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January 31, 2011

足りないもの補うとするから、修業できない

住職から、修業する者の覚悟を試す時の話を聴いた。

足りないものを補おうとするから魔教に入る。

歴史に名を残すほどの名僧達は、弟子達に、自分の仏性(アートマン)を分かったものしか、修業はさせなかったと云う。汝はそれなり。絶対大丈夫から入る。

修業とは、何かを得るのではない。捨てて捨てて、捨て抜いて行くのが修業。己のカルマ(前世も含めての、過去の経験の印象・気分の総称)を脱ぎ捨てて行く過程が修業。

己の仏性に気づかせてくれるのは、苦や悲しみや逆境。

救いの入り口が、苦・悲しみ・逆境だったとは。涙が出て来る。

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January 30, 2011

マブルーク・メッセージ届く、日本サッカー優勝

今朝、深夜3時頃、携帯メール受信音で、目が醒めた。こんな時間に、珍しいので、何だろうと思ったら、「Mabrook (おめでとう)、it was really fantastic game」とあった。

アラブの私の人生の恩人からだった。彼は、私の再就職の恩人だった。私が、門をたたいた時、初めて会ったのに、彼は満面の笑顔で、まるで私を救出に来たかのように、スムーズに採用してくれた。

アラブでは、サッカーは、国民的大人気のスポーツ。彼は、日本を応援して、大勝利に興奮して、感激の余り、私にお祝いのメッセージを送ってくれたのだろう。

共に、私は勝利の喜びを共有したいと思った。地球の裏側でも、遠い国でも、心が通じ合う人がいることは、人生の宝だと思う。

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January 29, 2011

おろし金、巻尺、アラビア語講座

昨日はアラビア語講座の終了打ち上げパーテイーを、日暮里チュニジアレストラン・クスクスでやった。

アラビア語を学んでいるのか、ギャグを云いに来ているのか分からないくらい、愉しく授業を受けさせて貰った。私には、アラビア語の響きが時折、すごいギャグネタになってしまって、大笑いのもとにもなった。

昨日は、全員で7名、ゲストにまた、TVアラビア語講座の可愛らしいエジプト人女性・リームさんが来てくれて、店のチュニジア人マスターも交えて、とても盛り上がった。

私は、笑いの元は驚きだと思っているから、周りを驚かす為に、今回、小道具を持って行った。リームさんに、おろし金(生姜などをするステンレスの小さな道具、そじ坊で買った)を出して、これは何でしょう?と質問した。 答えは、大体当たったが、そんなものを持ち歩く、「マイおろし金」の発想は、意味不明のユーモア。(以前、「マイ・ふぐひれ」を持ち歩く人もいた・・・・????)。リームさんも、意味不明そうに、周りに連られて笑っていた。

アラビア語の「ようこそ」の意味の「マルハバ」と聞くと、何となく、すぐ巻尺(幅を計る)を思い出し、店のマスターには、「巻尺」をプレゼントした。これも意味不明ギャグ的行動。以前、仕事で来日した外人の友人が、何でもかんでも、目につくものの長さを計っていたので、何で計るのかって聞いたら、「趣味」と云われて、意味不明で大笑いした。

昨日は、アラビア語も多少は練習したが、ちょっと、面白モードになり過ぎて、羽目をはずしたなー。

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January 28, 2011

私が宇宙一杯に広がる感覚、そして二元に遊ぶ

「心と身体」と云うが、共に物質的だと住職は、説明してくれた。心も物質的だと云うことには私は、驚いた。

五感六識に惑わされるものは、確かに物質的だと思う。その五感六識に惑わされず、じっと背後から見ている、昔から変わらぬ自分がいるような気がする。

「身体は自分のものであるが、自分では無い」、身体をぎこちない、不便な存在として捉える境地は、すごいと想う。

大海である魂、不生不滅の虚空世界、永遠にして安らいでいる世界、単純にして美しい世界など、連想する。その、昔から変わらぬ自分は、個を越えた存在で、宇宙一杯に広がっているような気がする。

身体と心の作用で、物質的に生きて行くのが人生としても、それは二元に遊ぶように生きて行ければ、素晴らしいと想う。それは、大海である私が、波である私を遊ぶ境地。

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January 27, 2011

幼児、小学生観察

一昨日、終業後、久しぶりに、ヒッポファミリークラブ例会に出席した。

ヒッポクラブには、2歳前の女の子の幼児も、来て楽しい。私の顔を見ると、すぐ泣きそうになり、その変化が分かり易く、他の人も、すぐ笑ってしまう。私は、なるべく目が合わないようにするのだが、ちっちゃい女の子は、男性の顔を見ると恐がるのだそうだ。先日も、ルンルンで部屋に入って来たのだが、私の顔を見るや否や、泣きべそをかいてしまった。

そんな幼児を中心に、周りの人たちで、アンパンマンの歌など歌ってあげたりして、遊びながら、語学の勉強・練習をする。

このような光景は、日常のビジネス社会とは、別世界で、とても面白く感じる。小学生の男の子達は、サッカーや野球の話が好きで、子供どうしでちょっとあばれて、全く別の生きもののようで面白い。

幼児の時代、小学生の時代、人間が、人生で見せるその時その時の光景には違いない。昆虫でも観察するかのように、面白く感じてしまう。

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January 26, 2011

雨粒も、一粒一粒が、落ちるべきところに落ちる

「雨粒の一つ一つも、落ちるべきところに落ちる。」

「人は、人生の中で会うべき人には、必ず会える。それは、早過ぎず、遅過ぎずない時期に。」

このような、人生への示唆は、宇宙の理のゆりかごの中にいるようで安心する。御釈迦様の手の平の上。神の御心のまま。

そして、素晴らしい人に出遭えば、母が差し向けてくれた人だと想う。

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January 25, 2011

アラブの人達の変更の多さの背景考察

アラブの人達の、特異な文化なのだろうか、約束の直前の簡単な変更要求の多いことには、時々閉口することも多い。偉い人どうしのアポイントにもかかわらず、堂々と直前の日程変更に、何度も、驚いて来た。アラブとは、何十年付きあって来ても、いつも再認識する事項。

観光とかの場面で、仕事より深く、彼らと付きあってみると、彼らの行動・思考に同化して、何となく彼らの世界も見えて来るような気もする。

長い歴史の中で1932年、中東で石油が発見されるまで、実に最近まで、ビジネス社会ではなく、砂漠の遊牧文化だったメンタリテイーの自然な行動なのだろうとも思う。

遠い日時の約束は、神の思し召し次第。直前になってしか決められない。時間も、ゆったり流れ、大体で好い。日の出頃、昼頃、日没頃。

ことある毎に、インシャラー、マーシャラーとか、神の思し召しのままに、神は素晴らしいと云ったニュアンスの感嘆のことばを耳にする。彼らは、西欧・日本社会より、「素朴に、今に集中して生きている」のかも知れない。

アラブの人達によくある直前の変更要求は、西欧型・先進国のビジネス社会では、内心、呆れるほど失礼に思えるが、内実は、田舎のお爺ちゃん、お婆ちゃん達のような、素朴な、純真な提案なのかも知れない。

別世界の存在は、大自然を見るような思いにもなる。

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January 24, 2011

泉区民文化センター、New Year Jazz Concert

昨日は、アラブのゲストも離日し、リラックスの一日だった。午後、横浜、相鉄線・いずみ中央駅の泉区民文化センター(テアトルフォンテホール)で行われた、今田勝、ニューイヤー・ジャズ・コンサートに行って試た。

初めて降り立つ知らない街・いずみ中央で、リラックスした日のJazz の響きは、格別だった。

ゲスト出演に、今田勝さん(ピアノ)の音楽仲間のご友人の娘さん、市原ひかるさんと云う若い20代の新進気鋭のトランペット奏者も出演された。今田さんのピアノとの"マイファニーバレンタイン"♪のトランペットは素晴らしかった。

20代の彼女の演奏を、そっと暖かく、称えるように、周りのベテラン奏者が見守るように演奏していた姿が、父親っぽくて、心地好かった。私には、ちっちゃい女の子が頑張って演奏しているように見え、ジーンと来た。

今田勝さんのピアノ、守新治さんのドラム、稲垣護さんのベース、今村祐司さんのパーカッションが、見事に輝いていた。アンコールは、2回もあり、会場を去りがたいくらい盛り上がった。

今日は、娘が海外旅行(欧州)へ早朝から出発する日。娘にとって、「いい日、旅立ち♪」の日。

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January 23, 2011

お祈りに警備員がびっくり、みなとみらいのカフェにて

昨日はアラブ訪日団全員5名を横浜観光に案内した。ホテルオークラ発地下鉄、電車で桜木町から、ランドマーク、インターコンチ、ワールドポーターズ、大桟橋、中華街、元町、伊勢崎町のアラブレストランと云うコースを、殆ど歩いた。彼らが、「アラー」と歓声をあげて喜ぶ姿が、私のガイド魂を刺激し、益々意欲を湧かせてくれた。

私にとっての最大の驚きは、お昼、みなとみらいのカフェの外の椅子で、お茶を飲み終わり、ちょっと人が少ない一角を探して、5人が男女、3人、2人に分かれて、メッカ方向(西南方向)を向いて、お祈りを始めたこと。小さな声でコーランを唱え、ひざまづいたり立ち上がって、頭を垂れ、約5分くらい祈りに集中していた姿。

それでも、場所はみなとみらい、すぐに巡回中の警備員が2人飛んで来て、不思議そうに眺め、止めようとした。私は、「すぐ済みますので、ちょっと待って、祈らせてやってくれませんか」と頼んだ。店の近くで、この様な行動は、営業妨害とクレームされる心配があるのでと、途中で、更に、目立たない別の場所で、警備員立ち合いの元で、祈りを継続することになった。穏かに警備員の指示に従って、お祈りを継続する彼らの姿は、ちょっと敬虔で、尊敬した。

仕事では、産油国の首脳の肩書きから、威張って見える彼らが、こんな私生活の場面を見せるのかと、とても新鮮に驚きを感じた。

それから、クイーンズタワーA塔のエンジニアリング会社・日揮(JGC)本社の前で、感激の記念写真。今回の代表は1982年、28歳の時、研修で上大岡にあった日揮さんの本社で約1年研修したことがあり、日揮さんには特別のノスタルジアがあった。私は、事前にこのことを知っていて案内したら、彼は私に抱きつくように喜んだ。

しめくくりのアラブ・レストラン(レバノン料理)は彼らの指名の店で、日本人が海外で日本食レストランに入るように、落ちついて、大好物のアラブ料理を食べ、横浜の旅を満喫していた。夜8時、電車で横浜駅7番ホーム・東海道線で、東京方面に送り出す時、電車に乗りこんだ全員が、私に手を振って、深くおじきをしてくれた。これが、私のガイド魂。

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January 22, 2011

石油会社OBの方々の情報に救われた体験

先日のホテル・オークラの石油業界顧客とのレセプションの時、アラブ代表団の代表が、スピーチの中で、アラブと日本の石油会社の関係の起源について触れ、来日直前に調査を依頼して来た私の調査結果に感謝して、内容を紹介してくれたのには、びっくりした。

訪日団が来日の前日に依頼して来て、私は、参ったナーと嘆いたが、先ず正攻法に各社の石油輸入部門に問い合わせてみた。やはり、懸念通り、日本の石油会社の黎明期の頃の話は、現役の窓口の人達では、情報入手は殆ど、困難だった。

そこで、咄嗟に想い出したのが、石油会社OBの友人・知人の方々であった。早速、電話、Emailすると、信じられないくらい多くの歴史情報が一瞬にして集まって来て驚いた。

結果を、要約して、アラブ代表団の代表に報告すると感激。大感謝され、また驚いた。

こんなことが無いと、そんな古い歴史情報は、価値を認識することは余り無いと思う。

何気ない人付きあいが、私をこんなに助けてくれることもあるのかと、情報を頂いた方々の顔が浮かび、胸が熱くなった。

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January 21, 2011

アラブからの訪日団レセプション無事終了

昨日は、前日に続き、アラブからの訪日団の日本の石油会社の首脳との会談に同行。

夜は、日本の顧客約200名を招いて、ホテル・オークラでレセプションを開催した。私は、アラブ人に、日本の御客様達を紹介して回る役。沢山の業界人との懇談は、懐かしい人もあり、愉しかった。若手の業界人との交流も、将来の可能性が感じられ頼もしかった。

昨年年末に、急遽アラブからの来日予定が確定し、一時はどうなるかと内心心配だった。極短期間で年末年始を挟んでの各社とのアポイント、ホテルのレセプションの準備等、大あわてだったが、何とか形が整って、ほっとした。

今日で、日本に於ける公式行事は全て終了で、明日は訪日団を、プライベートに横浜観光に案内予定。

観光案内は、私の得意種目。寧ろ、石油の仕事より、向いてるかも知れない。アラブからのゲストの想い出の横浜観光を演出してあげようと思う。

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January 20, 2011

殺伐としていた会社生活の光景も、今では味わい

昨日からアラブ人訪日団がの日本の石油会社トップへの表敬訪問を開始。私も、訪日団随行のスケジュールの渦潮の中に撒き込まれた。

昨日はその初日、無事、石油会社3社を訪問、好い会談を持ててほっとした。全て準備通り順調。

夜は、解放されて、私は、横浜で、前の会社OB諸氏約10人との同窓会にも無事出席できた。5歳~15歳くらい年上の会社の先輩達との同窓会は、若い頃の自分を想い出して懐かしい。あの頃は余裕が無かったなーと想い出す。滑稽なくらい、一所懸命だった。

当時の、強烈だった上司も、ちょっと苦手のいやな上司も、今ではかわいいとさえ思う。

この同窓会は、生意気に、全員一致でしか新しい会員を入れないルールで、既存メンバーの誰かが拒否権を行使すれば、仲間に入れない。ある程度、人格が協調できる人達の閉鎖された同窓会と云う点が面白い。私も発起人であるが、中々のギルド社会(参入障壁高い社会)だと苦笑する。

最若手の私が幹事で、会社の先輩達と今では会社以外に、いっぱいに広がった人生を語る。

こんな時代が来たのだと、感慨深い。これも、人生の絶景かも知れない。


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January 19, 2011

幻の"娘とのスペインの旅"

近くヨーロッパへ海外旅行する娘が、2月半ば約1週間、スペインで私も合流出来ないか聞いて来た。

フランス・イタリア・スペインと、来週から来月半ばまで、女友達と2人で旅する予定で、スペインからは1人になってしまうとのこと。

娘と、スペイン2人旅なんて、是非、万難を排して行きたいと思った。

仕事は、その頃、私か同僚の海外出張予定があり、また会社の女性も丁度その頃に親を連れての海外旅行休暇予定のダブルパンチで、会社に相談するきっかけも無く、あっけなく断念した。

一生で一度の娘とのスペイン2人旅のチャンスだったろうなーと、とても残念だった。

それでも、娘の提案は、とても嬉しかった。一緒にスペインの街を旅する情景も、心の中で想像した。それでよい。

思い通りにならないことでも、また、人生の糧にすればよい。それも人生のほろ苦い味わい。


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January 18, 2011

サラリーマン辞めた時の喜び、サラリーマンに戻った時の喜び

そう云えば、28年勤めたサラリーマン辞めた時の解放感は感動的だったなー。当時私は、奴隷解放のような気持などと、公言していた。

早朝に小説を読んでみたり、色んな旅をしたり、色んなセミナーに出てみたり、自費出版など考えてみたり、起業してみたり、吹き矢の会に入ってみたり、男の料理教室にも行ってみたなー。ガイド試験にもチャレンジした。座禅にも出遭った。食育にも出遭った。父が属していた満洲の会にも行くようになった。ブログを書き始めたのも、会社を辞めてから。

まさに、人生のルネッサンス期だった。

それでも、数年経つと、余りにも自由過ぎて、不安になって来て、収入の心配も増して来て、またサラリーマンに戻りたくなった。

またサラリーマンに戻った時の安堵感も感動的だったなー。今度は、サラリーマンをやりながら、また自由な気持になれた。今度は、節度の効いた自由で、静かに味わえる自由だった。

結局、サラリーマンの束縛感と自由な気楽な感覚は、併存していて、当人の受信機がどう捕らえるか次第だったことが、今更ながら分かる。可笑しな発見。

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January 17, 2011

佐渡の月光仮面37年、欠かさず小銭のお年玉

佐渡東署に大晦日に1974年から、37年間、毎年、月光仮面の名前で、小銭のお年玉が届いていると云う。今年は、13,687円だったと云う。「交通事故などで困っている人に、少しでも役立てれば幸せです」とのメモが添えられていたとのこと。

佐渡西署でも、この8年、同じように、月光仮面の名で、大晦日に、小銭のお年玉が届くようになったと云う。今年は、18,553円だったと云う。

毎日、誰か、余り裕福では無い人が、せめて自分に出来ることをと、小銭をコツコツと、貯金箱のように、月光仮面の資金を貯めているのだろうと思った。

小さなハチドリが、森の火事を消す為に、川の水を枝にすくって、火事を消している光景が浮かんだ。

住職は云う。発心が正しければ、どんなに遠く、何万年も時間がかかっても、大丈夫。矢が正確に、的に向かって飛んでいる姿が見えるでしょうと云う。

発願、正しければ、何年かかろうとも、矢は既に、的に当たっている姿が見えるでしょうと。

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January 16, 2011

海外援助対象国研修生の鎌倉案内同行体験

アラビア語講座の友人の紹介で、昨日は初めて、JICAの海外研修生(来日中)約30名の鎌倉観光に善意ガイドのオブザーバーとして同行してみた。

外務省の援助対象国だから、発展途上国からで、ペルー・ベトナム・タイ・インド・マレーシア・パラグアイ・パナマ・エチオピア・フィリピン・アフガニスタン・ナイジェリア・パキスタン・ブラジル などの人達と鎌倉を散策した。

先進国の人達は、お金を払って、観光するだろうが、この研修生達は、このような無償の善意ガイドに頼るしかない。このような活動は社会奉仕の一環だと思った。

世界には圧倒的多数は貧しい。その圧倒的多数の貧しい人達に思いを馳せることは、自分の人生をハッと気づかせるショックがある。

小さな驚きを感じる生き方を目指す私には、このような国の人達と会うことは、貴重な異文化体験だった。

無償の行為、無私の行為、無功徳常精進(功徳無きところに働く)など、住職から日頃、聴く言葉を想い出した。

発展途上国の人達と一期一会の機会に、精一杯のもてなしをすることは、人類を、地球を愛でる行為ではないかとさえ思った。ちょっと、善意ガイドの活動に心地よい刺激を受けた。

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January 15, 2011

「汝はそれなり」、の意味

禅の修業では、「汝はそれなり」と云う言葉はよく聞く。漠然と汝は神なり、汝は宇宙の意思なりとか、感じてはいたが、住職の新たな説明を聴き、ちょっと理解が深くなったように思う。

火自体は、自らを焼くことも、明るくすることも出来ない。

火、その物、それが「汝はそれなり」と云うこと。

すべての根源、それが「汝はそれなり」。

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January 14, 2011

不ニ一元論、 二つで揃って一つ、大安心の哲学

一元論と云っても、陰と陽、プラスとマイナス、と二つの対立するものが揃って、一つの働きを成すとは、凄い哲学だと思った。棒磁石のS極とN極は、どんなに小さく切り、刻んでも、片方だけには成り得ない、常に両極は残る。

昨年秋、インドを訪問して来た住職は、「インドの最大の発見はゼロだ」と、インドの僧に云われた時の感動を語ってくれた。

ゼロは無ではなく、プラスとマイナスが拮抗するゼロ。ヴェーダンダ哲学の真髄。

自然界、宇宙は、矛盾と統一を繰り返す作用。開(かい)と合(ごう)の繰り返し。息は、吸はなければ吐けない、吐かなければ吸えない。

幸せだけを求めても、それは苦しみ。幸せと不幸が揃ってこそ、大安心の宇宙の調和。

堂々と、自然界の作用、反作用を見れば好い。大安心、絶対大丈夫の世界が広がっている。どちらに転んでも好い無条件の境地が広がっている。春は花、夏ホトトギス、秋は月、の道元禅師が見た世界。

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January 13, 2011

越後・瞽女( ごぜ)唄、越中おわら節、倉敷音楽祭3/19-21

新潟に古くから伝わっていた、瞽女( ごぜ)と云われた、盲目の女旅芸人の三味線などの芸を、一度聴きたいと思っていたら、今度3月19日ー21日の倉敷音楽祭であると云う。音楽祭では、越中おわら節のステージもあると云うので、どうしても行きたくなった。

年末にフラリと旅した岡山・倉敷で、偶然、見掛けたパンフレットに倉敷音楽祭(倉敷・北陸交流)のプログラムが紹介してあった。

私がまだ、本格的に座禅に廻りあう前、瞽女( ごぜ)の小林ハルさんの言葉にはいたく感動したことを想い出す。

「良い人に会ったら、お祭りを楽しみなさい。悪い人に会ったら、修業をさせて貰いなさい。人生は祭りも修業も大事です。」と云う言葉は、私の一生の宝になった。祭りだけでは生きていけない。修業だけでも生きていけない。人生は祭りと修業の組み合わせ。修業をさせてくれる人にも、感謝しなければならない。そんな汚れ役までして、私に何かを教えようとしてくれている。そんな感動・気づきをくれた、瞽女( ごぜ)の小林ハルさん。

富山の越中オハラ節は、祭りなのに、何かもの哀しげな、ニ胡の音が漂う、寂しい祭りの哀愁が好い。

倉敷音楽祭への旅への憧れが、今から私を、ドキドキさせる。

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January 12, 2011

善意の輪、どうだ参ったか、神様とかくれんぼ

もうすぐに迫った、アラブからの訪日団の受け入れ関連で、昨日は業務に一心に集中した。仕事はまだまだ終わらないが、夜は、バランスを取る為にも、得意なギャグを聴いてくれそうな懐かしい友人達との小さな新年会をやった。ちょっと飲み過ぎた感じ。

今朝もタイガーマスクのニュースが、すごいなーと感動する。二日酔いなんかしてられない。タイガーマスクを見習わねばと、奮い立つ。

今朝の日経新聞・社会面に、「タイガーマスク現象急拡大」、「覆面の善意は照れ隠し?」とか見出しが踊っていた。

神様は照れ屋さんか?、神様と、かくれんぼ、鬼ごっこか?、人生に、人間にうっとりする。

私は、もし、将来、こっそり、神様に気づいても、知らない振りをして、そっとしておこうと思う。自然界の生きものを、そっと見守るように。

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January 11, 2011

癒しとしての労働

3日間の休日、禅の世界にどっぷりと、別世界を見た後、今週から、また仕事にどっぷりの週が始まる。

修業に於ける作務(さむ)は、大事な修業の一部。作務で、悟りの境地を得る人もいると云う。

作務は、時に、苦しみを和らげ、懺悔の気持ちを起させてくれ、また作務は祈りを深めてくれる。

「苦しみ・祈り・作務」、この三つは、修業には大切なこと。

「苦しみ・祈り・作務」の三つが合わさって、いつしか感謝の念がほとばしり、光となる。

そんな住職の言葉を想い出しながら、今日から、ただ黙々と、仕事に集中しようと思う。

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January 10, 2011

顔の見えない神様

今朝もタイガーマスクの贈り物のニュースに泣いた。小さな女の子が「うれしかった」と云う表情が、人間に希望を与えてくれる。私も救われている。

施設の子供にとって、ランドセルはどんなに輝いていることか。他の施設には、子供達が大喜びするような、おもちゃやぬいぐるみも。私は、人間の仏性を見るようで、うっとりした。

哀しみのある子供達には、虚空世界から、誰かを遣わし、このように、素晴らしい体験で、褒美を与えて下さる。

私の父、姉、は満州から逃避行の時、みずしらずの袁さんと云う行商の叔父さんが、家に泊めてくれて、数日間一緒に歩いてくれて、日本へ帰れるように導いてくれた話を想い出した。その後、父も、袁さんの消息はすぐ分からなくなっって、私は未だに、恩返しすることが出来ない。袁さんは、私のタイガーマスク。

顔が見えないからこそ、神が宇宙一杯に広がって見える。道を歩く、この人が、あの人が、もしかして、と神々しくさえも見えて来る。

子供達にとって、神様の腕の中にいるような安らぎを与えてくれることだろう。

虚空世界は、すぐに、統一する力で、エネルギーを放出して、守ってくれている。大安心の世界。

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January 09, 2011

大海に泣く、菩提心に泣く

住職はおっしゃった。

「大海は、離れようがなく、別れようがない」と。

破壊・誕生・維持も、全ては死をもって終わる。

しかし、菩提心は宇宙そのものであり、死をもっても終わらない。

菩薩心とは、「己 未だ 渡らざる前に 一切衆生を渡らせんと 発願する」。(自未得渡先渡他)こと。

「乗り物が宇宙」なのだから、永遠の安らぎ、大安心の境地。大死一番の境地。

肉体は私のものではあるが、私ではない。肉体の死は、小さな死。

壮大な、光の世界のような、安らぎ。


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January 08, 2011

年賀状の勘違いの面白さ

年賀状には、時々勘違いのユーモア発見が面白い。

印刷漏れと思われる白紙の年賀状、でも表には、ちゃんと宛先の私の住所・名前、発信者の記載もある。重なっていて、印刷漏れの葉書を、勘違いで投函されたのだろう。おっちょこちょいさん。

同じ人から2枚の同じような年賀状。出したことを忘れてもう一度? 勘違いと思われる。発信名簿チェック管理が弱い人。ラテン的に、大雑把な人。(自分もドキッとする。)

知らない人からの年賀状、これは、私の方の問題か? 捜査は迷宮入りか?大丈夫かな?数年前に体験した。最近は無いです。脳内の伝達物質(たんぱく質)充分ですから。

"可愛らしい勘違い"の年賀状のシーズン。

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January 07, 2011

幸せそうに見えても、

幸せそうに見えても、愛する人を失うことを強く恐れながら生きている不幸せが併存している。

不幸せそうに見えても、もしかしたら愛する人と今生でまた逢えるかも知れないと云う希望を抱いて生きている幸せが併存している。

持てる者には、失う恐れの不幸。持たざる者には、得るかも知れない希望の幸せ。

何たる宇宙の調和に抱かれていることか。

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January 06, 2011

正月モード、一変

新年は、4日から業務スタートし、今年は、アラブの本社幹部訪日団の来日を1月下旬に控え、顧客との面談、レセプションのアレンジで、初日から、ガツンと仕事臨戦モード。

昨日は昼、経団連会館の石油連盟の賀詞交換会にもあわただしく出席。石油関連の各種レポートの提出も今週末に迫り、今年、まだ2日目なのに、石油にどっぷりって感じになってしまった。ちょっと正月の旅モードから、ピリッと、我に返った感じ。

それでも、8日から3連休には、座禅や気功で、心を落ちつかせようと思う。

緊張と弛緩、これは、自然のリズムに合って、悪いことでは無い。

こんな日々でも、通勤途上には、ぼんやり考えごとが愉しくもある。

「人生とは、壮大な量のエキストラに囲まれた、自分が主役の映画」のようなもの、など考えたり。

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January 05, 2011

信頼して、見つめる、それは安らぎ

弟、姉、妹、娘など、会えば、何も云わずに、ただ心が休まる。生前の両親も想い出せば、同じように、会ったような気持ちになり、心が休まる。

言葉が要らない人間関係って、感動する。

住職も、小浜の仏国寺の原田老師様と会うと、ただ無言で、お互いに手を取りあって、大いに笑った、とおっしゃった。心が通じあうってすごい。

会わなくても、想像の世界でも、そのような人間関係があれば、生きて行ける。

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January 04, 2011

「見知らぬ我がまち」大牟田、地方TVドラマ

今回の九州帰省中に、弟の家で、以前頼んでいた地方TV局の「見知らぬ我がまち」と云う大牟田に関するドラマ(1時間半)をビデオで見せて貰った。

女子高校生が、炭鉱労働者だった祖父(一酸化炭素中毒後遺症)とのかかわりから、深く大牟田の炭鉱の歴史を、見詰めるドラマだった。みんなギリギリで、必死に生きてる時代だった。

大牟田の炭鉱に関する場面や街のシーンが、見たことのあるシーンでもあり、弟家族と、ここは街のあそこだとか、云いながら一緒に見た。石田あゆみさんもお婆ちゃん役で出演、お母さんが大牟田出身とか聞いたが、さすが方言はうまかった。大牟田の歴史を知り、考えることは、自分の人生のシーンを見るようで、嬉しい。

かつての人口(21万人)が、今や12万人の過疎になってしまった街・大牟田。私の時代に慣れ親しんだデパートの松屋も本屋の金善堂も無く、寂しいが、将来は必ず再生して行くと想う。新エネルギーの工場・メガソーラーも動き出し、3月12日には新幹線も全面開通する。こんな寂れた大牟田を、今の内に、よく見ておきたいとも想う。

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January 03, 2011

無人島・巌流島に、ただ一人体験

昨日は、小倉駅発11時17分の新幹線で横浜へ帰って来たが、早朝、運よく、門司港から巌流島観光へ行く時間があった。朝08:45、門司港発巌流島行きの船(約10分)で巌流島へ渡った。まだ早朝でもあり、客は、二人。もうひとりの人は、巌流島に着いた船に乗りっぱなしで、すぐ帰ってしまった。

09:00~09:20くらいの間、普段、無人島の巌流島には、何と私だけ。元旦とはうって変わって、2日は快晴の関門海峡。潮の流れをまじかに見て、行き交う貨物船を見つつ、武蔵・小次郎の記念碑の前に、一人静かに佇んだ。

短い時間ではあったが、巌流島に、私だけ、一人ぼっちと云う体験が、考えるだけで感動した。「武蔵遅いぞ!」と云う小次郎のように、砂浜で、次の連絡船を待った。時代劇のようで、かっこいい。

横浜に帰る当日の朝、こんな愉しい体験が出来ようとは、とても嬉しい驚きだった。

因みに、巌流島の決闘は1612年4月13日朝10時くらいの出来事。武蔵は小次郎を、124日も待たせて巌流島へ着いたと云う。坂本竜馬とお龍さんも、1867年、巌流島を訪れているとのエピソードも面白かった。


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January 02, 2011

明治・大正の世界、門司港駅へ

昨日午後、早くも、横浜への帰りの旅へ出発した。今回の帰省で、高校時代の友達にも会えた。四国から帰省の親友にも大牟田で会えた。

20代、放浪中、逗子のヴェーダンダ協会にも行ったことがあると云う親友は、喫茶店で、すごいことを云った。現在、生物多様性に関心が高い彼は、「生命は一つ、その現れを人は様々な名で呼ぶ」と云う感覚を語った。「自他一如」の世界を彼から聴こうとは・・・さすが私の親友と、嬉しい驚きだった。

昨日夕方、雨に煙る、門司港駅に到着した。初めて足を踏み入れる門司港の街。駅舎から看板、店など、全て明治・大正っぽい、映画のロケかと想うレトロな街にうっとり。

対岸に下関の灯りを見るホテルで、今年の抱負など、どう生きて行くか、静かに考えるひと時であった。

今日、小倉から新幹線で夕方には、もう横浜。ハッと我に返るような横浜。


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January 01, 2011

「無条件幸福」、2011年新年の想い

新年おめでとうございます。

無条件にして、幸福を感じられる境地、即ち、「無条件幸福」など、冗談めいた言葉ですが、素晴らしい境地だと、つくづく感じております。

正月は、大牟田で迎え、今日からまた、旅へ。

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