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March 31, 2010

縄文時代は1万年も続いた?

先日、居酒屋で古代史を趣味で研究している人の話をたまたま聴いて驚いた。

日本の縄文時代の土器と似たものが南米でも発掘されている話も驚くが、縄文時代が紀元前1万3000年~紀元前2300年くらいのとてつもない長い期間であったこと。信じられなくて、家に帰ってすぐ、インターネットで調べて確めた。

1万年くらい長い期間を、縄文時代と云われても、余りにも大雑把で、改めて、信じられない歴史だと驚いた。

日本列島が大陸や東南アジアと陸続きであった洪積世とは、200万年前~1万年前のこと。

歴史で習う、最近の2000年なんて、余りにも最近過ぎる出来事。徳川300年なんて、縄文1万年とのアンバランス、笑ってしまう。

縄文時代って、一体、日本人は何をしていたのだろう。興味と云うより、ただ不思議。

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March 30, 2010

人生観のチャンネル二つ、人生の達人

人生観には、二つのチャンネルを持つことが、穏かな、円熟した人生への入り口のように想う。

全てを、宇宙の調和として肯定する、自分の感覚に振り回されない境地。自他不二、自他一如の一元論的世界を理解するチャンネル。石ころもダイヤモンドも同じ世界。無一物、無尽蔵の世界。「晴れて好し、曇りても好し、富士の山」の世界。この一元的、世界観は、神の大きな懐に抱かれた感覚になる。

日常生活のなまなましい場面では、善悪・損得・好き嫌いのはっきりした世界がないと、感覚を持った人間としては、満足して生きて行けない。それは、二元論なる世界、云わばもうひとつのチャンネル(2チャンネル)。

一元論の1チャンネル、二元論の2チャンネルを、瞬時に自在に切り替え、生活して行けたら、正に人生の達人ではないかと想う。二元に遊ぶ境地と云うのは、素晴らしい。喜びも悲しみも、幸も不幸も、ただ四季の様に味わえる境地。

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March 29, 2010

エコ・クラッシャー対エコ・ガインダー

昨日、昼間、桜の五分咲きの目黒川沿いへ、"目黒川さくらフェスタ"のジャズライブを聴きに行った。ジャズの前に、ステージで、ウルトラマンのようなキャラクターの幼児向けのエコ(環境)教育劇があり、ついでに見た。

”エコクラッシャー”と云う悪い人が、エコの問題を出し、会場の子供達がみんなで答え、エコクラッシャーをやっつける劇。問題は4問あり、食事の食べ残しはX、冷蔵庫の開け放しはX、水道の出し放しはX、ジュースをこぼした時テイッシュペーパーを沢山使って拭くのはX、など解答する問題だった。4歳、5歳の幼児達が、大声で「バツー」とか声を出すのが、何とも可愛かった。

そして最後に、正義の味方"エコ・ガインダー"が、口惜しがる"エコ・クラッシャー"と闘って、エコを守るストーリー。

私の後ろで、幼児用の車に乗った男の子が、「エコガインダー有難う」と云うのが聞こえた。"エコ・ガインダー"も、みんな応援してくれて有難うと云うと、これがまた、可愛いたどたどしい声で、「どういたしまして」だって。

桜とジャズとワインの、目黒川さくらフェスタ、こんな光景が、とても微笑ましかった。

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March 28, 2010

6歳のエレナの手紙の啓示

脳腫瘍で逝ったアメリカの6歳の女の子エレナが、家の本棚とか、あちこちに隠していた両親・妹への愛の絵手紙の感動を、数日前(3/17)のブログで紹介した。

そして今朝、私は不図思った。人は、この様な手紙を無意識に、色々な人から受け取って、日々生きているように感じた。それらの手紙は、隠されていて、気づかれることなく終わることもある。

でも、時に人はそれを発見して感動する。自然の風景に、エレナの手紙が隠されていたり、何気ない人との会話の中に隠されていたり。

エレナの手紙は、確かに、誰しも発見出来る訳ではない。自分の心の曇りを、拭き取れば、拭き取るほど、発見出来るものだと想う。

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March 27, 2010

"人生の師"とは、

人生の師は、尊敬する人は、夫々の世代になっても、居続けて欲しいと想う。

子供時代に尊敬する人、青春時代に尊敬する人、仕事どっぷりの時期に尊敬する人、人生の円熟期に尊敬する人、ちょっとづつ変化が現れると想う。価値観の変化である。視界の変化である。

人は、自分が亡くなった時には、大いに泣いてくれる人を求めたがるものだと想う。

でも、私が尊敬する人は、亡くなる日が来た時でも、残された私が、嘆き悲しむのを快しとしないと想う。「何のために修業して来たのか?」と云って、私を叱ると想う。

その様な人は、まさに"人生の師"だと想う。

今では、亡くなった両親も、心の中では、その様な"人生の師"に変わって来たと想う。

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March 26, 2010

頭の中のゴミ屋敷

よくTVで、ゴミ屋敷の場面を見て、片付けられない人達の、凄い状況に、大勢の視聴者は驚く。

そのゴミ屋敷が、人間の頭の中にあるとしたら、ぞーっとする。

だが、考えてみると、人間が自分と認識する存在は、前世代からを含めて、「過去の印象・気分の集積」だと云う。過去の印象・気分と云うカルマ(業)の集合体が人間。

その意味では、人間の頭の中も、一種のゴミ屋敷。それぞれの人の特種なゴミだらけ。

参ったなー。責めて、整理整頓を心がけたい。

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March 25, 2010

怒っても可愛いおばちゃん

昨日、夜9時半くらいの東横線の帰り電車の中、私の隣の端っこの席に、ちっちゃな、品の良さそうな、70代半くらいのおばちゃんが座っていた。

突然、小さな声ながら、「バカヤロー、この港北区役所」とか電車の音に「カタカタ、カタカタ、うるせーんだよ」と云い始めたので、隣の私はビックリ。それでも、危害は加えられそうでもないので、その言葉に、興味本位で聴き入った。

時に、「火事です」「消防、さっさと来い、コノヤロー」とか。身なりは、こぎれいで、三越の大きな紙バックを二つ抱えている、ちっちゃなおばちゃん。

慌てて大倉山かどこかで、電車を降り、閉まるドアに、礼儀正しくお辞儀をする仕草に、私は、思わず失笑。「怒っても、可愛いおばちゃん」だと思った。電車の中でも、最高の俳優がいる。

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March 24, 2010

水があって魚、山があって鹿、

天城山の坐禅道場の周りには、よく鹿が現れると云う。

暖かい時、たまに道場の外で住職が坐禅してると、時々、鹿が近付いて来て、じっと住職の方を見ることがあると云う。そんな時、住職は、鹿を驚かさないようにじっと坐禅を続けるとのこと。

住職は、鹿を山の斜面に見る時は、神々しく見えるとおっしゃる。確かに、山あっての鹿、まさにピッタリの光景。鹿がいて山が造られたのではない。鹿は、山の存在の一部なのかも知れない。

魚があって、水が生まれたのではない。水があっての魚。水が消えれば、魚も消える。

人間があっての、空気、山河草木ではない。人間も、自然界の一部、自然界を写す鏡。空気、山河草木が消えれば、共に人間も消える。人間も自分を主張し過ぎず、外界の中に溶け込む程、調和すれば、斜面の鹿のように、神々しくなると想う。

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March 23, 2010

凄い忘れ物

昨日夕方、伊豆・天城山の坐禅道場から帰宅した。

道場から、出発する時、「忘れ物無いですか?」とお互いに声をかけあっている時、ある参加者の人が、小声で、「自分を忘れました」と云って、「ワー凄い」と関心した。そして、ご本人は「最近ボケてきて」とか、それがジョークであったことがわかった。

確かに、"我を忘れる境地"が究極の境地ではないか。凄いジョークに驚いた。

その人は、また「有難いですねー」と呟いた。坐禅で、素晴らしい境地になられたのかと思っていたら、その後、「車で送って貰って」と続いておっしゃった。今度は、ガクッときた。

私の、"言葉の受信器"は、ちと調整を要するようだ。

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March 22, 2010

米国・南北戦争が日本を救った説

先日の勉強会の参加者の発言で、ペリー来航(1853年)後、日本が、欧米列強の植民地にされなかった理由に、米国・南北戦争(1861年~1865年)のことを指摘した人がいた。

確かに、南北戦争の混乱では、米国も、強い対外政策を取れなかったことはあると思う。

それから、1863年の薩英戦争、1864年の四国艦隊(長州)下関戦争は、薩摩・長州は敗北したものの、欧米列強をして、その後、植民地化させなかったものは何だったのか?今更ながら、興味が湧く。薩摩・長州は、その後、英国と親密になり、攘夷を捨てて行く。薩摩・長州は、戦いに負けていないような歴史の展開。

確かに、英国は、薩摩・長州の指導者達に、只者では無い日本人の力を印象付けられたと、歴史書にもあると云う。

欧米列強による日本の植民地化を防いだのは、南北戦争、薩英戦争、下関戦争などであったのかも知れない。

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March 21, 2010

三池高校、全国各地の大同窓会めぐりのアイデア

私の母校、福岡県立・三池高校の同窓会は、日本各地で大きな同窓会がある。今年は、各地の同窓会を渡り歩いてみたら、小さな驚きに富んだ、好い想い出の年になるかも知れないなど思い始めた。三池高校の同窓会誌"くぬぎ"最新号に、そのスケジュールが載っていた。

5月29日(土)、東京、市ヶ谷、アルカデイア。
6月19日(土)、博多、ニューオータニ博多。
10月17日(日)、京都、メルパルク京都。
10月23日(土)、熊本、鶴屋デパート新館。

同窓会に合わせて、帰省や各地に旅すれば、一石二鳥かなど考える。意外で懐かしい人達にも会えるかも知れない。オリエンテーリングで各ポイントのポイントを得る様に、全部の同窓会へ参加したら、人生が楽しそうとも思う。ちょっと真顔で考える。

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March 20, 2010

武士・士族の宿命、滑稽さ

私は、薩摩・長州・会津など、幕末の時代の各藩の戦いぶりは、いずれ劣らず凄いと関心していた。

一昨日、終業後、勉強会で、小さな長州藩が何故、巨大な幕府軍に勝てたかに就いて研究されてる人の発表・講義を聴いた。

その中に、薩摩も会津も他の藩も、武士階級が戦った。長州は、農民も町民も僧侶も神官も総動員で、藩の危機意識を共有して戦った唯一の藩であった指摘に納得した。

藩の危機、国の危機に、武士だけ戦った諸藩の歴史が、滑稽で、私は失望に近いものを感じた。長州がその後、日本の近代化に大きな貢献や、官僚機構、軍国主義への道を開いたことに於いては、功罪色々あるが、藩や組織が一体となって動く強さは、長州に証明されていることを悟った。

武士が武士がと、他の助けを求めず、寧ろ下からの助けを蔑んで拒み、一人相撲の悲劇の中に沈んで逝った武士階級の滑稽さ。今の時代にも、大きな示唆を与えてくれる。

プライドは時にカッコ好いが、悲しいほど滑稽にも見える。

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March 19, 2010

伊豆、天城山、坐禅道場"一灯禅林"合宿

また春の伊豆・天城山の坐禅道場(一灯禅林)へ、20日~22日合宿する予定。

寒い中、朝4時からの坐禅は、ちょっと厳しいが、日頃の生活に、ピリッと気合いが入って良い。

天城山の鹿も、木々も、空気も、今では、もう私の一部のような感覚。

住職の話も楽しみである。住職が長年の修業を経て到達された境地を、そばで垣間見れるのは、私の喜びであり、励みでもある。心して座る覚悟。

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March 18, 2010

「お早うございません」

昨日朝、会社で、椅子から、転げそうになった。

「お早うございません」と挨拶している声がして、爆笑をこらえた。

実は、ご本人は、「お早うございます、園長」とか、ふざけて云ったそうで、「お早うございません」などとは云わなかったらしい。私の耳の、ギャグ専用受信機が勝手にそのように受信したらしい。

もし、「お早うございません」と挨拶して回ったら、さぞ周りの人々の反応が面白く、痛快だろうと思った。

午前9時迄は、「お早うございます」。その後は、「お早うございません」と私が決めて、外人に教えてみたら、傑作だろうなー。そんな悪戯はいかん。思いとどまろう。

でも、そんな外人も見てみたい。

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March 17, 2010

6歳のエレナの手紙

神谷町の交差点の書店の店頭で、何気なく目に止まった本がある。

6歳のエレナは、亡くなる前に、沢山の手紙を隠していた。「パパ、ママ、あいしてる」エレナが残したメッセージ。

そんな紹介の本だった。

エレナが本棚など、家のあちこちに、たくさん隠していた、あどけない絵手紙が、エレナの写真と共に載せてあった。それは両親や妹に愛を伝えるものであった。手紙は死後2年以上たった今も、時折、見つかると云う。

あどけない字、「パパ、ママ、あいしてる」、そして人形や草木の絵。6歳で脳腫瘍で逝った、愛くるしい女の子。

彼女は、神の化身だと確信した。本のページをめくる度に、私は神の姿を見る思いがする。

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March 16, 2010

大極とは、ヨーガとは

止観(しかん)とは、見るものが全て、見る人の心の作用に惑わされず、本来の状態にとどまること。

心はカルマ(業)。心の作用を止滅(しめつ)することがヨーガ。「見つつ、見ず」、「かくの如くに、それを見ず」の境地。

外は一なる世界。内に差異が生まれる。多様性は、心(カルマ)による曇り。名称と形態無き、永遠にして安らいでいる世界がある。本来、単純にして美しい世界。一なる世界がある。

太極拳の大極とは、「外に出ない、内に入らない」世界。陰陽二力の作用が調和する世界。プラス・マイナス・ゼロの世界。

住職は、坐禅でも好し、太極拳からでも好し、行き着くところの境地は同じと云う。

そして、住職は、「消滅に遊ぶ」境地と云う言葉で、修業の勢いを説いた。「消滅に遊ぶ」、感動して、参ったと思った。

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March 15, 2010

マスタードの様な花

昨日は西国分寺へ、3月10日ガンで急逝した会社の先輩の告別式に参列した。

告別式後、故人の出身の早稲田大学コーラス部の方々がリードする「都の西北」を合唱した。式場入り口には、故人の人生の節目の写真が何枚も飾ってあった。

一緒に参列した、某社の部長の友人と、帰りにちょっと精進落としに蕎麦屋さんへ立寄った。共通の友人の死をまじかに見て、会話は自然に、仕事より、人生の生き方に及んでいた。

蕎麦屋さんから出て、駅へ歩く道で、その友人は、道端の菜の花に近づいて、携帯で花の写真をバチリ・バチリと何回か撮った。此れを"Explosion of Mustard Flower"と云うのを知ってますか、と私に問うた。オー、凄い表現と私は驚いた。「マスタードような花の爆発」、此れが菜の花の開花なのだ。

私は、「Riot of Cherry Blissom」と云う表現を想い出し、紹介した。もうじき、「桜の乱」が始まる。丁度、そんな時に、その先輩は亡くなった。

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March 14, 2010

心はカルマ(業)

昨日の住職の話のメモを見る。

「心はカルマ(業:印象気分)に汚されている。外にあるものは一つのもの。分別出来ない。差異は内にある。

多様に見てしまうのは、心の作用。分別は不自由。」

外にあるものが一つに見えることの素晴らしさ。ダイヤモンドも石ころも同じに見える境地。

解脱への境地の素晴らしさ。

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March 13, 2010

笑いの効用

「血管年齢を若返らせる本」高澤謙二著(PHP研究所)に、笑いの効果が紹介してあった。

ギャグや、ひょんきんなことを考えて笑うのは健康に好いことを、研究者が証明する著書は、嬉しい驚き。

笑いの効果
(1) 笑いは血管をリラックスさせる。
(2) 副交換神経の働きを活発にし、血管を開く。
(3) 血圧を下げ、心臓の負担を減らす。
(4) ストレス ホルモン を抑えて、血糖値下げる。
(5) 免疫力を高め、病気の発症を抑える。
(6) 涙を流すことも血液サラサラ効果がある。
(7) 大きな声を出して笑うと、脳内モルヒネが増える。

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March 12, 2010

1000年目の日、鎌倉・鶴岡八幡宮の銀杏の巨木

鎌倉・鶴岡八幡宮の樹齢1000年とも云われていた銀杏の巨木が、3月10日早朝、雪混じりの強風で倒れたとのニュースを翌日知り驚いた。

その日が、巨木にとって1000年目の終わりの日だったのかも知れないとも思った。枕草子の時代、前九年の役とかがあった1000年前に生まれ、この2010年3月10日早朝に往った巨木の生涯を想った。

私が、何気なく平凡な日として送る日も、1000年目の巨木の生涯の頂点の日であったのだ。

以前住職から聴いた。今日と云う日は、46億年の地球誕生後、やっと辿りついた頂点の日。

昨日、私は、会社終業後すぐ、品川から湘南ラインで鎌倉・鶴岡八幡宮へ行ってみた。夜7時半くらいに着くと、巨木の周りに、別れを惜しむ人達が、何人か集まっていた。私も、横たわる銀杏の巨大な古木を繁々と眺め、別れを惜しんだ。そして何故か、長く生きていてくれて有難うと、云いたくなった。

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March 11, 2010

「描かずに表現する」ことに感動

秀吉の時代の、長谷川等伯の松林図の解説を、TV新日曜美術館で聴き感銘を受けた。

墨で描かれた疎らな松林、松の背後の大気をも捉えて、空を描いている。

静寂を描いて、シーンと云う音が耳に残るほど。だが、細かく見ると、荒々しさと静寂さが同居している。

影を描いて、実体を暗示する。俳句も同じこと。

狩野派がオーケストラなら、等伯はソリスト。

このような、等伯ファンの声を聴きながら、松林図を眺めた。描かない空白に、画家の渾身の表現があることに感銘。それは、人生の深い味わいであり、人生の賛歌。

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March 10, 2010

仕事のプライド議論、娘の一本勝ち

一昨日、会社帰りに、娘の住む本八幡の駅で待ち合わせて、駅前の和食居酒屋で、娘と一杯飲んだ。

仕事に関するプライドのようなものについて話題が及んだ時、私は、予てからの私の持論を披露し、娘に伝えようとした。お父さんは、自分の仕事の質を維持するために、私的な時間を犠牲にするのも厭わなかったと云った。恥ずかしい仕事をしたくないから残業もした。それは当然サービス残業の覚悟であったと。

営業職の娘も、仕事に熱心で、サービス残業で夜遅くまでOfficeにいること、休日出勤も多いことを知った。今の会社は厳しく、それは全てサービス残業なのだそうだ。でも娘は、深夜でも、御客様に見積もりなどのFaxを入れていると、誠意が伝わり、結局自分の仕事の信頼につながり、成績が良いことに繋がり、自分の人生勉強・向上にも繋がり、それで好しと思うとのことだった。

そして、私の云う仕事で恥じをかきたくないと云う、「仕事へのプライド」に対してや、娘は、「お父さん、それは、自分の仕事へのプライドより、"お客様へ良い仕事を提供する"のが、もっと大切じゃない?」と云われて、その瞬間、参ったと思った。

「我を捨てて、成りきった時、道が拓ける」、修業している私が、若い娘に、完璧な一本負けであった。

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March 09, 2010

雑誌、「蛍雪時代」、「ジュリスト」の響き

「蛍雪(けいせつ)時代」と云う大学受験の分厚い雑誌が昔あった。懐かしい響き。地元、九州・大牟田の街で、自転車を押す学生服姿の自分を想い出す。どこの大学へ行こうかと、色々、大学の要綱を読んで夢を膨らませていた時代。

今思えば、未来が、幼稚に、単純に輝いていたようにも思う。それでも、それが若者なんだから、それで好しと思う。

会社に入ってからも、密かに司法試験に一度はチャレンジしたいと思い、「ジュリスト」と云う法学雑誌をよく買って読んだ。司法試験を目指す、社会人グループの勉強会へも参加して、一緒に事例研究もやった。横浜・磯子の質素な借家の勉強会で、何年も司法試験をトライしている人達との交流も楽しかった。

「蛍雪時代」、「ジュリスト」と云う響きは、私の人生に、ちょっと、チャレンジした時の想い出をもたらしてくれる。それは、微笑ましい想い出の響き。

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March 08, 2010

自分の茶目っ気に失笑

昨日は、久しぶりにちょっと余裕の時間に恵まれ、のんびりと、関内の画廊に友人の絵画展を見たり、二俣川に写真展を見に行った。それぞれの友人の自己表現に、その友人の内面の思いを想像したり新鮮であった。

ところで、最近、自分の部屋の電気の延長コードがちょっと古くなり、火災予防タイプの新しいコンセントに変えたいと、この数日ずーっと思っていた。

そこで、何と、二俣川に来たので、そうだ、ここで二股を買おうと思って、内心失笑。

二俣川駅前の長崎屋へ入って電気製品売り場で見事、二股購入成功。達成感。

三つまたと云えば、私の友人に、"みつまさ(光正)"と云う友人がいる。この友人を連想する。久しぶりに連絡とってみるか。とか、とにかく、我ながら、自分の"茶目っ気"に苦笑、失笑。「馬鹿じゃないのか?」とさえ思う。

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March 07, 2010

KM観光バスの大学時代

先日、不思議な縁で、大学時代に3年くらい添乗のアルバイトしたKM観光バスに、何十年ぶりかで乗った。先日のアラブからの訪日代表団の横浜の新エネルギー施設への見学会へ行くバスがKM観光バスだった。

私は、大学時代、外人観光客のツアーの添乗アシスタント、スキーバスなどのアシスタントなどの仕事をした。JR山手線の大崎駅そばに、車庫があり、朝早くから勤務が多いので、前の晩からよく会社の大崎の寮に泊まった。当時の運転手さん達の名前も、ガイドさん達の名前も、仲間の大学生アルバイトの人達のことも、よく覚えている。色々な観光地にも行けて、私には、とても好いアルバイトだった。

帝国ホテルで、朝、そのKMバスの中に乗り込み、ゲストの世話役として、運転手さんと打ち合わせをする時、ぱーと、大学時代に返ったような想いだった。運転席の横の座席で、運転手さんとしゃべる私は、当時のKMの薄いブルーのジャケットを着ているようだった。

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March 06, 2010

午後は調停委員の世界

昨日は午後から年休を取り、夕方横浜で開催される家裁・調停委員の懇親会に出席した。

2004年から2年半、調停委員を一緒にした人達との久しぶりの交流に、楽しい時間が過ぎた。色々な調停の話が、懐かしく、また新鮮に聴けた。

二次会は何と、カラオケ。私は、「高原のお嬢さん」(舟木一夫)、「どうぞこのまま」(丸山圭子)を歌った。

朝、いつもの通り出勤、午後は調停委員の世界、夜は青春時代のカラオケ世界。この様な変化が、私は好きな生き方に感じる。小さな驚きに満ちた生き方。

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March 05, 2010

NHK番組紹介画像にチラッと私の姿の驚嘆

何と、NHKの番組紹介のインターネット画像に、小さく私が映っているのを発見。

http://www.nhk.or.jp/visione/index.html

3月6日(土)、NHK総合TV 「経済ワイドビジョンE」朝09:00-09:50の日石会長のインタービュー番組に、会長がアラブの石油会社社長一行と会う場面が流れるとのこと。

その番組紹介に既に、小さく私の姿が背景に映っている。恥ずかしいやら、嬉しいやら、昨日朝、会社の女性が発見した時は驚いたなー。

これは記念になるが、可笑しな人生の展開。

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March 04, 2010

満洲の写真に魅入る、雑誌、"歴史通3月号"

書店の店頭で見掛けた"歴史通"と云う雑誌3月号に、満洲を走った蒸気機関車アジア号の写真が載っていて、心惹かれた。先日、韓国出張時、板門店近くのイムジン河に面する記念施設で見た被弾大破したSLが、そのアジア号そっくりだったことを想い出した。

中を開いてみると、沢山の満洲の鉄道沿線の光景が載っていた。私は、母が若い頃、1人で釜山からハルピンまで、2昼夜半かけて行った鉄道の旅をの情景を想った。

当時の切符や、駅の様子、建物など、母が見たであろう光景が、モノクロ写真で、何枚も載っていた。私は、即、その雑誌を買って持ち帰った。そして、私は、その雑誌をパラパラとめくると、当時の母と会えるようで嬉しく想う。

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March 03, 2010

チラッとTVに出る可能性

今、私の働いているアラブの国営石油の社長一行の、先月末の来日のシーン が近々TVに出る予定だと聞いた。

私は、2月25日(木)、アラブからの代表団 約10名の、某石油元売会社首脳との面談に同行した。

NHK 総合TV 3月6日(土)、09:00-09:50の「経済ワイド・ビジョンE」と云う番組で、新エネルギーに取り組む某石油会社会長の生出演の番組に、その時の模様が少し放送されるとのこと。

私は、画面に映っているか不明ですが、私の仕事の一つの場面として、恥ずかしながら、ご紹介します。誰か私の友人知人も、偶然に、この番組を見ていて、「あれっ、~さんだ」とか、驚く人もいるだろうか? 小さな驚きの体験。

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March 02, 2010

誤解に満ちた記憶の集積、懺悔への入り口

昨日来た坐禅会の案内メールに、幹事の方が、住職の言葉を添えてくださった。

「私たちが問題にするその問題は外にあるのではなく内にあるのです。我々の喜怒哀楽の対象は外ではなく、内面の記憶にあります。ここが分かったら、外のせいにはしない。そうすると全ては懺悔の対象になります。
嫌いな、大嫌いな人、外にいるのではないんです。記憶の中(カルマ)にいるのです。心の中にあるんです。外にはよいも悪いもない。」

全ての人が、また私と云う存在が、如何に極端な、それぞれの業(ごう)に、翻弄された存在であるかを思う。それは、まさに、誤解に満ちた、エキセントリックな存在と云ってもよいかも知れない。

それに気づく時、私は、開放され、宇宙に同化し調和する。波が大海に気づく時。

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March 01, 2010

横浜"ららぽーと"へアラブ代表団を案内

アラブからの代表団は日本の顧客への表敬訪問を終え、昨日無事離日した。

一昨日、午前中、横浜のエネルギー関連施設の見学をして、その後、何と、希望で、横浜"ららぽーと"(鴨居)に立ち寄ることになった。横浜の住人である私は、横浜の"ららぽーと"には行ったことがなかった。

全ての日本での公式行事を終え、アラブの国営石油の社長も、リラックスして、"ららぽーと"のショッピング街を散策した。私も、一緒に、スターバックスでのコーヒーを飲んだり、プライベートな会話も楽しんだ。

日本について、色々質問をされた中で、単身世帯の増加する日本、自殺者の数(年間3万人以上)が気になったのか、敬虔なイスラム教徒の彼は、日本にもイスラムのような宗教心が必要だと、熱っぽく説いた。

”ららぽーと”内の広場では、中学生の吹奏学部の演奏をやっていて、周りに人垣ができ、幼児を肩車したお父さん達が何人もいた。その前にアラブ人一行約10人と私の姿。何とも奇妙な、愉しい光景でもあった。想い出の光景で、今回のアラブ代表団アテンドを締めくくった。

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