雪国館、越後湯沢
今回の新潟訪問の時、越後湯沢へ途中下車して、 駅から7~8分歩いた場所にある「雪国館」を訪ねた。
余りにも有名な川端康成の「雪国」は、私は読んでおらず、これまで、漠然としてしか意識していなかったが、今回の「雪国館」訪問で、その全貌を知ることになった。
昭和9年(1934年)、川端康成が35歳の時、訪れた湯沢の情景、芸者「松栄」(駒子)19歳との出遭い。その雪国の世界は、その美しい人生の一場面は、如何ばかりであったことかと、想った。
川端は駒子に断りも無く、小説を書いたことで、その後、駒子とはぷっつり、会わなく、会えなくなってしまう。
駒子は、25歳で芸者の年季が明ける時、客から貰った手紙を全て焼いたと云う、川端から貰った手紙も含まれていた。私の母は、再婚する時、過去の写真を全て焼いたと云うことを想い出した。駒子は27歳で、小高久雄さんと結婚。 83歳で1999年に亡くなった駒子(小高キクさん)の写真は、ちょっと、私の母の晩年の面影に似ていた。
それから、昭和40年代、川端は、三条に、30年振りで駒子に会いにでかけたと云う。小高キクさんの身内の方の話によると、三条の喫茶店で、二人は、約2時間、話したと記録があった。
新潟勤務時代、何度も列車で通った越後湯沢、初めて降りて、その川端康成の美の世界の空気を感じた。
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