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February 22, 2011

パワーとフォース、「いる」と「する」、

何たる出会いだろうかと思った。一昨日の夕方、友人から薦められて見た映画(幸せの経済学)の後、会場で買ったインドのサテーシュ・クマール師の書籍の中身を、昨日朝、サラリと読み始めたら、その衝撃に心が震えた。

「フォースとは、軍隊や法律など他人への強制力、云わば外から与える力。パワーは、自分の内に働く力です。弱き者は、フォースを持たない人のことです。弱き者は、腕力もずる賢さも無く、花のように美しい、花はしかし、パワーに溢れている。花は、そのパワーで人を魅了します。花の力は、フォースとしての強さではありません。真の力とは、このように、控え目で優しいものなのです。パワーとは、「いる」力。フォースとは「する」力。

「いる」は非暴力的です。「する」は強引で、攻撃的で、押し付けがましい。「いる」は控え目、「いる」は、土や水や空気のように、花や木のように自然体です。」

ガンジーに魂を揺さぶられたと云うサテーシュ・クマール師、私の師事する住職も母親からガンジーのようになりなさいと云われ、修業を重ねて来られた。

「弱き者が世界を受け継ぐ」と、イエス・キリストの言葉も紹介してあった。

人間はヒューマン・ドウーイング(する存在)では無く、ヒューマン・ビーイイング(いる存在)ではありませんか?とは、感動の余り、涙顔になった私を、笑わせてくれた。


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