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April 30, 2010

満洲の旅の縁であったことに再び気づく

私の人生の重要な旅、旧満洲・鳳城(2004年)とハルピン(2007年)にそれぞれに、連れて行って貰った、日中国際貿易促進協会の理事長(ご自身が少年満蒙開拓団出身)が、最近、協会の60周年史を出され、編集後記で、御自身が最近病気されたことを書いておられた。

私にとって、父が住んだ鳳城、母が住んだハルピン、どうしても行きたかった場所であった。これらの場所に、貿易ミッションに個人的に加えて頂き、行くことが実現した。

ハルピンの街を案内して頂いた日本在住の中国の友人から、先生は、ご病気前は頻繁に貿易ミッションを率いて中国各地へ行かれていたが、病状は回復されているものの、最近は行かれていないことを、昨日電話で聞いた。

2回の旧満洲への旅は、私の人生の宝。その旅へ、導いて頂いた先生のことを想った。

私の人生で、行かなければ、どうしても納まりの付かなかった旅に、案内して頂いた先生への感謝と、先生との縁に、改めて感謝する。

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April 29, 2010

月は何故、落ちないのか?

やはり、おかしい。月が何故、落ちないのかと思って月を眺めると、何か不思議で、おかしい気持ちになって来る。

そう云えば、地球も浮いている。何故、地球も落ちないのか?

落ちるとしたら、どこへ落ちるのか?

月が落ちず、リンゴは木から落ちるのを対比して、引力を発見したニュートンは凄い。

地球が、何処かにドシーンと落っこちたら、そりゃ大変だし、滅茶苦茶おかしい。

頭をかきむしりたくなる様な、すっきりしない不思議。考えてみれば、大人も大して賢くないなー。

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April 28, 2010

「東京へ行きなさい」と云う時の母の気持ちの痛み

昨日は、まだTVで見た、漫画家・西原理恵子さんの生い立ちの話が気になっていた。お母さんが再婚した相手のギャンブル狂、そしてその義父の自殺。悲惨な境遇の中、お母さんは西原さんに、義父の死亡でおりた保険金150万円の内100万円を渡し、これを持って東京へ行きなさいと言ったたと云う。この様な悲惨な負の連鎖のような生活から、娘を救い出したかったのだと云う。

子供に、自分の人生の負の連鎖に飲み込まれて欲しくない。この子には、違う人生を切り拓いて欲しいと願って、娘を東京に送り出したと云う。

「自分のことはもういい。この子を救いたい。」と云う想いに、私は神を見る。宇宙の真理のような美を見る。自分を捨てた時に、人は一番美しくなると私は想う。その時の西原さんのお母さんの表情を、私ははっきりと想像することが出来る。

私の母も、子供との別れの悲しみを隠し、この子には逞しく生きて欲しいと想い、私を東京へ送り出してくれた。

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April 27, 2010

幼児からお母さんへ「あかんべー」の慰めの話、漫画家・西原理恵子さん

昨日夜、"こころの遺伝子"と云う番組で、漫画家・西原理恵子さんの人生の紹介の番組があった。

西原さん自身の貧困と憎しみの生い立ち、夫の鴨志田さんの生い立ち、夫のアルコール中毒との闘病のことなど、負の波に翻弄される人生が、怖いくらい凄かった。

そんな中で、彼女は戦場カメラマンだった鴨志田さんから、「どん底こそ笑え」と云う人生哲学を教えられたと云う。そして、アル中をやっと克服して、帰宅した夫は腎臓癌で余命数ヶ月と宣告され、42歳で亡くなった。

亡くなった夫の亡骸の前で、泣き尽くす理恵子さんに、二人の子供達がしてくれたことは、二人で、お母さんに「あかんベー」をして、笑わせようと一所懸命だったと云う。

その「あかんベー」をしてくれたの子供達の顔を、理恵子さんは漫画に描いている。人間の圧倒的な美に、ただ感涙。

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April 26, 2010

シベリウスとモーツアルト

昨日、愛宕NHK放送博物館で行なわれた、NHKフレンドシップ音楽の集いと云う催しに行ってみた。

管楽合奏で、シベリウス、モーツアルトの曲が演奏されて、不図、悪性リンパ腫の闘病ブログ「佳代子のウェルビーイング」を書いておられた、佳代子さん(故人)のことを想い出した。

時々、私のブログにコメントをくれて、シベリウスとモーツアルトが好きですとおしゃっていた。特に、クララハスキルのピアノ演奏のモーツアルトはすごいとおっしゃっていた。私のブログを読んだ時、時にシベリウスの曲を想い出すことがありますとおっしゃったことがあった。

「シベリウスの曲は、何故か静かな祈りを想起させます」、と司会者の方が云われた時、私はパーと目頭が熱くなった。

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April 25, 2010

農民ロケット、クラウドコンピューテイング、会計報告ギャグ

昨日は、横浜で、パソコンの会の総会に出席した。

先ず最初の驚きは、ある人の名刺が春バージョンの名刺だったこと。桜の木に留まるメジロの光景のカラー名刺。季節ごとにそんな名刺があれば愉しい。

総会の会計報告が、多少計算ミスがあって、寧ろ愛嬌で愉しかったこと。監査人の「正確かつ適正に・・・」が、何とも追いかけて、可笑しかったこと。当事者みんなで笑ったこと。こんな場面は、人生でめったにない。子供時代のように、新鮮で、可笑しかった。

今後の行事の紹介に秩父農園ホテルでの会合、農民ロケット"龍勢"のことが紹介されたパンフレットを貰った。農民ロケットって響きがしびれる。

講演では初めてグーグルのクラウド(Cloud)コンピューテイングの紹介が好かった。空の雲(Cloud)のように、どこにでもあるので、自分のパソコンは不用と云う、サービスの紹介。確かに、それは面白い。

メンバーの方から、個人的に、5月末の横須賀・三笠記念式典の案内を頂いた。また、三笠艦上で、白い海軍の軍服を見に行きたくなった。昨日は、色々、小さな驚きだらけだった。

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April 24, 2010

芥川龍之介、「蜘蛛の糸」の結末の示唆

芥川龍之介の"蜘蛛の糸"の結末のお釈迦様の様子の描写が、私はずっと気になっていた。救われようとした罪人が、また他人を蹴落とそうとする行為で、地獄へ堕ちる有名な話。

お釈迦様は悲しい表情をされまた池の淵を散歩されました。天国では、そろそろ昼餉の時間です。 というくだりに、私は、何となくすっきりしない、意外な、作家の精神の限界を感じていた。

人間の煩悩に振り回される日常を批判して、それでは救われませんと厳しく断じておいて、お釈迦様にとっては、日常の見慣れたことで、昼餉の様子と対比するところが、芥川のニヒリズムだと思う。

悟りを拓いた境涯ならば、自らは天国に留まらず、自ら地獄へ飛び込み、罪人に地獄は無いと説いただろうと私は想う。蜘蛛の糸で一人づつ、勿体つけて地獄から、選んで人を救う行為は、まさに二元論のなかでのもがき。

作家の心の中では、心穏かでは無い状況を、お釈迦様の昼餉の様子で、覆い隠してしまっているのでは無いかとも想う。それが、作家の自死へ繋がった、弱さであったのではと私は想像する。

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April 23, 2010

荘厳な朝食

毎朝、朝食を食べる時、私は、質素であればあるほど、気合いが入って好い気持ちになる。

ご飯、梅干、納豆、大根おろし、たまに鯵の開き、海草のスープなど。

私は、毎朝、自分でさっさと、自分の朝食は用意する。

質素であっても、その質素さが、何か修業の一環に想えて、気持ちが引き締まる。

質素であればあるほど、自分が立派な人になれるような気がして、ちょっと嬉しい気にもなる。

質素は、宇宙と調和してるのだろう。

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April 22, 2010

子供新聞、大人新聞、じーさん新聞

"子供新聞"の想い出は、懐かしい。初めて子供新聞を購読した時、嬉しかったなー。

その後、成人してからは長い間、日経新聞、朝日新聞など読んで来た。これは、云わば"大人新聞"。

そう云えば、"じーさん新聞"、"ばーちゃん新聞"などあったら傑作、面白いだろうなーと想像する。

何を特集するだろう?

そんなことを考えながら、今日は通勤してみよう。


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April 21, 2010

私の存在を無視してしてみる世界

自分が透明人間になって、他人から見えないと仮定すると、ちょっと面白い人生が広がっていることに気づく。

人生の景色が全く、変わって感じられる気がする。

他人から見れば、自分が、この世にもう居ない様なもの。他人は、私に気づかない。私は、覗き見するように、周りの情景を見る。

私が、私の存在を無視して、世界を見る。

私が宇宙になって、この地球を見ている様なもの。なかなか愉しい境地でもある。

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April 20, 2010

農家でエコーツーリズム、高尾山火渡り神事、囲炉裏囲んで民話など

昨日の流鏑馬・人形劇のチャンスを失したことで、その他に、今後私が、体験・見学したいことは何か整理してみた。

農家へ宿泊するエコーツーリズムがまだ実現していない。早朝の田園の空気、大自然の中、土を触る畑作業体験なんて、何と素晴らしいだろうなーと憧れる。将来是非、実現させたいと思う。

それから、高尾山であるらしい"火渡り神事"の見学。3月中旬、来年は是非、心して狙っておこうと思う。

どこへ旅すれば好いのか、まだわからないが、村の長老から民話を聴くこと。飴色に輝く板張りで、囲炉裏を囲んで、民話を聴くなんて、それは素晴らしいロマン。日本昔話なんか想い出す。傘地蔵とか、山姥(やまんば)の話とか。

全て、憧れる初めての体験。そんなことを想像すると、嬉しくなって来る。そんなことが、何となく、私をつき動かすエネルギーでもある。そして、人生への小さな驚きと同時に、人生への感謝の念が湧いて来る。

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April 19, 2010

行きたかった 流鏑馬、人形劇

昨日は、鎌倉鶴岡八幡宮の春の流鏑馬の日だったことを夜のニュースで聞きがっくり。何となく、もうすぐと漠然と思っていたのに、気づかなかった。流鏑馬は、朝の馬慣らしの稽古をしている様子を見るのが好いらしい。知っていれば、昨日早朝、鎌倉へ出掛けていたはずだった。残念だったが、よーし今度、秋の流鏑馬には是非行こうと気持ちを入れ替えた。

夕方、図書館へ立ち寄って地区の行事のパンフレットを見ていると、"人形劇・紙芝居"、神大寺地区センターとある。日時を見ると、18日(日)11:00~11:50と書いてある。ありゃー、これも、事前に知ってたら行けたはず。

昨日は、流鏑馬と人形劇を見るチャンスを失してしまった。これも、私の人生の日々の一部。そんなチグハグな昨日に苦笑い。その分、昨日朝やった部屋の掃除や、午後参加した健康セミナーが私の強い縁だったんだと、気を取り直した。

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April 18, 2010

ギャグの夢、意味不明?

今朝、夢で笑って目が覚めた。

お寺のような場所で大勢で座って、法事に参加しているような様子のシーンの夢。

願いごとを書いた紙が本堂そばにベタベタ貼ってあった。ある願いごとに「入り江解消」とか書いてあり、小声で参列者から、「入り江」ってなんのことですか?と聞く声。それに、間髪入れず、「低血圧のことですよ」と云う声に、一同爆笑するシーンで目が覚めた。

”入り江”が”低血圧”のこと?。わかったようで、意味不明。入り江は凪いでいるから穏かで、血圧が低いイメージだと想像し、なるほどと納得した。

夢で、ギャグネタの啓示を受けるとは、我ながら、アララー・・・とあきれ返った。

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April 17, 2010

知らない街、心は自由自在

先日、我孫子・手賀沼をサイクリングしている時、全てが初めて見る光景に、ちょっと想像の遊びをして楽しんだ。

私が見ている、この情景は、1970年と思ってみた。土も空も、道も草花も、家々も、全部、それは1970年当時の情景と勘違いして試た。電話すると、まだ両親は生きている。

年代は何時でも、自由自在。1980年でも好い。

自分のことは、鏡を見ない限り、変化は、さしてわからない。

実際に、時空を越えて、好きな年代に、ポツンと自分が舞い降りるていると思って、周りの光景を見ると、それは楽しい。

知らない街は、そのような想像の旅へも誘ってくれる。

変わらない自分が、色々な人生の情景を楽しんでいる。

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April 16, 2010

1989年バグダッドの朝の散歩

昨日、夜、米軍のイラク戦争の実態を描いた"Hurt Locker"(棺おけと云う意味の兵士の俗語)と云う映画を見た。

独裁者・サダムフセインを取り除いた、平和民主国家であるはずだったイラクの、反米爆弾テロ、自爆テロなどの拡大と、その米軍の爆弾処理班の活動、悲惨な危険な実態の模様が描かれていた。

1991年の第一次イラク戦争、2003年の第二次イラク戦争、そして米軍駐留後の米軍の死者を急増させたイラクでのテロとの戦い。

私は、1989年、某石油元売会社の中東駐在としてアラブ首長国連邦・アブダビに赴任した。1989年、周辺のアラブ諸国にも挨拶周りに歴訪した。1989年、バグダッドのホテルの近くのテイグリス川の川辺を一人散歩したこともあった。国全体は、独裁体制の重苦しさは感じたが、バグダットの街を一人散歩出来たことが、貴重な想い出となった。

人間の歴史は、作用と反作用の繰り返しであることを想った。進歩とか、わかり易いものでは無く、ただ、統一と矛盾を繰り返す、どうしようもない宇宙の法則のようなものを感じた。激しい怒り・無知は、激しい怒り・無知を招き、統一へ向かう。それは止揚(しよう)と云う、一段と高まった中道(ちゅうどう)へ向かっていることを祈る。

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April 15, 2010

ラジオ体操の歌、テレビ体操、前向きの象徴

「♪新しい朝が来た。希望の朝だ・・・♪」、ラジオ体操の歌って、何とも前向きで、清々しくなる。文部省的、NHK的なセンスが、寧ろ何とも云えない素朴な魅力がある。私は、今でも、何となく口ずさめる。

昔、夏休みの頃、近所の公園で、ラジオ体操の通帳にハンコをもらっていた子供達の情景を想い出す。

私は、最近、毎朝自分の部屋で、6時半からのNHKテレビ体操をやることを心がけている。

どんな一日が待っていようとも、泣いても笑っても、毎日の日課を続ける力は、精神を強くすると云う。それは、修業と同じ。禅に通じるものがある。

「♪それ、いち、にー、さん♪」、"ラジオ体操の歌"は、やはり、田舎っぽいが、純朴な魅力がある。つい微笑んでしまう。

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April 14, 2010

別世界を知ること、即ち自分への執着の放棄

昨日の哲学カフェへで、引き篭もりの人の心は、「全世界が自分で、別世界が存在していない状態」との分析を聴いた。確かに、自分への執着の極限が故に、苦しいのだろうと思った。

別世界を知ることは、どんどん自分中心の囚われから遠ざかると思う。自分を忘れる状態は、修業で目指す境地と似ている。

私が、"小さな驚き"に憧れ、"小さな驚き"を求めるのは、無意識に、別世界をいつも求めたいからだと思った。

旅や人は、別世界の宝庫、小さな驚きの源泉。

私は、旅や人に会うことで、別世界を知り、自分への執着を薄めているのだと思った。

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April 13, 2010

外面の教師、内面の教師

人には、外面の教師と内面の教師がいると云う。外面の教師は、実は教えることは出来ないと云う。ただ、内面の教師に暗示を与えることは出来る。

内面の教師は、外から与えられる打撃・衝撃を、暗示として受け取り、その人を導いて行く。

外面の教師とは、必ずしも人と云う訳でもなく、夜空や風景やと云うこともある。内面の教師が、それを捉え、示唆を与えてくれる。

内面の教師は、人間の持つ仏性に気づかせてくれる。

外面の教師は、至るところに転がっている。

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April 12, 2010

白樺文学館、手賀沼サイクリング

昨日は、早朝起床、サイクリングクラブ行事で、千葉県我孫子・手賀沼周遊サイクリングに参加した。

初めて常磐線・我孫子駅に降り立つと、駅前の案内板に、手賀沼をバックに、白樺派の志賀直哉・武者小路実篤などのセピア色の記念写真が紹介してあった。我孫子は白樺派の街なんだと知った。

手賀沼は周囲20キロの遊歩道・サイクリング道路が最近整備されたとのことで、素晴らしい景観であった。畑、草花、桜並木、沼には葦(よし)がまるでススキの畑のように茂り、白鳥がたたずみ、釣り人達、広大な沼の沖あいには小船の姿も。

広重が見たなら、浮世絵に描きとめただろうと思うような、ため息を付く程の、穏かな景観美であった。

手賀沼の近くに住み、手賀沼の景観を愛した文豪、志賀直哉・武者小路実篤など白樺派を紹介する文学館も行ってみた。志賀直哉の住居跡にも。「鳥の声に覚め、虫の音に埋もれて眠る」と直哉の句が心に残った。

白樺派の愛した手賀沼。私は、また必ず、訪れようと想った。

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April 11, 2010

大騒ぎから静寂

昨日は、東京で、九州三池高校の同期の大きな同窓会であった。居酒屋で約35人。12時~17時まで、長い時間、ワイワイガヤガヤ。

何か、繁華街の雑踏の中に放り込まれたような、あわただしい時間であった。

年齢的には、静かな穏かな境涯に憧れる頃、この騒ぎは、ちょっと意外であった。私も、ちょっと、サラリーマンの宴会を想い出し、各テーブルを回った。

約5時間もの飲み食いの騒動の後、私は、その後、横浜の坐禅会の会場へ向かった。

大騒ぎから、静寂の坐禅のコントラストが面白かった。

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April 10, 2010

貧しさの持つ豊かさ、豊かさの持つ貧しさ

ある懇親会の席で、"貧しさの豊かさ"と云う言葉を、電車の中の広告か何かで見て、意味がわからないと云ってる人がいた。脇で聴いていて、"貧しさの豊かさ"って、私は直感的に感じるものがあって、素晴らしい表現だなーと思った。

貧しさの中に家族が身を寄せ合って助け合って生きて行く様は、それは、それは素晴らしく感動的な豊かな人生である。親が貧しい中、働く後ろ姿を見て、どれだけ子供達が、大人になったら両親に楽をさせてあげたいと想って、頑張ることか。親が貧乏であることは、そのことだけでも立派な教育でもある。

裕福な家庭に潜む虚しさ、寂しさは、まさに"豊かさの持つ貧しさ"である。

宇宙は自然は、必ずバランスで成り立っている。貧しさと豊かさも、内包するそのバランスが素晴らしい。

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April 09, 2010

笑顔の冷たさ、悲しみの優しさ

笑顔は幸せの象徴、いつも笑顔でいたいと人は望みたがるもの。

でも、笑顔の裏には、自分の心地よさに覆われ、一時他者の苦しみ悲しみを忘れている状態でもある。

世の中で成功していると云われる人や、優秀と云われる人、裕福な人の自信たっぷりの笑顔は、時に傲慢で、薄っぺらで、冷たく感じてしまう。

一方悲しみの表情には、その人の悲しみや、他者の悲しみへの理解・共感が感じられ、慈悲の優しさ、暖かさが感じられる。

笑顔を求めて生きても、笑顔の冷たさを忘れてはいけない。悲しみを避けて生きても、悲しみの持つ優しさを想い出すのもよい。

そう云えば、仏像の表情は、微笑みと悲しみを共に表しているようで感動する。仏像の表情には、身勝手な傲慢な微笑みなど感じられない。大人の笑顔は、そんな微笑みでありたい。

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April 08, 2010

10代カード、20代カード、選択自由

例えば、10代カード、20代カードなど、自分の人生が10年毎に区切られていて、その体験順番は選択自由だとすれば、これは面白い。

トランプのカードを勝手にきるように、例えば、40代カードを体験後、10代カードなんて、バラバラに人生を体験したら、どんなにか滑稽で面白いことか。

その、人生の年代カードをきってる主体は、年代に関わり無い自分。年代を超越した、永遠なる変わらない自分。

10代、20代と、順番にカードをきって行く人生も、これも面白い。それぞれの、年代の、何とも云えない面白さがある。決して、若ければ良いってもんでもない。

変わらない主体が、それぞれの年代を演じる自分の役者振りを見ている。そして、その役者振りに声援を送ってみると好い。"鳴駒屋ー"とか。

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April 07, 2010

印象・気分の尖鋭化が芸術

人間とは、突き詰めて行くと、結局、それぞれの印象・気分の集合するエネルギー体と云う。

その印象・気分は、遺伝子の中に、潜在意識の中に、入りこんで形づくられている。

本来は光輝く、神の存在を、大きく分厚く覆っている曇りが、印象・気分と云うカルマ(業)。

そして、その大きな曇りのような印象・気分を尖鋭化し表現したものが芸術ではないかと私は想う。

芸術の表現は凄くても、人格者と云う訳ではないので、時に芸術家は、エキセントリックで、尊敬に値しない人も多いと思う。


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April 06, 2010

4年振りに娘の同居

昨日、娘が、4年振りに千葉から横浜の家へ引っ越して帰って来た。4年勤めた会社を、3月末で退職し、今後、1年くらい建築の勉強をして、将来の確固たる職業を確立したいのだと云う。

以前、二人で会食した時に、その計画を聴いて、冒険だと思ったが、現在の会社に将来を託せない状況なら、已むを得ないと私は思った。それならそれで、頑張れば好い。娘も、もう大人なんだから、自分の人生を切り拓いて行けば好い。

昨日夜帰宅すると、風呂場、トイレ、など家の中に、色んな女の子らしい小物が並んでいた。


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April 05, 2010

一人二役独り言の怪

電車のホームのベンチに座っている時、一人二役の独り言を云ってる人がいて、びっくりした。

「オイ、清水!」。 「ハイ、何ですか?」と、確かに云っていたように思う。

このやり取りは、一体何だ?????。

参ったなー。こんな人もいるんだ。

今だに、何だか、意味がわからない。

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April 04, 2010

市川・文学の街散策

昨日は、東京シテイーガイド・文学グループの市川散策に参加し、沢山の発見に、ため息が出る程の驚きだった。

永井荷風・幸田露伴、北原白秋の街だったとは。荷風が最後に食べたレストラン大黒屋も知った。

万葉集に詠まれた太古の伝説の美女・"手児奈"由来の真間の弘法寺、昔、真間の湿地帯にかかっていたであろう「真間の継ぐ橋」の名残。「こものはにすだく蛍のほのぼのとたどりぞわたる真間の継橋」鴨長明の句に、当時の情景のロマンが浮かんだ。

国府台病院前の桜並木、里見公園、眼下の雄大な江戸川。1500年代、この里見公園には里見家の国府台城があり、北条と二度の戦を行った場所。

亡くなった私の義父が医師として勤めていた国府台病院で、娘は生まれた。その国府台病院で、私は初めて娘と対面した。市川には何度行ったことだろう。弘法寺には、義父・義母と皆で初詣にも出掛けたこともあった。大きな枝垂れ桜が印象に残っている。

今回初めて、国府台女学院前から続く桜並木の、文学の道も歩いた。文学の街・市川が、私の脳裏に、驚きをもって深く刻まれた。嬉しい、小さな驚きだった。

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April 03, 2010

笑って血圧を下げる効果

笑いが健康に、如何に役立つかと云うことが、ある本に書いてあった。「血管年齢を若返らせる本」高澤謙二著に、次の様に紹介してあった。

笑いの効果
(1) 笑いは血管をリラックスさせる。
(2) 副交換神経の働きを活発にし、血管を開く。
(3) 血圧を下げ、心臓の負担を減らす。
(4) ストレス ホルモン を抑えて、血糖値下げる。
(5) 免疫力を高め、病気の発症を抑える。
(6) 涙を流すことも血液サラサラ効果がある。
(7) 大きな声を出して笑うと、脳内モルヒネが増える。

笑って血圧が下がり、涙を流すことが血圧サラサラ効果があると云うのには、嬉しくなる。

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April 02, 2010

マイ・ふぐヒレ

数日前、会食時、"ふぐヒレ"を持ち歩いている人がいて驚いた。日本酒を飲む時に見かける、あの"ふぐヒレ"である。

"マイふぐヒレ"、これはユニークと、びっくりした。

私も、その人から、ひとつ(1枚)"ふぐヒレ"を貰って、この数日、自分のポケットのテイッシュの間に忍ばせている。何だか、可笑しくなってくる。

昨日、新橋で行った居酒屋では、店に沢山の"マイ箸"が置いてあった。これも、可笑しく面白かったが、自分が"マイ箸置き"を持っていることを想い出した。木で作った、輪切りにした蓮根の形の、小さな箸置き、これも意表をついて、自分では気に入っている。

人生は、茶目っ気を出すと、可笑しくてしょうがないことがある。

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April 01, 2010

一人の時間の輝き

寂しがり屋の人の心理は、誰かと一緒にいることで、自分が落ちつくと云うことは、自分に気を使ってくれる人を求めているようにも想う。自分が中心の、ちょっとした甘えん坊の心理があると想う。

一人でいるのが好きな人は、人といると、いつも人に気を使ってしまい、他人中心で疲れるから、一人の気楽な時間が好きになると云う心理ではないかとも想う。

気を使わず、お互いに楽な人間関係があれば、それは理想だなーと想う。

でも結局、人と一緒の時間と、一人の時間は、健全な精神には、その両方の組み合わせが自然で、大事なのかも知れない。

一人の時間は、自立した人間には、時に、大切な、至福の時間でもある。

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