ではないのに、同じ桜が返って来たように想う。
毎年声を聞く蝉は、去年の蝉ではないのに、同じ蝉が返って来たように想う。
変わってしまったのは自分だけだと勘違いをし、感傷に耽ることもある。
全てが、一瞬たりとも留まらない世界で、自分だけを際立たせて感傷に耽る。
自分も、あの桜のように、あの蝉のように、自然界では、同じ人が返って来たように見えてる存在。それは、個性のある、私個人ではなく、ただ人間と云う生物として。
昨日、靖国神社の桜が開花したと云う。
被災地域の宮古では、映画館も再開したとニュースは云う。
今日から娘は、転職先に初出勤。
明日は会社を休んで、小田原の妹と、山北の桜を見に行くことにした。
今年の桜は、静かに味わいたい。
今年の桜は、"桜の乱"のようには見えないと想う。
今年の桜は、控えめに見えることだろう。
おわら風の盆は、富山県富山市八尾町で毎年9月初めに行なわれている富山県を代表する祭りである。越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する。、哀愁のある音色を奏でる胡弓の調べが人々を魅了する。
そんな説明が、インターネットに載っていた。
はしゃぐばかりの祭りでは、薄っぺらで、子供っぽく、傲慢で、時に不謹慎にも感じる。
喪に服するように生活するのも、陰気過ぎて、病的にさえ思う。
そんな時、日本一寂しい祭り、"おわら風の盆"のことを、想い出した。
人生も、単なる祭りでは、馬鹿みたいに感じる。喪に服するように生きても、何の意味があるのかとも思う。
震災の後、不図、どんな生き方をしたいかと、自問自答してみた。
先週1週間、天城山で、震災犠牲者追悼断食・坐禅を終え、6キロ痩せた住職に会えた。
「人は、悲しみの運命が決まると、エゴの放棄が始まる」、「悲しみの運命を共有すると、自己犠牲が始まる」と説かれた。それは、清々しく、「ハイ」と云って運命を受け入れる覚悟。
大災害の後、原始的人間、即ち"大海を知った人間"、"自他一如"を知った人間が現れると。そして、その後、人間は、落ちついて来ると、本能的人間(エゴの塊りのような"波")に、また曇って行くことも。
この大災害にあって、悲しみを味わった多くの健気な人達のことを、想って下さいと住職は云った。そして今、この苦しみ、打撃・衝撃をしっかりと受けとめて、菩薩の誓願を立てて下さいと。
私は思った。"「ハイ」と云って運命を受けいれる覚悟"、そこには永遠の安らぎがあることを見抜いた気がした。
週間文春最新号(3月31日号)に衝撃的な記事があった。岩手で、語りつがれた太津波のことで、昭和8年の津波の時の記録。
「中学生の男の子が、お父さんと手を繋いで逃げていたら、お父さんが波にさらわれてしまったそうです。お父さんは、流されて行く時に、お子さんに向かって、笑顔で「バイバイ」と手を振っていたと・・・・・」
私は、咄嗟に、特攻隊が出撃する時、上空から、地上で見送る家族へ、最期の別れに、マフラーを操縦席からたなびかせるシーンを想い出した。それぞれの白や赤のマフラーが特攻機からたなびく。家族はどんな気持で、そのマフラーを見たのであろう。胸が張り裂ける。
遺された人への愛情と激励のメッセージ。
私も、そのような覚悟の人生が送れたらと憧れている。
昨日は、昼、会社に娘から、転職先決定の電話があり嬉しかった。表参道に会社があって、どんな会社かを、ちょっと興奮気味に説明してくれた。こんな時期にも、朗報だった。
一昨日は、小田原の妹の息子が大学合格の朗報も聞いた。母子家庭の妹は、これからも大変だが、母に似て強い。今度、月末に妹と小田原の地元で一緒に桜を見る約束をした。
こんな時にも桜は咲く。
一生の内で、桜は100回とは見れない。じっくり、味わって見れるのは何回だろう。
こんな時期にも、桜の訪れを、静かに迎える。
最近、有害物質除去物質の食品を調べてみた。 食物繊維とビタミンCの効用を、改めて認識。
(1)食物繊維
*不溶性食物繊維: 有害物質の排泄作用、大腸ガン防止、食べすぎ防止、
穀類、豆類、野菜、海草類、ごぼう、エビ・カニの殻など、
*水溶性食物繊維:腸内細菌の改善、血糖上昇抑制、高脂血症予防、高血圧予防、発ガンリスク軽減
果物、特にリンゴ・柑橘類の皮、野菜、昆布、ワカメ、こんにゃくなど、
(2)ビタミンC
*体内から有害物質を追い払うビタミンC。
有害物質を引き受け、無害にする毒排出システムが肝臓にある。
そこで働いてるのがビタミンC。
(3)放射線と海草について
放射性ヨードが放出されても、ヨードを多く含む食品(昆布、ワカメ、海草など)を食べていれば、甲状腺に放射性ヨードが取り込まれるのをブロック(防ぐ)する効果はある。―「放射線治療医の本音」西尾正道著、NHK出版から抜粋。
昨日の朝、雨の中、大丈夫とは云え、念の為、放射性物質を避ける為、最近東急ハンズで買った、雨合羽を来て出社した。
ところが驚いたことに、雨合羽を着てる人が、電車の中に皆無だったこと。
会社のそばの道で、小雨に濡れながら、傘もささずに、パンを食べながら歩く若い男性もいて、びっくりした。
堂々たる、日本人の対応に、尊敬の念すら湧いて来る。
騒ぐ人もいれば、平然たる人もいて、両極端が面白い。
黄緑色の雨合羽。久し振りに着た雨合羽。ちょっと、自分の格好を、滑稽に眺める。
昨日、被災地のお母さんが、TVへ向かって云っていた。
「世界一の災害ならば、世界一、頑張るところを見せたいです」と・・・。
私は、その根性に、久し振りに、母と会った気がした。
いた!、いた!、母ちゃんが・・・。
本来、誰しも、"突然死ぬかも知れない存在"、"覚悟すべき存在"であることに気づいた。
大自然の営みは、人間の権利とか、誰かをエコひいきしたり、特別視はしていない。存在においては、虫でも、細菌でも、動物でも、石ころでも、何でも同じもの。
人間は、自然界で、周りを人為的に作用させて便利に生活してるものが多いだけ、傲慢になっていたのだと思う。自分の人生にも、自信過剰・横暴になっていたのだとも思う。滑稽なくらいの自信と権利意識。単なる勘違い。
そして、同時に、静かに自然を見詰めると、"突然また生まれ代わっている存在"であることにも気づいた。
単なる現象の移り変わり。大自然には変わらない意思がある。
人間の目には、破壊と誕生に見えるが、それは、単なる現象の移り変わり。自分が、小さく見えたり、大きく見えたり。自分も大自然の一員であることは、覚悟でもあり、また希望でもある。
リビアの政府軍の反政府軍地域奪還のニュースに、時代の逆戻りの残酷さを、見るに耐えない気持で見守っていたが、国連・英仏軍がやっと、カダフィ政権側の残虐な市民攻撃を止めさせる軍事行動に出た。
これでよし。これでリビアは、緊急手当てが出来たと思う。
バーレンのデモ鎮圧に、14日サウジ軍が乗りだしたのは、逆効果だと思う。サウジは、短期的には自国政権を延命させるだろうが、時代の動きを加速させるだろうと思う。元々、多少生活が豊かになっても、絶対王政は、もう存続することは出来ない世界になっているのかも知れない。湾岸諸国も、早く実質的な議会・普通選挙へ、如何に早く改革出来るかにかかっているのではないかと思う。自分の利益を早く手放して、改革へ舵を大きくきらねば、アラブの政権も、政変への危険水域は近付く。
福島原発の緊急手当ても、やっと進展して来たと思う。名も無い職員、消防、警察、自衛隊のヒーローが続々と生まれている様子が想像出来る。彼らは、自分のことは、ある程度、もう吹っ切れている。家族にいざと云う時の別れを告げて、任務に自ら就いているものも多いと思う。「他を救いたいのだ」。この様なシーンを見せて貰うと、もう全てが飛んでしまう。この感動が私の人生を導く。
昨日は、連絡の取れなかった、仙台・太白区、宮城野区の知人との連絡がやっととれて、自宅で元気でいることがわかり、電話口で、大喜びをした。よくても、避難所とかにいるのではないかと、暗い気持になっていたので、元気な声を聞いた時には、拍子抜けするくらい嬉しかった。
仙台駅前付近の大きな喫茶店も、再開したとのこと。
すごいなー。人体の白血球が、傷口を免疫力で補修、修復するように、人々が集まっている様子を思い浮かべた。
昨日、電車で通勤中、座っていると、前に立ってる人が読んでる、読売新聞朝刊の編集手帳欄だったかに、苦難に際した人の昔、詠まれた句がが紹介されていた。
「うらぶれて、袖に涙のかかる時、人の心の 奥ぞ 知らるる」。失意、どん底にいる時に、人の心の奥が見えて来て、感動することを詠った句であった。
昨日は、今回の被災地のことが載った週刊誌を、7誌も買った。悲惨な写真を、私は、見なければならない、知らねばならないと思った。
東京にも、いつか来るであろう災害に、自分をダブらせる。津波の瓦礫のあと、焼け野が原に、たたずむのは私でもある。
被災地の雪が辛い。
瓦礫の中の、家族を探し歩く人に、雪が辛い。
こんなに雪を、残酷に思ったことはなかった。
避難所を、早く暖めて欲しい。燃料は、石油会社から政府が調達して、パトカーで先導してでも早く運び込んで欲しい。自衛隊のヘリでも、空輸して、空からでも運びこんで欲しい。
被災地の避難施設にいる母親がTVで、東京にいる娘さんへのメツーセージで、「会いたいけど、こんなところには、近づかないで」と云うのには泣けた。
大変なのに、周りを安心させようと、「大丈夫だから」と云う人の多いことにも泣けた。
昨日の陛下の言葉も、心に響いた。
人間の持つ、仏性を、これほど、沢山感じたことはなかった。
焼け野が原から、みんなでまた、立ち上がろう。絶対、大丈夫。
私の属するHippo 語学クラブのグループメールに、次のような感動するメールも送られて来た。
「電力会社や鉄道などいろいろなこと(人)に支えられ、そこに「甘え」がある中、生活しているという、「豊かさ」を改めて感じます。「自分が恵まれていたことに気づいた」とよく言いますが、「今の日本人がいかに恵まれ、いかに社会に甘えているか」を改めて考える機会であるとも感じました。明らかに赤字国債は異常ですし、使いすぎ(豊かさとは何?)を考える機会とも感じます...。」
電力会社・鉄道会社を非難するのではなく、国民としての正気を促す言葉に感動した。
「打撃・衝撃は、己を学ぶ暗示なり」と思う。
昨日、日経新聞のコラムに、「国が何をしてくれるか問うのではなく、貴方が国の為に何が出来るか、問うて欲しい。」と云う1961年のケネデイー大統領の就任演説が紹介してあった。
今、人を責めることの多い世の中の風潮には、心地よい衝撃を与えてくれる言葉だと思う。
外国から地震・津波の被災地に、救援に駆けつけて、自らの危険も省みず、救助活動してくれている人もいる。原発の事故の対応も現地で、被爆の恐れの中で一所懸命にやっている人もいる。自分だけの安全を求め、逃げ出し、遠い世界で傍観する人もいる。
「衆生が救済されるまでは、自分の救済は求めない」誓願を持った人も世の中にはいる。私は、身近に、そんな人に出遭って、そのことを誇りに想う。人生で最高に幸せに思う。余りにも感動が大きくて、涙が出る。私も、触発される。
「私のことは、どうでもいいんです。他が救われれば」、この気持を目指しなさいと、いつも住職は云う。
私は、この言葉を聴く度に、感動で大きな光に包まれる。
昨日、朝は、大混雑の電車で白楽駅を出発した。途中、目黒駅から白金高輪駅まで約30分歩いて、電車を乗りついでやっと会社に到着。
今週の予定は公私、全てキャンセルした。緊急事態に備える。
日本の被災状況の現状を、アラブ本国へ早急にレポート。
原発のこと、対応を英訳して、会社のアラブ人にも伝えた。何が起きてるのか?自分の人生経験の勘で判断する。大丈夫な面と心配な面あるが、運命は神に委ねれば好い。
帰りも、武蔵小杉駅で足止め、待機。その後、無事帰宅。
人生も、大打撃の中で見ると、景色が随分と、変わって見える。しげしげと我が人生を眺める。
東北地方の津波の、こんなひどい状況を見ると、人生観も変わってしまう。
津波は、一瞬にして、全てを飲み込む。
無一物で、生き延びたとする。
色んなものを、周りにまとって、保有して生きている人間も、実は、無一物で生きているのが実体なのかも知れない。
"無一物、無尽蔵"、何故か、この言葉に慰められる。
無一物で生きて行く。
情報が詳しく流れる度に、今回の地震の被害に呆然とする。
戦争、これほどの大自然災害など体験したことの無い私には、今まで、平和な日々であったことが、遠い日のように思う。
世界の景色が変わってしまったのだろうか?
この体験を経て、どの様に、生きて行こうかと、考え始める。
時間つぶしのような人生は、決して出来ないと思う。
「私は、限られた平穏な日々に、何をなすべきか?」と思う。
ビルの34階のオフィスで、揺れた時は、一瞬、もうダメかも知れないとも思った。
揺れがおさまってから、階段で、整然と地上階へ降りて、距離的にも、歩いて帰れそうな人は、各自歩き始めた。
私は、東京・神谷町から横浜まで歩くのは断念して、会社のそばで待機し、夜、エレベーターの復帰を待って、会社の人と3人で、会社で夜を明かした。
会社で泊まるのは初めて。アラブからシンガポールから、と安否を気遣うEMail が届き、返信した。
こんな日にも、今朝6時、朝日が綺麗だった。
人格の完成に近い人が目指すものは、周りの人に希望を失わせる死であってはならないと思う。
周りの人が、喪失感と、悲しみのあまり、生きて行けなくなるならば、亡くなった人は成仏出来るだろうか?
ひとしきり泣いたら、めそめそしないで、シャキっとして、その亡くなった人の励ましで、元気に生きて行くことが出来てこそ、その人間関係は磐石だったと云える。
己の中に、愛する対象が生き始めるような境地になれば、死による隔たりの悲しみは力を失う。
執着と云う種子は、水と光と栄養を与えれば、大きく育って人を苦しめる。執着する心は、相手にせず、邪魔にもせずで、自然消滅すると云う。
住職は、自分の身体を気遣ってくれる人に対して、「心配するな。私はどこにもいかぬ。」とおっしゃる。そして、将来、もし弟子達が悲しむならば、何の為に修業して来たのかと嘆かれると思う。思い切り、「活」を入れられると想う。
私の母もそう。今でも、時々私に、「活」を入れてくれる。
渡り鳥は、高い空を群れを成して飛んで行く。互いに励ましあって飛んで目的地へ向かう。
仲間が傷ついても、親子のどちらかが傷ついても、傷ついた方を背中に背負って飛ぶことは出来ない。傷ついて飛べなくなったら、落ちて行く鳥を、ただ呆然と見守るしかない。
振り返れば、私の人生のそれぞれの時代に、隣で一緒に飛んで来た多くの仲間が、今はもういない。それでも、私は力の限り飛ぶ。隣で飛んでいた仲間を想い出して、その励ましが見えるから。
飛べなくなったら、その時は、仲間に気付かれないように、そーっと落ちて行く。大自然の母のもとへ。
そして、いつの日にか、また朝日のもと、また私が飛び立つ日が廻って来る。
それが、私の人生の詩。
昨日、横山紘一先生(唯識)の哲学カフェに参加した時、先生が、インド哲学を学び始めた頃に感動された話を、想い出して語って下さった。
通常我々は「牛乳」は「ヨーグルト」になると知っているが、「牛乳」は実体として在るのか?
「牛乳」が、もし実体として在るなら変化しない。
「牛乳」が、もし無いのなら、変化はしない。
「非有、非無」の世界、「あって無い、無くて在る」、「中道」の世界。
これが、横山先生が、哲学に引き込まれた感動であったと云う。
「生きていて、死んでいる」、「死んでいて、生きている」と云う禅の世界の話を、よく、住職から聴く。
私はいるのか、いないのか? いないとも云える、いるとも云える。「生ぜず滅せず」の、時空を超越した世界への扉なのか? 参ったなー! と想うが、心地よい気づき。
私が大学に合格、九州から上京することが決まった時、苦難の人生を経て来た母は、また、人生で最大の哀しみを味わった。今の私には、その哀しみが、狂おしいほど分かる。
そして、合格通知に、飛び上がって喜んでくれたのも母だった。
愛は、引き寄せない。愛は、解き放つもの、寧ろ遠ざかるもの。
その後、大学での上京が、私に別世界をもたらし、大学生活、就職、結婚、海外、仕事と、生活における親との縁は、薄れて行った。そのことを、母は覚悟していたのだ。
そのことを気づかず、ずーっと生きて来て、あの合格した時の、私以上に、動物反射的な母の大喜びの裏に、母の最大の哀しみが隠されていたことを想う。
そして今、私は、心の中では、何時でも母と会話することが出来る。時空を越えたのだ。
得る喜びは、同じ量の、失う悲しみを生み出す。
大喜びの裏には、同じ量の隠された悲しさが潜む。
一つの光から、全てに光を見れれば、その悲しさから解脱する。
どんなありようでも、ただ「在る」ことが嬉しい境地になれば好い。
「時間を直線的に捉えるから悲しい、時間を円で考えれば好い。」と住職は云った。
直線上に、「行ってしまうと思うから寂しい」と。
私は、たまらず、「今生ではもう会えない」と云う寂しさについて、私は住職に問うた。
「一方のみを考えるのは、誤り」。「勝ったと思った瞬間、もう負けている」。「吸う息の次は、吐く息。吸い放し、吐き放しと云うのは自然界、宇宙には無い」。
「会えないと嘆く心は、既に、もう毎日会っているではないか」と、回答された。
会った時、既に別れが始まり、別れた時、既に再会が始まる。
時間を、遠い地平線に直線的に、見送るのではなく、グルっと回って来る円で捉える発想に、私は、戸惑いながらも、光明を見る思いだった。
「得ることは失うこと、失うことは得ること」。ただ、急いで書きなぐった住職の言葉に、更なる手がかりを探る。
今朝は、玉子焼きのような太陽が東の空に昇る様を、部屋の窓から見たなー。
TVでは、町工場が、人工衛星を作った話に、ほのぼのとした童話を聴くような気持になった。人工衛星「まいど1号」と云う名前も好い。
日経新聞には、子供ニュースの折込が入っていて、「タイムマシンで行きたい時代は?」の質問に子供達のアンケート集計結果が載っていた。「100年後」、「1000年後」、「将来自分が大人になった頃」、「将来自分が結婚した頃」など。過去へ行きたいとの回答は少ないが、「江戸時代」や「恐竜時代」と云うのも子供らしい。
私も、子供の気持に返って、行ってみたいなーと憧れてみる。ドラえもんの漫画みたいだ。
でも、私は、想像力が逞しく、将来も、過去も、何となく、念力で呼び出せるような気がする。未来も、過去も、心は自由自在に飛び回る。心はピーターパン。
昨日、石油業界の先輩と久しぶりに二人で、ゆっくり飲んだ時は、もう仕事の話は殆どしなかった事が、面白く感じる。
私は、娘とのアラブやインドへの旅のこと、そして満洲への旅のことなど話した。先輩は、長い会社生活を経て、地位やお金に関する考え方のこと、健康に関することなど話してくれて、共感した。
私は、いつの間にか、何故か、禅の思想に感動したことなども話した。一元論、仏縁などをいつの間にか、私は夢中で話していることが、我ながら可笑しかった。
更なる驚きは、先輩は、私が行く坐禅合宿の予定を知りたいとの関心、反応であった。私は、3月下旬、8月下旬の伊豆・天城の坐禅合宿の予定を伝えた。
ちょっと、禅の思想のさわりを話しただけで、この先輩の反応は何か、と不思議なくらい嬉しかった。発信器と受信機が、ぴったり合ったのかも知れない。日頃、住職から聴く禅の哲学が、私の口から、ほとばしり出ていたのかも知れない。
夕方、会社を出て、新橋へ向かう時、会社のそばの青松寺の正門に、道元禅師の句が大きく書かれてあった。「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪さえて涼しかりけり」。
数日前、クウェートNational Day のレセプションが、帝国ホテルで開催された。
アラブの各国大使とか、アラブの衣装をまとった何人かのアラブ人も参加して、私も、アブダビ駐在時代を想い出した。
驚きは、私の働くオフィスの代表が、初めて、アラブ服(デイスダーシヤ)で参加したこと。黒い高貴な生地の服、ヘッドギアですっぽり隠した頭、薄めのサングラスは、まさに王族って感じに見えるほどだった。
そのアラブ衣装の彼は、大勢の出席者の中、女性に一緒に写真をせがまれたり、余り関係なさそうなビジネスマンに仕事の名刺を沢山貰ったり、大変だった。
中でも傑作だったのは、彼をロイヤルファミリーが大富豪だと思ったのか、自家用機の購入を持ちかけられたとのことで、それを聞いて、私は驚きの余り、噴出してしまった。リースジェット機も紹介されたと云う。
全く、世界は、変な人達も結構、生活しているんだなーと関心した。開いた口が、塞がれない気持。
昨日は、会社帰りに、ヒッポクラブ(多言語学習クラブ)の例会に出た。後から、2歳の女の子、かすみちゃんがお母さんと一緒に部屋に入ろうとして、スーツ・ネクタイ姿の私を発見。
かすみちゃんは、突然、固まってしまった。おじちゃんが恐いのだ。おしゃぶりを口につけたまま、仁王立ちで、部屋に入らず、ジーッと私の方を見詰めている。泣きそうな顔。
私は、優しい顔をするのだか、泣きべそをかいて、私を恐がる態度はかわらない。
参加者のお母さん達は大笑い。
私は、そのようなかすみちゃんが、可愛くて、思わず写真を撮ってしまった。
幼児から見た世界に思いを馳せると、哀しいくらい、人生の情景が美しい。ごめんなさい、かすみちゃん。
住職は、今回の、館山「生死を考える集い」には、出家された当時の古い袈裟を着て講話をなさった。ほころびを縫った、古い薄い青い色の袈裟が、神々しく見えた。
住職は、神様が「うん」と云わなければ、幸せになれない世界は納得出来ず、色々修業された後、自分が密かに自ら考えていた教義と、禅の思想が一致した時の喜びを語られた。
一の世界、大海、完璧な静寂、大死一番の世界を、描写して頂いた。
自他の世界はあっても執する心なき世界。
住職は、「静寂を根にして下さい」と、おっしゃった。
「哀しんで下さい。自分が未だ知らないことを哀しんで下さい。そのことに気づいて、本来(仏性)に早く帰って来て下さい。そして帰って来たら、未だ道に迷って彷徨っている人に、"一緒に帰ろう"と声をかけてやって下さい」とおっしゃった。
人生は、ただ、本来へ帰ること。本来の家へ帰る道。