青木繁、没後100年
16日の日経新聞夕刊の社会面に、青木繁の下絵発見、愛知の男性所有、「海の幸」など資料60点など見出しがあった。
久留米出身の、明治の浪漫主義代表的画家と云われる青木繁、1911年、28歳の若さで結核で亡くなった
「海の幸」は、私が坐禅の会によく行く、房総・館山の布良(めら)の海岸で、1904年に描かれた。今回、布良の地名の入ったメモも見つかったと云う。
彼の「海の幸」は、大きな魚を棒に吊るして担ぐ、裸姿の荒々しい漁師達が描かれている。高校の教科書にも載っていて、よく馴染んでいた絵だったのだが、この荒々しい男達の中に、一人の顔だけ、若い女性の顔に塗り替えられていて、そして、この作品は完成したと数年前に知り、とても驚いた。
確かに、よく見てみると、こちらを見詰める女性の顔がはっきり描かれている。彼は、恋人の顔を、意図的に、作品の中の一人の漁師の顔とすり替えて描き込んでしまっている。
明治のロマンテイックな息吹きを感じる時代、漁師達の逞しい生命力、その中に最愛の恋人を描き込んだ、青木繁の芸術への気迫に圧倒される。描いた画家、描かれた恋人のロマンが、時を忘れさせる。
私の故郷のすぐそばの久留米の画家が、私がよく坐禅に訪れる館山・能忍寺のある布良の海で、この「海の幸」を描いたことが、嬉しい。
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