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July 31, 2010

政治学科J組同窓会、三田につるの屋に9人の集い

政治学科J組、体躯会ラクビー部、ボート部、優秀銀行員タイプ、不良退廃タイプ、田舎学生タイプ、バンカラタイプ、ニヒルタイプ、普通タイプ、こんなことを思いながら、大学同窓を眺めて、久しぶりに三田で、談笑した。

久しぶりに見る、卒業アルバムの中の自分の顔に、思わず、連合赤軍の手配写真を想起して、内心大笑い。

同じクラスでも、大学時代は、余り話したことは、無かったが、先生が出席をとる時に何度も聞いた名前と、顔つきは、確かに同窓であったことの証し。

今になって、よく話してみると、こんな人物だったのかと、面白い。これも、人生の光景か、人生の節目の峠の絶景かと思う。

昨日は、夕方、オフィスを出る時、何故か、ワイルドワンズの"想い出の渚"を口ずさみたくなった。

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July 30, 2010

最終電車のハシゴに苦笑

昨日は終業後、業界の方3人と懇親会で、神田でかなり盛り上がった。2次会に九段下へ。あっと云う間に夜11:30。慌てて半蔵門線で渋谷へ向かって、気づいたら、渋谷を通り越して、12:20頃、桜新町と云う駅で気づいて、渋谷行き最終電車。

渋谷から、東横線・菊名行き最終電車に飛び乗った。菊名から自宅までは、タクシーで1800円くらい。やっとこっとで、深夜帰宅。

最終電車の風景をしげしげと見学。電車やホームで酔って寝てる人が滑稽で、また可哀想。

このような自分の行動の成り行きに、猛烈社員だった昔を想い出す。我ながら、苦笑いの、愉しい最終電車のハシゴであった。

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July 29, 2010

スピードスケート、清水宏保さんの両親の凄さ

昨日、長野オリンピック金メダル・スピードスケートの清水宏保さんの対談を初めて聴いた。

清水さんの父は、彼が高校生の時、癌闘病9年半で亡くなられた。余命半年と云われながら9年半生きて、喘息の持病を持つ彼の体力向上の指導を沢山、厳しくしてくれたと云う。

病院に入院中、父親の見舞いに行くと、「こんなところへ来る時間があったら、練習でもしろ」と彼を叱ったと云う。親としては、子供が見舞いに来てくれて、そばにいてくれれば、どれだけ、心強く、また安らぐかと、私は想うが、彼の父は、心を鬼にして、子供を追い返すようなことを云っている。父親は、既に、子供と一体化して、オリンピック金メダルを目指す夢を持っていたのだと想う。子供も返して、自分は一人ベッドで、彼の練習の姿を想い浮かべていたのだろうか。死が迫り、寂しくはなかったのだろうか。

父親の病死後、母は、工事現場、交通整理、ブルトーザーの運転など仕事をして、彼の運動を支えてくれたと云う。

長野オリンピックで、彼は、前日緊張もせず、自分の金メダルを確信した夢を見たと云う。現実の走りも素晴らしく、神かかりの様に力強く、スピードスケートなのに、後半は、この瞬間が終わって欲しく無いと、わざとゆっくり走りたいとさえ思ったと云う。

そして、清水宏保さんは、母親に金メダルをかけ、日の丸を掲げてリンクに舞った。こんな凄い家族がいたんだと、清水さん親子の人生に感動した。

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July 28, 2010

下條武雄先生、出版記念パーテイー

昨日夜、青学会館で開催された、日本コンピューター・ダイナミックスの下條武男会長の出版記念パーテイーに出席した。下條先生は、ベンチャー・ビジネスのバイブルと評される素晴らしい本(「楽しくダイナミックに」日刊工業新聞社)を、最近出された。

「上場するしないにかかわらず、大切なのは、社会に役立ち、人を幸せにする製品やサービスを開発・提供しようとする理念であり、・・・」と云う下條先生の哲学は、やはり修業された人であることを確信する。

下條先生の会社の会議室で開催されるカリスマ会(ニューパラダイム研究会)で、2003年、ゲスト・スピーカーとして見えた山口博永住職の禅の講義を、私は初めて聴いた。その後の私の人生を大転換させて頂いた出遭いであった。

その大元は、2002年秋の工学院大学の起業家講座で、下條先生の話を聴いたりしたご縁であった。当時、大変御世話になった中上崇先生(現・日本開発工業会会長)、中村和雄先生(現・日本ヒューマニックス社長)とも再会し、感激だった。私が、2002年夏、長年勤めた会社を早期退職し、彷徨っていた時に、素晴らしい人生の教えを頂いた方々。私は、ふんわりとした優しいゆりかごに揺られる様な気持ちになった。

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July 27, 2010

他策無かりしの人生か?

7月23日円覚寺夏季講座での手嶋龍一氏の講演で、初めて、若泉敬氏と云う古武士の様な、覚悟の人生を送られた人物がいた(1930年ー1996年)ことを知った。

沖縄返還交渉で、佐藤栄作首相の密使(コードネーム、「ヨシダ」)として、ニクソン・キッシンジャーと佐藤栄作の4人の交渉に立ち合い、沖縄核密約を一生の十字架として背負った男。大学教授を辞め、その後の福井県・鯖江での隠遁生活と、1996年7月27日の服毒自殺。

彼が死を覚悟して執筆した「他策無かりしを信ぜむと欲す」と云う遺稿の存在。平和における沖縄の領土返還と云う歴史的偉業の影を一身に背負った彼の人生に、驚嘆した。

人生の岐路に於いて、「他策無かりしの人生」を送っているか?、この様な問いは、人生にとても大切な問いかけだと思う。

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July 26, 2010

子供の世界、科学技術博物館のロマン

昨日は、午前中、円覚寺の夏季講座最終日を終え、午後は、竹橋の科学技術博物館へ直行した。

サイクリングクラブの行事で、自転車の科学技術的展示を見学した。懐かしい、昔の自転車にも出会えた。欧州で、初期の自転車は、ただ、子供の手押し車のような簡単な輪だけの構造で、足で蹴って進む、可愛いおもちゃのような自転車だったのには思わず笑った。

顕微鏡で、自分の手の細胞を見るとか、宇宙のスライド、天然ガスのコーナー、など、小中学生も沢山見学していた。

私は、帰りに、記念に、科学キャラクター図鑑「生物学」を買った。

鳥類のコーナーの驚き、
最高度を飛ぶ鳥:マダラハゲワシ、約1万1000メートル
世界最小の鳥:マメハチドリ、全長5センチ
世界最速の鳥:ケワタガモ、時速76キロ

チーチー蝉の声を聴き、穏かな、子供時代の夏休みを想い出した。

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July 25, 2010

顕微鏡で見るミジンコの啓示

アルトサックス奏者の坂田明さんの、「音楽とミジンコの不思議な関係」と云う面白い演題の講演を、円覚寺で昨日の朝、聴いた。

顕微鏡の中に、透けて見える、ミジンコの可愛らしい生命の営みに、坂田明氏は、自分の印象を色々解説してくれた。

「私が知っていることと、人間としての私には、150億光年の差がある」、彼は生命の営みへの畏敬を、こう表現した。

彼は、コップの中の小さなミジンコの背後に、無限大の存在が見えると云った。


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July 24, 2010

己とは厄介なもの、修業の度合いを計る物差しか

「己を抜きにすれば、解決しない問題は無い」、「己の無いところこそ、本当の安らぎがある」。

「人は、見たり、聞いたりしたしたことのゴミだめの中にいる様なものだ」

「我を無くした時、人は寂しくはない、大きな世界の中に入る」

「涼しさや、裸に落し物は無し」

本当の自分とは、「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪さえて涼しかりけり」

「何もかも失くした時、何もかもが有難く、何もかもが輝いていた」

「修業は、道行く、犬にも挨拶をしたくなる様な気持ちも、もたらす」

鎌倉円覚寺の夏季講座の老師様の言葉の数々、ただ、有難く、メモを読み返す。

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July 23, 2010

「初めてのお使い」、幼児の愛くるしさ、そして「人生のお使い」

数日前、TVで、幼児の「初めてのお使い」の特集番組を見た。

それぞれに、一所懸命な幼児の表情が、不安に立ち向かう真剣な表情が、貰い泣きする程、痛々しくなるほど、愛おしかった。

大人も、人生も、「神に命ぜられた、初めてのお使い」をしているようなものじゃないかと、不図思った。

誰しも、確かに、神に命ぜられたことがある。想い出して、歩かねばならない。

そして、お使いを済ませて、帰り着いた時、「よく頑張ったネー、エライねー」と云う声が聞こえるような気がする。人生も、愛おしい。

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July 22, 2010

「神は寛大」、「アラー・カリム」の慰め

昨日は暑かったなー。朝、スーツの上着を手に持って、会社へ出掛けたものの、通勤途上、東横線の電車の網棚へのせたまま、中目黒で日比谷線に乗り換え、スーツの上着を失くしてしまった。

スーツの上着には、最近買った気に入ったネクタイを入れていたが、財布などは入れてなく、助かった。

何度か、東横線遺失物取り扱い所に電話したが、遂に見つからなかった。スーツを一着失ったと思うと、我ながら、自らの不注意が情けなかった。

気持ちを切り替え、仕事は、テキパキと、プロらしくこなして、会社の帰り際のこと。職場のアラブ人が、「アラー・カリム」、云った。何の意味だと問うと、「神は寛大なり」と云う意味らしい。瞬間的に、私の心の中で、何かピカツと光るものを感じた。

「これくらいの災難で終わらせてくれた神は寛大ではないか」と云う意味に感激。

確かに、人生には、色々な不快な不幸なこともあるが、これくらいで私を勘弁してくれる神に感謝とは、大きな発想の転換であった。そしてそれは、大きな慰めであった。

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July 21, 2010

会社を忘れる時間のもたらす気づき

昨日は、何十年振りに、平常な一日に戻った感じだった。5日間の旅が、遠い別世界に連れて行ってくれた様に思う。

久しぶりに、日経新聞を見ると、大企業の社長の重点経営目標の発表など、が写真入りで、いつもの様に目に入る。大企業の幹部も、出世した様に見える世間の眼差しとは違って、実は、可哀想な存在かも知れない。

人生には、その人でなくても好い、大した事でもない、当たり前の事に夢中になり過ぎて、自分が振り回されて、自分の時間を失ってしまっている様に思う。多少金があっても、仕事の人間関係では表面的で、自分が生きて来た実感、感動は大した事はないかも知れない。

企業人で、世間の尊敬を集める人望ある人は、思い当たらないのは、社長さん達と云っても、社会には大した事はしていないと云うことの証し。会社の幹部になって、自分の時間を失って行ったら、寧ろ、会社に踊らされて、実は、空しい人生、可哀想な人生かも知れない。

会社や上司の評価を気にせず、人生を、瑞々しく生きることこそ、親から頂いた人生の燃焼であると思う。不図"我に返る人生"を想い出すことは、人を正気にさせてくれる様に想う。


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July 20, 2010

筑紫桃太郎一座の公演、すごい

今回の帰省最後の夜、7月18日(日)夜は、大牟田ハイツで、筑紫桃太郎一座特別公演と云うのを、姉と初めて観劇。私は、初めてこのような地方周りの一座のショーを見て、びっくり、とても愉しかった。

国定忠治の喜劇アレンジ版、女がたの踊り、それぞれ、意外と素晴らしいものだった。姉も私も、大満足だった。

新しいギャグネタも沢山メモした。「長男・次男・災難」、「長女・次女・便所」、「何のこれしき、結婚式」、「年金ギャル」など、大笑い。早速、兄弟・姉妹へこのギャグを伝播させる。

昨日は午前中、弟、姉と、両親の墓参りも済ませ、夕方、海の景色が綺麗な北九州空港から、横浜への帰路についた。

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July 19, 2010

オランダ坂、京泊、長崎本線

17日夜は、無事、いとこ(母の妹の息子)と何十年振りの再会、眼鏡橋そばの料理屋で夕食、二次会のカラオケも二人で行った。お互いの両親や親戚の話、お互いが子供時代に感じた事の数々のエピーソード。

翌朝(18日)、梅雨明けの快晴の朝、ホテルそばのオランダ坂、活水女子大、大浦天主堂付近を散歩した。そして、母の実家のあった京泊へ。昔は船を乗り継いで一日仕事で行ったように思ったが、山を切り開いて道路を整備したせいで、今では長崎駅前から、たったの40分。昔の浜辺は、大規模に埋め立てられ、新長崎漁港になっている。

沖合いの、島の形、周囲の山の形だけは同じだと想い、シゲシゲと眺めて、昔を想いだした。実家の横の石垣には、今でも、赤い岩蟹が住んでいることを聞いて、ほのぼのとした。80代になった叔父さん叔母さんの家を訪ねた。昔の想い出話と、子供さん(いとこ)の消息を知った。

長崎への旅は、もうずっーと昔の自分を、想い出させてくれて、「そうだったんだ」と、人生の展開が自然界の移ろいの様に、愛おしく想えた。

夕方、再び大牟田へ帰る時、長崎本線の車窓から見る海が、碧く、優しく、私の旅を見送ってくれた。

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July 18, 2010

遠い日の長崎

大牟田から汽車で長崎へ、当時は6時間の長い旅だった。鳥栖で乗り換え、肥前山口、諫早、浦上、長崎へと向かう。

長崎までトンネルを数を数えるのが、子供の心にはとても愉しかった。SLの煙の匂い、ピーと云うSLの音、シューと云う蒸気の音。

今では公園に変わってしまったと云う、当時「材木町」と呼ばれていた叔母さんのアパート。大波止から大きな船で京泊へ。京泊の沖で小舟に移って降りるのが怖かった。そして、京泊の入り江の浜辺へ。小さな鮑などの貝殻を拾った浜辺。波打ち際の音。浜辺から歩いてすぐに母の実家はあった。

爺ちゃん、婆ちゃんの優しい笑顔。牛小屋の牛。海を見下ろす段々畑、西瓜の畑。台所横の石垣の穴に出入りする小さな蟹たち。その蟹のちょっとしたオレンジ色。濃い黒っぽい茶色の土の土間の色。飴色に輝く木、板の間。

母と二人で歩いた畝刈(あぜかり)の浜辺。畝刈尋常小学校に通った母。今私は、再び、京泊、畝刈の空気を一杯に吸う。

帰って来たよ。

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July 17, 2010

故郷へ続く旅、本来へ返る旅

ホテルの窓から見る唐津城、唐津湾の情景は、初めて見る唐津の風景だった。昨日は、朝、唐津を出発し、福岡へ向かった。

福岡では、私が前に勤務していた会社の福岡支店(中州)を訪ね、懐かしい友人と再会実現。

そして、大牟田へ付く前、鹿児島本線の羽犬塚駅で途中下車、ここでも、懐かしい友人と再会・昼食。電車で大牟田に近づくと、三池山が、優しく迎えてくれた。

まだ旅へ出て3日目の朝なのに、もうずいぶん長い間、遠い世界に旅してしまった感じ。

今日は、長崎へ。何十年振りの親戚との再会の旅。長崎本線は、母の故郷へ続く人生鉄道。

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July 16, 2010

シーボルトの湯、佐賀の旅

昨日は、午前中、嬉野の"シーボルトの湯"を訪ねた。江戸末期、長崎の出島にいたシーボルトが度々訪れていたと云う嬉野温泉に、1876年に建築された、ゴシック様式建築の大衆浴場が、今年4月再建されてオープンしたと聞き、立ち寄った。

新しい木の匂い、新しい畳の匂い、嬉野川、蝉の声など、すっかり旅気分に浸った。

そしてシーボルトの人生の発見。1823年、27歳で来日、タキとの出逢い。娘イネの誕生。間宮林蔵との接触から、国外追放。当時2歳のイネとの別れ。63歳の時の再来日、タキ・イネとの再会。「シーボルトの見たニッポン」と云う小冊子を買って読んだら、余りにも感動する話の数々。

昼は、有田駅で友人と待ち合わせ、駅前の池田屋食堂のチャンポンの美味しかったこと。遠い昔食べた、母の作ったチャンポンの味を想い出した。友人に車で、九州陶磁文化館、鍋島藩秘窯の里、大川内山などを案内して貰った。
国宝級の陶磁器の数々、また関所まであった鍋島藩の秘窯の里など、今まで知らなかった世界を見た。

夜は、元の会社の友人と、唐津の居酒屋で一杯。東京で、会社帰りによく飲んだ時代を想い出した。

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July 15, 2010

大雨の後の、幻想的な佐賀の情景

晴れていた羽田空港を午後4時に離陸し、午後5時半くらいに佐賀上空へ近付くと、視界は悪く、空は、厚い何重もの雨雲に覆われていた。

雲の下に出ると、一面に、薄い灰色の干潟の世界が直前に広がっていて、幻想的だった。

見なれない、薄い墨を流したような美しい、広大な世界に驚き、午前中まで、オフィスにいた事が別次元の、遠い昔のことのように思えた。

佐賀空港からJR佐賀駅までバスで35分、大雨の後の田園風景、バスの窓を開け、広大な水田の上をわたる風を、胸一杯に吸った。

駅のバスターミナルの商店街は、中高生が一杯いて、地方の町へ来たって感じが、心地よい。

こうして、昨日から、「私が私と対話する旅」、が始まった。

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July 14, 2010

小さな驚きを求める旅、出発

今日は午後から休暇、九州の帰省の旅出発。今回は、佐賀、大牟田、長崎と旅する予定。

佐賀空港へ夕方着、佐賀駅前のホテルに宿泊。そして明日の朝は、嬉野へ出発。嬉野の大正ロマンの大衆浴場シーボルトの湯を見学。そして午後は有田などを見学後、夜は唐津で友人と一杯。唐津泊。

その後、16日は故郷の大牟田へ。大牟田一泊後、17日は長崎へ。母の親戚の従弟と、長崎で子供時代以来の再会、一杯飲む予定、そして長崎一泊。

18日は、京泊で、母の親戚の人達に再会。そしてまた大牟田へ。19日は、北九州空港から東京へ帰って来る予定。

めまぐるしく動き回り、佐賀の友人を訪ね、長崎の親戚を訪ね、そして、私の故郷や、母の故郷を味わう。そんな旅には、沢山の小さな驚きが、待っているように想う。

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July 13, 2010

蝉の奏でる、人生の詩

今年、初めてちょっと蝉の声を聴いた。まだ、雨が多く、地面の下で、雨を避け、出て来るタイミングを測っているのだろう。

羽化するには、雨の無い時間を見計らって出て来る本能と、外界の感知能力は凄いと思う。

私は、何故か蝉の声が大好き。

身の周りの全てのことが、森羅万象が、絶えざる経を読んでいるって云う気持ちにもなれる。

芭蕉が山寺で詠んだ、"岩に染み入る蝉の声"の情景が、素晴らしい。

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July 12, 2010

人生・社会の展開のダイナミズム

昨日の驚きは、民主党の余りにも大きな敗北。禅の哲学から見れば、驕り、緩みの持つ、自然な反作用の現象に見える。

覚悟の無い、チャラチャラした、政治家の多い事が嘆かわしい。消費税が已むを得ないならば、どんな議論にも耐えうるくらいの、自らを捨てる覚悟と勉強をした上で、訴えて欲しい。次の選挙までは1円も上げないとか、大多数に還付するような逃げは、チャラチャラした、薄っぺらな政治家だから云うこと。

でも、昨日は、私がアブダビ駐在時代にアブダビの日本大使館に勤務されていた大野元裕さんが、民主党で埼玉選挙区で激戦の末、当選した。知人が政治家にと云う感覚は、大きな驚きだった。これから、大激動の人生を送られるだろうが、身を捨てる覚悟で、国政に貢献して欲しい。

20年前の私のアブダビ時代のアブダビ国営石油の販売部長が今は石油大臣。アブダビの日本大使館の若手書記官だった大野元裕さんが今は参議院議員。当時、気づかなかった人達が、私の想像の及ばない可能性を秘めていたことを想う。

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July 11, 2010

哲学から見た神

昨日の坐禅会で、"物質"と"仏性(神性)"の区別(定義)の話を住職に聴いた。

物質: 様々な要素から成り、変化し、分解されるもの。
仏性(神性): 変わらない、一個の原理、分解されないもの。

「万物は流転する」と、とらえる人間の感覚は、心も身体も全て物質的な世界。

だが、どこかで、超然として、ちっぽけな生きものも、石ころも、私も、全世界をも、見ている存在を感じる。

「汝は、それなり」とは、過去の名僧達が、その様な境地を詠んだ、感嘆の詩なのではないかと想う。

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July 10, 2010

検診、エネルギー、中東、坐禅を考える一日

昨日は、変化に富んだスケジュールの一日だった。

午前中は、築地のクリニックで、会社の定期健康診断。ちょっと早く着き、クリニックそばの隅田川沿いの川岸に腰掛けて、この辺の対岸に確か、芭蕉の庵があったなーとか思った。バリウム検査の検査台での運動量には、ちょっと閉口。

13:00から勝どき橋の、日本エネルギー経済研究所で、GE Energyの研究員の講演を聴いた。この数年、突然、大量に台頭して来た、非在来型天然ガスのインパクトは、技術革新の賜物だが、世界のエネルギー地図を大きく塗り替えるかも知れない。

15:00から帝国ホテルで、日本サウジ・クウェート両協会の総会、日経新聞の脇・副論説委員の講演は、面白かった。中東が、消費地としての、大きな経済圏に成りつつある現実と、中東の社会・政治の近代化前夜のアンバランス振りを、改めて思った。

そして、夜は、新宿・角筈センターにて、坐禅会参加。坐禅は、いかにも何かを得ようとしてするものでは無く、「坐禅はするものでは無く、ただ置いておくもの」。住職の静かなる言葉が印象に残った。

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July 09, 2010

アホと馬鹿の響き

"WHO"は、世界保険機構。 じゃー"AHO"は何のこと?

"アホ"???。その通り。

これは、私の新作ギャグ。昨日電車の中で思い付いた。傑作だと思い、会社へ着いて、すぐ会社の女性に云ってみたが、・・・・・反応いまいち。

ところで、関西の人は"アホ"と云う言葉を愛称みたいによく使うらしい。だが、何故か、"馬鹿"はいけないらしい。

私にとっては、"アホ"も"馬鹿"もちょっと違うが、同じようなもの。"馬鹿"も"バーカ"と伸ばして云えば、"アホ"のニュアンスに近付くのかも知れない。"馬鹿"も間延びすれば、"アホ"に近付く(私の学説)。

電車の中で、沢山の通勤客の人達などのひとりひとりを眺めて、この人は"アホ"タイプ、この人は"馬鹿タイプ"と仕分けしていたら、とても、笑いを抑えるのに苦労した。

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July 08, 2010

母の妹、長崎の叔母さんの電話の声に感動

大正生まれだった母の妹にあたる叔母さんが長崎、外海町そばの京泊に住んでいる。

7月半ばに数日休みをとって、九州に帰省する時、久しぶりに長崎の母の親戚を訪ねようと思い、昨日久しぶりに電話をした。

叔母さんの声は、何十年振りかで聴くような、"母の声"とそっくりだった。静かな優しい声に、思わず、ワーと感動した。

すぐ、小田原の妹に電話して、その事を伝えると、叔母さんの声をテープレコーダーに取って来て欲しいと云う。

叔母さんが、生きている間に、是非今回は長崎へ行こうと思う。

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July 07, 2010

地味人同期会の快

以前、長年勤めた会社の同期(約30人)の仲間と何十年と会っていない人もいる。最近、街で偶然、ひょんきんタイプの同期と久しぶりに会って、すぐ二人で、地味人同期の同期会をやろうと、私は提案した。

会社で偉くなって、挨拶とか、乾杯の音頭とか、そんな事好きな人達は、そんな同期会は没。それを派手組と称す。

地味で、どこに潜伏しているのか、消息不明の同期を、捜査して、地味な同期会をやる。これは楽しそう。

時効前に、必ず、潜伏中の犯人をあぶりだす刑事のように、聞きこみ捜査をして、地味な同期を探し出す。芋つる方式に、犯人に近づく。既に、約2名、自首出頭を決意したものもいる。これで既に4人の会成立。

刑事魂がうずく。

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July 06, 2010

悟りは身近なもの?

悟りについて、修業しないと得られないとか、大げさに考えなくてもよいと最近は考えるようになった。

特に修業も何もしていなくても、普通の平凡な人でも、自分を忘れる瞬間がある。

素晴らしい光景、素晴らしい音楽などに触れた時、瞬間、自分が飛んでしまって、自分が消滅して、その光景や音楽に同化してしまったような時、自分の存在をすっかり忘れてしまうように感動している時、その瞬間は、もう悟りの境地ではないか。

それは自と他の境目が無くなった「自他一如」の瞬間であるから。

自分が全宇宙と合一した時、全てが穏かに調和しているように感じる。

「自他一如」を感じる瞬間が長い人が、悟りの人と云われるのだと思う。

悟りの瞬間なら、誰しも、日常の中でも、身近に味わっているものだと思う。

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July 05, 2010

10年前の自分への手紙、別人と云う自分への手紙

10年後の自分への手紙と、10年前の自分への手紙、両方共書いてみたら、さぞ面白かろうと思う。

10年前の自分への手紙だったら、20年前の自分への手紙だったら、たぶん別人への手紙のようになるだろう。

何故、当時は、あのように、とらわれていたのか?何故、そのような価値感だったのか?何故、そのような優先順位だったのか?やはり、別人のように想う。

親が子を見るように、当時の私を振り返る。

そして、10年後の私への手紙を考えると、自分は、今の延長上にしか見えない。

10年後の私は、今の私を、また子供扱いにできるようになれるだろうか? それが修業する源泉、憧れ。


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July 04, 2010

残像の惑わし、そして宇宙の理

昨日の夜のサッカーで、アルゼンチンがドイツに予想外の大差で大敗したことで、不図思った。

世の中で、色んな分野で、この様な、意外な事がよく起こるのは何故か?、と考えてみた。

それは、勝てば既に負けに向かう行程に入り、負ければ既に勝ちに向かう行程に入る、単なる"宇宙の理"の表れかも知れないと思った。

陰と陽、プラスとマイナスの二力(にりき)が生み出す揺れ。開(かい)と合(ごう)の作用の美、調和。成功と失敗、幸せと不幸、裕福と貧乏、全ては大きな作用と反作用の力に、飲み込まれて行く。

それに対し、哀しいかな、人間の五感は、残像の惑わしが強く、その宇宙の理に気づかないことが多い。

予想外な展開は、粗雑な感性の結ぶ映像なのかも知れない。可笑しな発見。

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July 03, 2010

次の幸せまでのインターバル?

今は、次の幸せまでのインターバル?、 今は、次の不幸までのインターバル?そう考えて、リラックスしたり、身構えたりする。

どちらとも、とれるような今。インターバルには違いない。どちらかに向かっている。

沢山の矢印が、沢山の方向に向いていて、どの矢印を見るか、気が散ってしまうほどおびただしい数。

その中でも、私がどの矢印に注目するかで、世界が単純化されて、見易くなる。

幸も不幸も自分の脳のネーミングの産物。ただ、作用と反作用、開(かい)と合(ごう)を繰り返すエネルギーがあるのみ。どんなに激しい動きに見えても、それは穏かな調和を求める動きには違いない。

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July 02, 2010

「長男」、そして孤独化して行く親を見る時の辛さ

昨日、韓国の人気俳優、パク・ヨンハさんの自殺のニュースの続報で、彼が長男として、病気の父親の介護に対する責任意識に悩んでいたことを知った。

介護しながら、年老いた両親が余りにも孤独になって行く様を見て、悲しみ苦しんだ手記があった。自分が、華やかに活躍して行く様と、益々孤独化して行く両親の対比。

私も、6人兄弟(姉妹)の長男。九州から大学へ上京して以来、ずっと東京・横浜。たまに帰省する時の、病気がちの両親を見る時は辛かった。私が、また東京へ帰る時の、別れの時の両親の表情、辛さが、気がおかしくなるくらい苦しかった。私は、そんな時、気持ちを切り替え、実家のことを努めて忘れるようにして、精神の安定を保った。

人は、余りにも辛い場面では、二重人格のように、別の人格を持った人間のような精神を持って、自分の精神を防御すると云う。人間の自己防衛本能が多重人格を作ると云う。

パク・ヨンハさんは、親の苦しむ姿を見る辛さを、うまく避け切れ無かったのだと思った。親孝行の好青年が、この世を去った。このような青年を見ると、とても愛しく、助けたかったなーと思った。

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July 01, 2010

大人になっても、「いない、いない、バー」は楽しい

赤ちゃんや幼児は、「いない、いない、バー」と、顔を隠して、パッと顔を出すと、びっくりして、ケラケラ笑う。

その笑う顔の可愛いことを、想い出す。

人生にも、そんな、小さな驚きが、一瞬の小さな衝撃を与え、心をレフレッシュしてくれる。

周りに、「いない、いない、バー」を自分が感じてみたり、また自分が周りに与えたり、大人の世界も面白い。

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