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August 20, 2010

「拝金」、ノイローゼを連想

今朝、新聞の書籍広告に「拝金」と云う書籍の本の広告が載っていた。

お金を崇拝する「拝金」と云う響きに、病的な執着の極みを感じた。修業の正反対の境地。

お金は、人生を思い通りに出来る特効薬の様に見える蜃気楼に過ぎないと私は思う。

お金は、我がままの象徴。そこまで、自分の我がままを解放するために、拝金になるのかと、哀れになって来る。

拝金になるより、もっと大切な価値観に、早く目覚めなければ、人生は辛いと思う。渇いて渇いて、安らぎは無いと思う。

「拝金」への興味は、それぞれの人が、自分が解決しなければならない、今生の「業(ごう)」、地獄の一部だと想う。

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