最後まで残る聴覚の想い出、母との別れ
人間が死に際して、最後まで聴覚は残ると云う。話せ無くなっても、耳は聞こえているので、死に際して、嬉しい言葉をかけてやれば良いと云う。
私は、母の死に際して、相変わらず、ひょんきんなことをしゃべっていた。数日間、東京から会社を休んで九州へ来ていたので、一旦東京へ帰るよと、昏睡状態の母に云って、大牟田駅から博多行きの特急に乗った。
博多まで約1時間の特急電車の中で、このまま、死に際した母を置いて、私は仕事へ東京へ帰る事が、人生で、何か大きく、優先順位を取り違えているように感じ、博多に着くや否や、また特急電車で、大牟田へ引き返した。実家へ引き返し、母の枕で、母の手をとって、「また帰って来たばい」と云って、その1時間後に母は他界した。
母は、ずっと私の行動、言葉を聴いていたのだと思う。一旦東京へ帰ろうとした私の行動が、母はどんなに辛かっただろう。別れが辛かっただろう。その後、私が、また帰ってきて、「母ちゃん、また来たばい」という声が、どんなに嬉しかっただろうと思う。一旦東京に帰ろうとした私の行動が悔まれ、そしてかろうじて正気を取り戻した私に、責めてもの救いを感じたり、そんなことを想い出す。
Comments
人が、今この時からいなくなって、違う世界に行くというのは、大変なことだと思います。
何十年も生きてきて、いろんな人たちとの関わりがあって歴史がある。
人としてこの世に誕生したのは、地球上の生物の数から言えば、奇跡に近いと思います。
病院に引き返したのは、お母さんの心が動いたんですね。
魂に導かれて・・・
科学では割り切れないものが、たくさんあると聞きますが、身体と魂は別なんじゃないかしら。
お母さんの心、そのものだったんですね。
いくつになっても、母の心に触れ合っていたいですね。
Posted by: ひまわり | February 08, 2010 09:30 PM
ひまわりさん、インド哲学では、「身体、心、魂」と三つに分けているところが驚きでした。心は、まだ「物質的こころ」と云って、まだ、物質的なんですね。
魂は、「生ぜず、滅せず」の世界。
魂の世界は、親も子もない、元々一体のもの。宇宙の存在全てが、一つの魂のようなものと云った感じです。
Posted by: life-artist | February 09, 2010 07:25 AM