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May 10, 2010

カント哲学の衝撃、「手段としての人間、目的としての人間」

昨日、夜、教育TVの哲学番組で、ハーバード大学のカント哲学の講義の模様が放送されていた。

人間を誰かの為の手段と考えず、人間その人そのものを目的物と考える、"人間の尊厳"に就いて、カントの道徳律に就いての講義に、聴き入った。

人も手段と考えて人間関係も社会も成り立ち、希薄な表面的な繋がりで、大概の人間関係は成り立っている。

その人が自分に幸せをもたらす、もたらさないに関り無く、その人が独立した存在として独自の目的を持った存在と想えれば、その人の尊厳を考えていること。

私は、私を手段と考えていない人は誰かを、不図想って試た。真っ先に母親が浮かんだ。そして、何人かの親しかった人、親しい人の顔が浮かんだ。人生では、そう何人もは居ない。人間を手段と考えていない人にとっては、精神的な繋がりが余りにも強く、もう今生で会う必要も無いくらいの絆で繫がっている。

自分の方に惹き寄せる、巷にありふれた愛は、未熟な自己愛、執着のように、チャチに見えて来る。

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