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December 31, 2010

大晦日の想い、神様の腕の中、仏様の手の平の上、そして郷里の雪

大晦日になると、何故か、これまでの人生を振り返り、これからの人生を想う。

どんなことがあっても、結局、神の腕の中であったことを想う。これから起こるであろうことも、結局、仏様の手の平の上での出来事であると想う。

神様の顔は、仏様の顔は、はっきりとはイメージ出来ないが、両親の顔を想い出せば好い。「もう安心、貴方の顔が見えたから」、そんなことを想いながら、郷里の静かな年の瀬。

昨日、姉と行った大牟田駅前の松本レストラン。姉が両親を生前何度も連れて行ったと云う、両親が大好きなレストラン。昨日、姉と夕食した後、店を出ると、外は、雪だった。幻想的な雪だった。

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December 30, 2010

故郷、大牟田へ到着、2010年年末

昨日、夕方、故郷大牟田にやっと到着。

夕食は、弟家族、姉、弟の友人とそのお父さんと8人で、すき焼き店で、賑やかに過ごした。

私が子供時代に、年末は、私の誕生日でもあり、いつも母が、すき焼きをご馳走してくれていた。そのことを弟は覚えていてくれたのだろう。

私は、食育を勉強した今は、肉は余り食べなくなったが、想い出深い"すき焼き"のもてなしは、嬉しかった。

弟の子供達も、毎年大きくなって来て、もう"御馬さんの遊び"や、"飛行機ブーン"の遊びも似合わなくなった。それでも子供達と遊びたくなる。

すき焼き屋さんの主人は、昔の高校の風紀委員の先輩、久しぶりに会って、帰郷中の他の先輩との携帯連絡先など教えて貰った。

帰省した実感が、じわーりと湧いてきた。

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December 29, 2010

備中・倉敷、西の京・山口

昨日は、午前中、倉敷川沿いに、倉敷の白壁・土蔵と柳の街並みを散策した。大原美術館や、倉敷紡績発祥の地にあるアイヴィースクウェアと云う、倉敷の魅力を凝縮した小さな街のような文化地域を巡った。こんな、美しい街が、倉敷だったとは、今まで知らなかった。

昼は、地元名産と云う、"ままかり寿司"を食べて、さすがーと思った。その後、新幹線で新山口へ向かった。

初めて訪れる新山口駅。旅行センターの紹介で、すぐ湯田温泉の云う駅からバスで20分の旅館へ向かった。湯田温泉は、JR山口駅の隣の駅だが、大内時代からある歴史ある白狐の湯と云われる温泉街である。大内文化が栄えた周防の中心地、中原中也詩碑、種田山頭火句碑、長州の維新の志士達のゆかりの場所などが、紹介してあった。

今朝は朝6時入浴、7時朝食、9時レンタサイクルで付近を散策後、午後、いよいよ、郷里大牟田へ向かう。もう福岡大牟田へは、近い距離。2010年の私の旅の想い出がまた一つ。

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December 28, 2010

九州帰省途中下車の旅、初めて訪れた倉敷

昨日は予定通り、午後から休暇を取り、九州への帰省の旅に出た。品川発14:47分の新幹線で、岡山経由、倉敷へ。初めての倉敷は、駅前から白壁の街並みで、遠いところへ来た気分になれた。

知らない街に行くことは、人生の探検のように想う。私が生きて来た人生に、こんな光景は見て来たことは無かったと感動することは、人生への感謝、親への感謝、神への感謝に繋がる。

父性は、外へ外へと関心が向く。狩りに出て、生計をたてて生きて来た父性の遺伝子なのだろうか?母性は、内へ内へと関心が向く。家庭を守った母性の遺伝子なのだろうか?

人には、父性と母性は共に存在し、共有していると思う。遠くへ新世界を切り拓きたい気持ちと、落ちついた場所に留まりたい気持ちと。

外へ外へ向かっても、行き着くところは仏性。内へ内へ向かっても、行き着くところは仏性。

「群盲索象」のように、それぞれの人は、自分の体験したものを人生と確信してしまう。旅は、沢山の知らなかった光景を見せてくれ、子供時代に感じた、人生の神秘を蘇らせてくれる。

知らない街は、新しい力を与えてくれるような気がする。

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December 27, 2010

寂しく無い境地に共感

住職は、一人居る時も今は、寂しくはないと云う境地を語ってくれた。

草木と話が出来る。風と話が出来る。月と笑顔で話も出来る。

そんな境地であれば、一人でいても、寂しくはない。

私も、その境地は、共感することができる。

物理的に一人である事が、寂しいとは、ちょっと幼児っぽく感じる。

人と一緒の時間も好し、一人の時間も好し。


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December 26, 2010

母性の凄さの示唆

数日前、能忍寺の帰りのバスの中で、友人との会話で、凄い逸話を聴いた。(ヴィヴェーカナンダの言葉にあるらしい)

母子が道で恐い犬に出会うと、母子共一緒に避けて逃げる。

母子が道でライオンに出会うと、母は、子を後ろに逃がし、自分はライオンの攻撃に立ち向かい果てる。

私は、私のライオンとの遭遇の時、立ち向かう両親の姿が見える。人生の師も同じ。親友も同じ。妹も弟も、姉も、娘も。何たる、気づきだろう。

懺悔して、懺悔して、感謝なしには、生きていけない。

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December 25, 2010

宇宙と私の距離、真我と私の距離

人は、宇宙から切り離された存在と思う時、悲しみが始まり、そしてその苦しみこそが、宇宙と一体化した境地に至る第一歩。住職は西田幾多郎の哲学を紹介してくれた。

人は、孤独な旅人、そして虚空世界へ返って行く。これは水上勉の言葉と云う。孤独な旅人と云う苦しみの始まりから、虚空世界と云う宇宙と一体化した世界の安らぎと云う感じなら、西田幾多郎と同じ境地とも云える。

全ての人の悲しみには、他者を癒す力がある。自らの犠牲には、他者への思いやりがある。この言葉も住職は紹介してくれた。

全ては、自他一如の描写。大いなる安らぎ。

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December 24, 2010

「明るく前向きに」、は脆(もろ)い

昨日、館山(能忍寺)で、また、衝撃的な住職の言葉に出遭った。

「明るく前向きは脆い」

先日(10月末)の講演会で、住職が話された時の引用逸話の中にあった。講演会に行けなかった私は、その時のビデオを見せて貰ってる中に発見し、衝撃が走った。

哀しみの共感の中にこそ、深い安らぎがある。

自殺しそうな人に、「死ぬのは止めろ」では、ちっとも、その心には届かない。

「そうだね、辛いね」と云う深い共感があれば、その人は救われる。

私は、すぐ分かった。「明るく前向き」と云う言葉の持つ薄っぺらさ、突き放したような冷たさの部分が。

「明るく前向き」に生きる人の脆さを、すぐ直感した。

そんな体験をした館山の丘の上から見る、昨日の富士は、海を隔てて、一段と輝いて見えた。

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December 23, 2010

房総・館山・能忍寺へ一泊訪問

12月22日午後から、23日の祭日を利用して、館山・能忍寺へ、座禅と小さな忘年会に行くことにした。

住職や、出家した人、修業の人、道を求める人、数人との静かな忘年会の提案に私は、二つ返事で、行くことにした。

私の尊敬する師や、真剣に、道を求める人との交流は、何か、心地よい重たさがある。

二元に遊ぶ境地もある。

大好きな布良の海を一望する能忍寺。今では、私の、人生のシーンでもある。 (12月22日朝の記)

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December 22, 2010

娘との銀座待ち合わせ、小さなクリスマス・忘年会

昨日は、仕事帰りの娘と夜8時半、銀座の寿司屋さんで待ち合わせて、二人で親子クリスマス・忘年会をした。

娘も、前の会社を夏に辞め、今、銀座のデパートでアルバイト中で、また来年の春に、再度本格的に就職すると云う。
色々な、仕事の話、友達の話、旅の話など、楽しかった。

横浜の同じ家で、お互いに向かいの部屋に住んでいる親子だけど、ゆっくり外で二人だけで、小さなクリスマス、小さな忘年会をするのも、いいアイデアだった。年末に、お互いに、時間が無く、駄目かと思ったが、このような機会が出来て好かった。

娘が行きたかったと云う寿司屋だから、想い出にと、思い切って行ってみたが、高くならない様に、注文にはちょっとセーブした。これも、娘の云う希望をちょっとかなえつつも、娘へ私が伝授したい人生哲学でもある。

帰りの10時頃、銀座は、夜雨になった。店から、新橋駅まで傘をさして歩いた。忘年会帰りのサラリーマンで混雑する電車で、横浜まで話ながら帰った。何気ないシーンだが、幼児時代の娘と、成人した娘の現在を同時に、そばで見る様な、私にとっては、感動的なシーンだった。

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December 21, 2010

闇と光の一体性

カルマ(業)は、光を引き出す。損得、良し悪し、五感の作用は全てカルマ。

闇があるから光が出て来る。闇が無くなれば、光も無くなる。共に無くなる。それが統一。

闇と光は、一対のもの。

「油断するな、ものが二つに見えるぞ」、小浜、仏国寺の老師に、住職は云われたと云う。

カルマがあるから悟りがある。

カルマも悟りも共に消える境地、「生ぜず、滅せず」の世界が拓ける。


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December 20, 2010

「少食が長寿」の示唆

長寿遺伝子を発見したガレンテ教授曰く、「カロリー制限と運動こそ、人間の長寿遺伝子活性化には重要」。

確かに、若干お腹空いた状態って、悪いもんじゃない。何か精神活動、精神性高い様で、かっこいい。そして案外心地好い。

お腹一杯食べてしまうと、なんか馬鹿みたいに、のんびりとして、けだるく、精神活動も鈍る。決して心地好さは継続しない。

何事も、ちょっとした、余白・余裕みたいなものが、残ることが、達人。目いっぱいは、不安定。

運動も、ガレンテ教授が云わんとするのは、長寿には適度な運動が必要との意味だろう。運動も目いっぱいやると、反対に身体を壊す。

自然界の呼吸を感じるように、静かに調和して生きることの素晴らしさを思う。


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December 19, 2010

一元を説ける相手か否か?、相手の苦しみの体験の度合い次第

五感六識の運転を止めることで、一元の世界、大海の世界に近づく。

一元の世界、悟りの世界は、その必要性を感じない人には、不快・不可解なものと感じられる。

苦しみからの解脱を真剣に求める人にのみ門は開かれる。苦しみの根源の追求が浅い人は、自ら道を閉じたまま。

「門をたたけ、さらば開かれん」。

五感六識の世界で、心地好さを幸せと思う人は、その五感六識により、苦から逃れられないこともいずれは知ることになると思う。

五感六識は、生物としての生きて行くための武器、だがその武器は両刃の剣。

昨日の住職の教えであった。

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December 18, 2010

朝鮮半島情勢、危険水域突入

今日から21日まで、韓国軍のヨンピョン島海域での射撃訓練に、再び北朝鮮の警告が深刻度を増している。

穏かな年末には、なりそうに無い様な予感がする。

朝鮮半島情勢は、歴史的転換点に来ている様に感じる。

衝突が、限定的に終わって、北の政権が崩壊する方向では無いかと私は感じる。

朝鮮半島のこれから起こるであろう混乱の影響を、色々考える。

私も、歴史の目撃者。


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December 17, 2010

旅、散歩、特派員報告

昨日、異業種交流会の月例会で、佐渡に達者海岸と云う地名があり、安寿と厨子王の物語にも由来する話を聴いた。安寿と厨子王の話は、私の母から子供時代に、よく聴いたことがあり、厨子王が成人して、母と再会した場所が佐渡だったのかと、佐渡の海岸を想い出し、胸が熱くなった。

また、ある人は、ポカンと散歩する愉しみを報告してくれた。散歩の途中で、たまたま目にした、意味不明の建物、光景、がまた愉しいとのこと。「意味不明は気持ち良い」とのこと。私も同感。

私は、それぞれの人の、感じたことを、特派員報告を聴く様に、聴き入った。

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December 16, 2010

東京より寒いアラブって本当?

昨日の昼、ビジネスランチ中、同席者が、東京とアラブの当日の気温予想情報を、携帯(iPod)で調べ教えてくれた。

Dubai : 18℃~26℃ (12:30時点、18℃)
Kuwait : 6℃~22℃ (12:30時点、6℃)
東京: 6℃~11℃ (12:30時点、13℃)

日本のLunchの時間12:30時点では、東京は13℃、時差6時間マイナスのKuwaitは 6℃と、何とKuwaitが 圧倒的に寒かった。(日本時間の昼12:30は、Kuwait時間では朝06:30と一番寒い時間帯)

それにしても、アラブとひとくくりには云えないこの事実。

アラブと縁の深い私も、改めて驚いた。

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December 15, 2010

「建前と本音」、哲学カフェ

昨日、久しぶりに新宿の哲学カフェへ行ってみた。昨日は「建前と本音」と云う議題であった。

私なりに、整理すると、自分の本質を曇らせている色々な印象・気分(業:カルマ)を、日常生活では、本音と呼び、その本音は、浅くしか考えて無い人の本音と、深く考えている人の本音では、月とスッポンほど違う。本音で生きなさいとよく云われるが、自分の深い本音が分かってない人にとっては、危険でトンチンカンな不器用な生き方だと思う。

本音に見えないことを、人は建前と云って、軽くあしらう様な傾向がある。「建前と本音」の自分の本音の分析が余り出来てない人にとっては、議論は混乱を極める。まさに、群盲索象で、それに気づかない人は、不毛の議論。

私の感じる本音は、人間の持つ仏性。自他一如の仏性。昨日の体験で感じた私なりの気づき。

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December 14, 2010

夫婦関係の悪さを解消する、私の発想

世に夫婦関係が悪い人は山ほどいる。私の発案した、夫婦関係の悪さを和らげるために、自分で編み出した考えは次の通り。

(1)妻を、子供(娘)の親友と思う。→娘の親友だから、娘のためにも、それなりに扱わなければ仕方ない。娘の親友を憎しみの対象にはしたくはない。

(2)妻を、自分の不良娘だと思う。→自分の娘なんだから、面倒みざるをえない。のたれ死にされては、私も悲しい。

この二つの発想は、いつも私が、夫婦関係の悪さを嘆いた時に、思い出し、乗越えてきた私の独自の解決策。

生物である以上、犬の習性、猫の習性の様に、人それぞれにも、違った習性がある。行動も嗜好も食物も違う。それを、この生きものはそういう嗜好・習性の生きものなのだと、見れば、多少お金がかかったり、頭にきても、しょうがないなーと我慢出きることもある。

「打撃・衝撃は、己を学ぶ暗示なり」、住職の言葉も想い出す。

夫婦関係が悪くても、「晴れて好し、曇りても好し、富士の山」の境地で、どちらでも人生は味わい深く、素晴らしいではないか。自分さえ、ちょっと遠ざけて眺めて見れば。

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December 13, 2010

1975年、新潟ESS(英語会)

一昨日、横須賀で、国際交流の講演会で、1975年新潟ESSの小さな再会ドラマがあった。

もと新潟ESSメンバーの、NHKのアナウンサー・田辺光宏さんが、ヴェルク横須賀で、メキシコでのシニアボランテイアの体験報告をされた。その主催者側事務局にも、偶然もと新潟ESSの女性メンバーがいらっしゃって、その情報を最近知った私は、万難を排して出掛けた。何たる廻り合わせの再会、ばっちり、3人で再会の記念写真を撮った。

私が新潟勤務の新入社員の頃、NHK英会話のテキストで、社会人のESS(English Speaking Society)を呼びかけ、集まったメンバー。週に2回、NHK新潟のスタジオに集まって、日本人どうしで英会話を練習した。私の転勤後も何年もそのESSは続いたとのこと。

田辺さんのメキシコの話も、沢山の驚きがあった。1609年、千葉御宿漁民がメキシコの難破船の乗り組み316人を救助した交流の話。太平洋戦争直前までメキシコが、孤立した日本に石油を供給した話など。久しぶりの田辺アナウンサーの語りに、遠い新潟の青春時代なども想い出した。

「NHK・新潟ESS」、これは、私の人生の道標。

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December 12, 2010

アブダビ日本人学校の先生の短歌との遭遇

今朝、TV体操の前に、NHK短歌に、元アラブ首長国連邦アブダビの日本人学校の教職から、最近、帰国(福島)されたと云う、斉藤芳生(さいとう・よしき)さんと云う女性歌人がゲスト出演されていた。

「大いなるアラビア半島の主である砂漠を大股で歩むべし」

「この街に蒔かれて我は種子として雨を待ちつつ午睡から醒む」

私の娘もアブダビ日本人学校の卒業生。懐かしい校庭も想い出し、アブダビの大自然が、脳裏によみがえる。

今朝は、私の好きな、日の出前の、オレンジ色の東の空、とヒンヤリとした空気。

瑞々しい一日の夜明け。

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December 11, 2010

兄弟緊急連絡の楽しさ

私の郷里の大牟田の街がTVドラマ、「見知らぬ我がまち」に昨日夜の地方局の番組に出るとの情報を、前日友人からのメールで知った。

昨日の朝、早速、出勤前に、郷里に住む弟の家、姉に電話、更に参考情報で小田原の妹にも連絡した。

朝から、こんな、緊急連絡は、楽しかったなー。弟の家では奥さんにビデオを頼んだ。今度の年末帰省の時に、その番組が見れるかな。

弟、姉、妹と、この様な緊急連絡は、遠くに離れて住んでいても、昔一緒に住んでいた子供時代の様な一体感を感じ、ほのぼのとする。

「大変だ、大変だ」、とこの様な話を緊急連絡する私に、幸せを感じた。

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December 10, 2010

新幹線ホームの掃除のおばさん達の光景

先日、東京駅の上越新幹線のホームで乗り込む新幹線の到着前に、赤いジャンパー・黒い帽子の中年のおばさん達が、ホームで並んで待っていた。新幹線が到着するやいなや乗りこんで、素早く清掃するため、ホームで整列してスタンバイしている様子だった。ちょっとお化粧もされていて、業務に坦々と従事されていて、頼もしかった。

このおばさん達の中に、想像の世界で、母や、姉や、妹や、娘や、また冷え切った関係の妻などの姿を想像しただけで、感情が大きく揺れた。

ただ黙々と働くことの姿が、どれだけ訴えるものがあるのか、どれだけメッセージを伝えるものかと、ジーンとした。

色んな場面に、自分を深く、近付けると、衝撃的な気づきや、学びにも出会えると思った。

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December 09, 2010

東北の干し大根、「いぶりがっこ」

最近、昼休みなど、新橋のレンガ通りの老舗の漬物屋さんの前を歩くことがあるので、時々漬物を買うことがある。最近、はまったのが、東北名物「いぶりがっこ」。

干した大根が、香り、歯ごたえの心地よさ、雪景色の中で囲炉裏を囲んで食べてる様な気がして来て、とても好きになった。厳しい東北の冬の空気を一杯に吸った、大根の味がする。

先日、上越新幹線の中の雑誌"トランヴェール"の中に、"あったか青森・温もりの食""ストーブ列車""八戸の横丁文化にほっこりする"とか見出しに魅せられた。

最近、訪れた、越後湯沢の雪国館で見た、モノクロ写真のように灰色一色で描かれた雪国の里の絵画も想い出す。

そうだ、今度、JR大人の休日クラブで、八戸の横丁へフラリと旅したくなった。昭和の雰囲気が、そのままに残ると云う八戸。"たぬき小路"の"せっちゃん"と云う居酒屋の写真が雑誌に載っていた。

今朝も、昨日買ってきた、「いぶりがっこ」をちょっと、朝食に食べて出勤。

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December 08, 2010

我慢することへの感情が、リトマス試験紙

元々、思い通りにならないのが人生。

我慢することでも、幸せならば、愛している証拠。

我慢することは、やはり憂鬱なことなら、その人は無機質な、関心の薄い他人の一部。

我慢することが、怒り心頭ならば、愛する対象の正反対、憎しみの対象。

同じ人の中に、愛したり、無関心だったり、憎しみを感じたりすることもあることは、不思議。まるで自然界の壮大な現象を見ているよう。

我慢すること自体は辛いけど、その人のためになると思えて、嬉しくなる時、自己犠牲の素晴らしい境地が見えて来る。そのような対象の人がいることは、人生の素晴らしさ。

私にとって、そんな人は誰だろうかと考えると、ハッと気づく。自分で編み出した、幸せのリトマス試験紙。


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December 07, 2010

「世界3大悪妻」を初めて知る

一昨日、TVでトルストイの生涯のことをやっていて、トルストイが、妻ソフィアに如何に苦しめられていたかを紹介してあった。

トルストイは望んで結婚したのに、晩年82歳で、妻に耐えられず、家出して病死する。夫婦は反発・憎しみ合い、そしてそれでも別れずお互いに執着している地獄の日々が描かれていた。

殺伐とした、トルストイ夫婦の晩年の写真が残っていた。二人の表情に、その心の棘、苦悩が現れていた。

ソクラテスも、モーツアルトも、トルストイと劣らず、最悪の夫婦だったのだろう、世界3大悪妻と云う言葉で紹介されていた。「世界3大悪妻」の言葉に苦笑。

夏目漱石も、夫婦関係で大変苦しんだ話をよく聴く。有名になって、その分野で大成しても、対人関係の処理の難しさや、幼稚さ、その人のどうしようもない業(ごう)みたいなものを感じる。

"それぞれの夫婦には、それぞれの夫婦の病状がある"と云うのが、私の診断。そういう私も、病状は安定しているが、人のことは云えたものじゃないとも思う。いずれにしても、「世界3大悪妻」と云う言葉は、上には上がいるものだと苦笑。

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December 06, 2010

雪国館、越後湯沢

今回の新潟訪問の時、越後湯沢へ途中下車して、 駅から7~8分歩いた場所にある「雪国館」を訪ねた。

余りにも有名な川端康成の「雪国」は、私は読んでおらず、これまで、漠然としてしか意識していなかったが、今回の「雪国館」訪問で、その全貌を知ることになった。

昭和9年(1934年)、川端康成が35歳の時、訪れた湯沢の情景、芸者「松栄」(駒子)19歳との出遭い。その雪国の世界は、その美しい人生の一場面は、如何ばかりであったことかと、想った。

川端は駒子に断りも無く、小説を書いたことで、その後、駒子とはぷっつり、会わなく、会えなくなってしまう。

駒子は、25歳で芸者の年季が明ける時、客から貰った手紙を全て焼いたと云う、川端から貰った手紙も含まれていた。私の母は、再婚する時、過去の写真を全て焼いたと云うことを想い出した。駒子は27歳で、小高久雄さんと結婚。 83歳で1999年に亡くなった駒子(小高キクさん)の写真は、ちょっと、私の母の晩年の面影に似ていた。

それから、昭和40年代、川端は、三条に、30年振りで駒子に会いにでかけたと云う。小高キクさんの身内の方の話によると、三条の喫茶店で、二人は、約2時間、話したと記録があった。

新潟勤務時代、何度も列車で通った越後湯沢、初めて降りて、その川端康成の美の世界の空気を感じた。

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December 05, 2010

新潟ブルース、新潟への旅

12月4日(土)から1泊で新潟へ旅するので、横浜出発前に、5日のこのブログ記事を、4日に予約アップして出掛けた。

4日夜は、新潟駅前付近の居酒屋で、私の新潟・勤務時代の後輩達との同窓・忘年会。私は当時、工場の勤労課の独身社員だったので、新入社員の寮の寮長として、各部屋を毎晩見回り、消灯確認や、会社への引率とかをやっていた。マラソンもやった様な気がする。当時の新入社員の彼等にとってみれば、私は、云わば先生であり、兄貴分。彼らとの再会は、ちょっと異次元のような、愉しい語らいのひと時。

5日は、私が発起人で、1975年頃設立した、NHK新潟スタジオでの社会人の英語会、"新潟ESS"の旧友の方々を訪ねたり、新潟で開催の医学・健康のセミナーにも出席して、夜、横浜へ帰る。

♪新潟は、新潟は、想い出の街♪。(新潟ブルース)

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December 04, 2010

政治家とのチラッと会話の連続の怪

この数日連続で、パーテイー会場で政治家を見掛けて、名刺交換・チラッと会話などが、続いて変だなーと思う。

12月2日は、アラブ首長国連邦のナショナルデイで、毎年帝国ホテルでレセプションがある。今年も出掛けてみた。福田元総理は、日本UAE協会会長だから当然毎年出ておられ、今年もお見かけした。

会場で、寿司コーナーの前のテーブルで、隣にいらっした紳士に、「このパーテイーは、寿司は案外豊富のようですね」とか、話しかけたら、すぐ名刺を出されて、「国民新党顧問・亀井久興」とあり、「そう云えば、TVでお見かけしました」と私はとっさに反応した。暫く、政治に関する話をお聴きして、ちょっとした新鮮な体験であった。

昨日(12/3)は、シンクタンク関連の仕事の友人が、アークヒルズの事務所で、忘年立食パーテイーをやると云うので、初めてでかけてみた。50人内外の、主催者の家族・友人・知人の集まりだったが、そこに海江田万里議員が来て、びっくりした。どういう繋がりか、よく分からないが、何で、この2日、毎日政治家と偶然、話す機会があるのだろうと、不思議に思った。

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December 03, 2010

ロンドンの観光バス内で聴いたジョーク

先日、ロンドンへ行った時、観光バス内で、英国人男性ガイドさんが云ったジョークがとても面白く、強烈に、私の記憶に残った。

最初、バスの諸注意の案内の時、緊急時には、「上から酸素マスクが降りてきますので、それを口に当てて・・・」とか、ムー・・・・、1秒たって、大笑い。

バスを降りる時、「皆様、カメラなどお忘れ物なく。カメラを忘れる時は、使用書も一緒に、お願いします」も大爆笑。

私が、将来、英語ガイドをする時は、このネタは使えるなーなど、今から、内心微笑んでいる。

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December 02, 2010

みなとみらい、エステの会見学

昨日夜は、小田原の妹が属するグループがやる、エステの会を、横浜みなとみらいに見学した。

ホテルのスイートルームを借り切って、やる会で、横浜みなとみらいの夜景を眼下に見る、素晴らしい眺望の場所での催し。以前、私は、写真班を何回かしたこともある。

先日のAPPEC国際会議の時、中国首脳が宿泊したと云う、66階のスイートルーム。昨日は、あらためて、横浜のみなとみらいの夜景を堪能した。

そして、エステの会の見学など、男性では、なかなか見学出来ないイベントだから、そわそわしながらも、ちょっと冒険的に楽しかった。

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December 01, 2010

幼児、小学生の精神世界探検

昨日の夜は久しぶりに、地元のヒッポファミリークラブ(多言語学習の会)に出席した。

部屋に入ると、幼児が3人、1歳の女の子、5歳と7歳の男の子がいて、男の子達は、いきなりなついてきた。私の膝に乗って来たり、肩車になって私に登って来たり、ネクタイをひっぱたり、大変だったが、実は、私は、とても愉しかった。

ムツゴローさんが、小動物と戯れるような、そんな気持ちで、愉しかった。子供も頃、なついた、おじさんと、こんなに遊びたかったなーと、想い出したりした。

一緒に参加していた、小学6年生の男の子は、最近の子供2人だけの奈良・京都のお爺ちゃんの家への旅(横浜から)の印象記を語ってくれた。その話の瑞々しいこと。

奈良の鹿達は、自分の上げた餌には、あんなに群がって来るのに、何故、餌屋さんの餌を襲わないのだろうと思ったとか。お寺のお賽銭に、10円は遠縁(とうえん)になるから縁起悪いと知り、5円もコインが無く、持っていた100円を、沢山のお寺で、賽銭にあげ、約2000円も使ったとのこと。お母さんは、苦笑いで聴いていた。

このような子供の世界に入ってみることは、精神のデズニーランドだなと、微笑ましく思った。


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