1989年バグダッドの朝の散歩
昨日、夜、米軍のイラク戦争の実態を描いた"Hurt Locker"(棺おけと云う意味の兵士の俗語)と云う映画を見た。
独裁者・サダムフセインを取り除いた、平和民主国家であるはずだったイラクの、反米爆弾テロ、自爆テロなどの拡大と、その米軍の爆弾処理班の活動、悲惨な危険な実態の模様が描かれていた。
1991年の第一次イラク戦争、2003年の第二次イラク戦争、そして米軍駐留後の米軍の死者を急増させたイラクでのテロとの戦い。
私は、1989年、某石油元売会社の中東駐在としてアラブ首長国連邦・アブダビに赴任した。1989年、周辺のアラブ諸国にも挨拶周りに歴訪した。1989年、バグダッドのホテルの近くのテイグリス川の川辺を一人散歩したこともあった。国全体は、独裁体制の重苦しさは感じたが、バグダットの街を一人散歩出来たことが、貴重な想い出となった。
人間の歴史は、作用と反作用の繰り返しであることを想った。進歩とか、わかり易いものでは無く、ただ、統一と矛盾を繰り返す、どうしようもない宇宙の法則のようなものを感じた。激しい怒り・無知は、激しい怒り・無知を招き、統一へ向かう。それは止揚(しよう)と云う、一段と高まった中道(ちゅうどう)へ向かっていることを祈る。


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