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December 31, 2009

すき焼きと鯨、私の故郷の年末

昨日は大牟田の弟の家で、弟家族、姉も交えて久しぶりの"すき焼き"を食べた。子供時代は、年末のすき焼きは恒例であった。大勢の家族で、すき焼きの鍋をつついた。少ない肉を、金鉱掘り当てとか冗談を云って探していた頃を想い出す。それに昨日は、私の好物であった塩鯨や鯨のベーコンまであった。

大学時代、私の九州帰省の度に、鯨を用意して、待っていてくれた母の想い出。昨日夕方、TVで、満洲の戦争孤児の映画「遥かなる絆」をやっていた。その時の養母の表情が、母を想い出させて、見るのが辛かった。

私は、いつものように、弟の子供達と、ひょんきんにふざけて遊んだ。弟とプロレスゴッコをする時間、昔の私に返るひと時だった。

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December 30, 2009

トコトコと瀬戸内

昨日の朝、旅館をチェックアウト後、宿の30代半ばの若いご主人に親切に尾道駅まで車で送ってもらった。車の中で、リーリー・フランキーの小説「東京タワー」が好きと云う話を聴いた。レトロな尾道駅前で港や駅舎の写真を撮った後、次は普通列車で呉へ向かった。呉線は、山陽本線より更に南の海岸沿いにあり、海岸に這うように、瀬戸内の海を横に見ながらトコトコと走った。

呉は、戦艦大和のミュージアムがあるところ。初めて呉にも降り立った。10分の1の大和の模型に初めて対面した。大和の各性能を知る度に、改めて、当時の日本の技術力の高さに驚いた。46インチ砲は40キロ先(東京~戸塚くらい)の的を正確に射撃出来たと云う。開戦1週間後に竣工したものの、時代は巨艦時代から航空機時代に変わり、巨艦では、出番が無く、終戦時、沖縄への云わば自決出撃に向かった。3000名の優秀な水兵と共に沖縄の深海に沈んだ大和に想いを馳せた。

夜、郷里大牟田へ着き、姉と大牟田駅前のレストラン"松本"で夕食をした。"松本"は、両親が大好きだったレストラン、両親が座った席まで覚えている、愛着のある安らぎのレストラン。かくして、安芸路を経て、故郷への短い旅であった。

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December 29, 2009

尾道、母の心の風景

昨日の夜、尾道に着いた。

母が憧れ、愛した林芙美子のゆかりの地、尾道。尾道を訪れただけで、何故か嬉しかった。

母は尾道に来た事はあったのだろうか。もし来れたら、どんなにか喜んだことだろう。

尾道の風景、全てが、母と歩く風景。

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December 28, 2009

帰省の旅

今日は午前中出勤して、午後から九州への一人旅の帰省に出発。帰省の途中、今日は初めての尾道に泊まる予定にした。

昨日の朝、TV番組からメモした短歌、一つ二つ、メモを見る。

「翌日には ゆうべに着きぬ しじみ汁」

「一輌が 一輌を待つ 枯野駅」

「夜汽車いま 枯野を行くか 窓の闇」

今年を振り返りつつ、旅に出る。

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December 27, 2009

宇宙の営みの"ゆりかご"の中で。

運が良い訳じゃない。運が悪い訳じゃない。ただ私がそこに居合わせただけ。

それが私の人生。

私が見ているものは、宇宙の一つの現象に過ぎない。大した事じゃない。

大きな宇宙の営みの一つを、私が演じているに過ぎない。

宇宙の営みの全体が見えれば、どうって事ない。どちらでも好い事。

ただ宇宙の営みの"ゆりかご"の中で・・・・・。

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December 26, 2009

1年単位で生きる

人生を、1年単位で区切り、生きてみる発想は、何か充実するようで楽しい。

その1年は、その1年で完結させる。成功も失敗も、幸も不幸も。年末で時間切れ、引き分け。ゲームセット。

今年の心残りは、何だったっけ?来年の課題はこれだ?新たに、これにチャレンジだな等、色々浮かんで来る。

そして、生きた年数分だけ、全く違う人の人生を送ったと思えば好い。そう云う勘違いは、新鮮でいいなー。

先祖から、そのように、世代の区切りで、私の人生は生じているようなもんじゃないのか?先祖からの世代の区切りを、1年と置き換えて、見てみれば好い。

そうすれば、お正月の朝日も、格別に輝く。よし、それで行こう。

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December 25, 2009

年賀状締め切り対策、新作戦

12月25日までに年賀状を発信するために、昨日は、変わった対策をやってみた。

通勤電車に座っている時に、年賀状を書いた。会社の昼休み、銀行ATMで並んでいる時にも年賀状を書いた。交差点の信号待ちの時にも書いた。夜、立ち寄った地元のジャズ喫茶でも、ジャズを聴きながら書いた。帰宅後も深夜まで書いた。

これで、年賀状は正月配達のための25日締め切りに、大体間に合った。安心して、28日午後からの九州への帰省の旅に出れる。去年は年末の帰省の旅の途中にも、まだ年賀状を書いていた。今年は大改善。

昨日ほど、いたるところで、時間を惜しんで、年賀状を書いたのは初めて。交差点で信号待ち中にも書いたのは、我ながら、笑った。自分の行動が漫画みたいで、愉しくも思った。

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December 24, 2009

サンタクロースを、ついに発見

子供時代にサンタクロースが居ないことに気づいてから、もう何十年たっただろう。でも、また私は、今、サンタクロースがいたことに気づいた。

心の中で、私は見える。今頃、私の両親は、ヒソヒソ話で、あれこれ相談して、ごそごそと何かを用意しているように思う。騙された振りして、寝た振りをしておこう。

去年のクリスマスにくれたプレゼントの箱には、その後、色んな小さな驚きのプレゼントが入っていた。高価なものではなく、両親が私に気づかせてくれた、人生の小さな喜びの数々。今年も、また、一杯、私を喜ばそうと思って、用意している母の表情までわかる。

生まれてからサンタクロースを信じ、そして信じなくなる時代を経て、やっと本当のサンタクロースが空にいる姿が見えるようになれる。それが、人生の修業なのだと思う。

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December 23, 2009

英語トンチンカンギャグ

英語を使った、トンチンカンギャグを久しぶりに聞いた。

Don't give me white horse. = 「しらばっくれるな」「白馬くれるな」

I can't open the Sky=「そら、あきまへんな」「空、開きまへんな」

「もう、お願いしますよ」って感じになる。御大事に。

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December 22, 2009

臓器からの反乱、それが病気

数日前に読んだ医学書、TVの医師の話の中で、「臓器の声を聴いて下さい。」と云うのが、耳に残った。

病気は、「貴方自身の、"無関心、放置の癖"の所産」であるとの考えが、すごく訴えた。臓器は、声をあげて訴えているのに、その声を、他人ごとのように無視・放置出来るのは、60兆も細胞を抱える人間の驕りなのかも知れない。

一方社会に目を向ければ、社会で起きてる、すごい矛盾の声が、貧困・自殺・虐待などに相当すると思う。その矛盾の声を無視・放置して行く先に、社会の病気と云う戦争や破壊やテロが発症するのと似ている。

無視・放置は、自分のある内部の感知器のスイッチを切ってしまうこと。

自分の身体も、火災報知器のように、ちょっとした煙を感知するような、生きかたをしないと、ひどい病気に陥る危険が増すと思う。

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December 21, 2009

親父との二人の酒

私が親父と二人、静かに酒を飲む姿を、そんなことが無かっただけに、私の想像の世界がある。

お互いに、押し黙って、親父は、何か話そうと、戸惑う心理も手に取るようにわかる。

でも、親父は、内心、嬉しくて、嬉しくて、一生の中でも、一番美味しい酒の部類に感じただろう。

簡単に実現することだったろうけど、やれなかった親父へのプレゼントのひと時。

お互いに、愛おしくてしかたなかったのに、出来なかったこと。

でも、それを、心残りと云うのは止めよう。出来なかったが故に、激しく、今でも、想像の中で、その場面が輝きを放ち続けている。

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December 20, 2009

足利将軍ギャグ披露

昨日夜、故郷の同窓数名で忘年会をした時、私は、ちょっとギャグを云ってみたいパターンに入った。

(1)足利将軍のとき、副将軍は誰か?答えは、「オットセイ」。

アシカが将軍なら、オットセイは副将軍。これは、一同爆笑。

(2)来年は新卒何名採る? 両手を広げて、これくらいと云う。 1メートル(1名採る)。

(3)民主主義は不本意だ。デモ口惜しい(デモクヤシー)。

まー昨日は、こんなところで、勘弁してやった。

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December 19, 2009

仕事・健康・家族の重み

働き盛りのサラリーマンは、時に、自分の仕事に適度に自信もあり、ある程度健康、家庭も大丈夫と考え、人生は何とかなって行くと考えがちである。中高年に進むに連れて、どうも、それらが、怪しく、頼りないものであったことに気づく。

仕事・健康・家族の三方向からの反乱のような問題の噴出は、人生の戦いを一気に逆転させてしまう。電車の中で、サラリーマンの表情を見てると、何だかその苦悩のようなものを感じてしまう。

仕事は、成功と云われなくても、衣食住が出来る程度の自立のため基盤のようなものがあればよい。健康は、医者と薬にお世話になりっぱなしにならないように、自己管理が必ず必要。家族・友人関係の心の支えは、ちょっとした自己犠牲の気持ちが無いと保て無い。

案外と、穏かな幸せな人生には、技術がいるのだと思う。

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December 18, 2009

心の束縛

人は外界を、そのものとしては見ることが出来ない。

「全ての物の差異、感覚は、その人の記憶の中にある。その記憶の中に貯えられたものと比較して、ものを見て、考えている。違いは全て自分の脳の中にあって、外の世界には無い」。そんな説明を、先日、住職から聴いた。

全宇宙を一色にする「無」とは、そんな想像の果てに浮かんで来るものだと云う。

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December 17, 2009

病める医師達への驚き、そして会社帰りの気分転換

昨日夜は虎ノ門で、医療関係の政治家の講演を初めて聴き、最近の医療現場の荒廃に驚いた。新人の研修医の約2割がウツ状態で、医療の厳しい現場に適応出来ず、精神を病んでいると云う。病人を、そのような病んだ医者がどうして治療出来るのだろうか?医療現場の深刻な危機に、唖然とした。そして、医師はもっと栄養学も勉強して、病気にならない予防の医療に力点を置くべきだとも思った。

その医療講演会の帰りに、銀座の行き付けのスナックへ久しぶりに一人顔を出した。昨日は会社で、英語で激しく議論し疲れたので気分転換に立ち寄った。

そこで、初めて会った、隣の中年の男性と、話してるうちに、私の人生哲学を話していたら、「九州の男は気骨があるねー」と云われて、何故か嬉しかった。

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December 16, 2009

怒りのリトマス試験紙

怒りにも、単に自分の思い通りにならない身勝手な醜い怒りと、稀ではあるが、相手への心からの愛情、相手への救済から生じる怒りがある。

「救済から生じる怒りは、次の瞬間に怒りは消えている」と、住職は云った。

怒りが、長く、引きずるのは、自分の救済のための怒り、身体を害する怒り。そのような怒りは、他からも醜く見え、心を打つことは無い。説得力も無い。

政治家、官僚の怒りの応酬は、共に収まりの付かない、自分のための怒りにも見える。

救済の怒りは、考えてる時間が無い動物的反射の、清々しい怒りだと思う。怒られた方もすぐ、自分のための怒りなら愛情と直感出来る。

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December 15, 2009

所有される不幸も、所有する不幸も同じ

他に所有されるような奴隷のような存在は辛い。身勝手な人の言いなりにならねばならぬ時、とても辛く感じる。

所有する方も、所有することは、気楽では無い。心は軽くはならない。所有する側も、ビクビクして心は穏かでは無い。

所有を主張することは、宇宙の理に反しているように思う。所有は不自然で、危なっかしく、醜い。

「所有せず、所有もされず」、唯、坦々と存在する。これが、穏かな、満ち足りた人生の極意だと思う。

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December 14, 2009

感覚の惑わし、大海は見えず

「動物的人間は感覚の中に生きている。食べ物が十分にあれば幸せ。肉体に何か起これば不幸である。

彼の幸せも不幸も、感覚の中で始まって、感覚の中で終わる。彼の感覚の外に幸、不幸は無い。幸も不幸も、自分が作りあげている。感覚が高まる毎に、不幸も増して行く。」

一昨日住職から聴いた、ヴィヴェーカナンダの哲学のメモを見る。

五感六識の運転を止めて、感じる世界は、波は見えず、大海のみ。

日常にもありうる我を忘るる瞬間、それは凄い瞬間ではないかと思う。それこそ宇宙と一体化して、大海を垣間見ている瞬間ではないのか。悟る主体は、自ら悟りを感じることは出来ない。唯、我を忘れるのみ。

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December 13, 2009

勘違い平行棒

昨日の座禅の会とその後の懇親会で、参加者の人達から、新らしいギャグネタを収穫した。

"罵倒観音"とありますが、例えば、どんなことを罵倒すべきなのでしょうか?(馬頭と罵倒の勘違い)

"五百裸漢"は、何故、裸ですか?(羅漢と裸漢の勘違い)

私が、予期して無い時、不意打ちの発言には、流石の私も降参。

勘違いは、笑いの源泉。参ったなー。

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December 12, 2009

天国と地獄は背中合わせ

天国へ近づけば、地獄へも近づく。天国と地獄は背中合わせ。

天国へも、地獄へも近寄らず、身はいつも微妙に中間にいて、天国の方を想像出来るのが人生の達人だと思う。

1センチ天国に近づいたら、1センチ中間へ戻す、そして微妙に中間点のバランスを取る。

ちょっと幸せを感じたら、ちょっと不幸で、バランスを取る。不幸の味付け無しには、穏かな幸せは保てない。

幸せだけでは、貪りに、心が乱れて行く。

天国にも、地獄にも、近寄らず、サーカスのように中間点のバランスを取り続ける。

そんな人生哲学を、私は考える。

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December 11, 2009

一芸に秀でても、たいしたことはない

若い頃は、一つの道を極めた人は、どんな世界でも凄いとよく思っていた。一つの道を極めることへの憧れや尊敬の念があったから。

でも、最近はつくづく思う。大したことはない人が多いと。

一つの道を極めても、幼児のような未熟な、病んだ精神の人もが多いと思う。憐れにも思う。

タイガーウッズ事件、朝青龍の性格異常、自殺する文学者など。今、事件を起こしていない、有名人も、その幼児性、未熟さが表面に見えてないだけかも知れない。

バランスの取れた穏かな幸せには、極端な成功など要らない、寧ろ害毒だと思う。

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December 10, 2009

この世に舞い戻って来た気持ち

この世に舞い戻って来たと思えば、1日が全く違って見える。

もう既に自分は死んだ存在と仮定してみて、透明人間のように、もう他人からは見えない存在だと仮定してみる。

そして、自分も周りを、キョロキョロと見廻してみると、周りが静かに、キラキラと輝いて見える。雨でも曇りでも、嵐でも晴れでも好い。

ただ、周りの光景に、自分も溶け込み、宇宙を成している感じになる。

人生そのものが崇高で十分に豊かで、殆どのことはどうでも良よかったこと。人生ではどうでも良いことに惑わされている。そう云う気持ちになれる。

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December 09, 2009

天井の木目の模様

子供の頃、風邪とかで寝込むと、私は一人、家の二階で寝かされ、寂しさを紛らすために、よく天井の木目を見て、アミメーションのような動物を想像していたことを想い出す。

楕円形の池があり、ワニがいたり、ヘビがいたり、むき出しの木目は、私を混乱させる程の色んな形を想像させた。熱を出して苦しんでた時のことや、一人の部屋で寂しく、ジーと天井を見て過ごした時間のことなどを想い出す。

そんな時、母は下の階で、店の仕事や家事をして忙しかった。私の様子を見に、たまに、二階に上がって来てくれるのを、どんなに心待ちにしていたことか。

先日、TVで難病で26歳で他界された佐賀県の坂井宏之さんと云う人の短歌の紹介の番組を見た。彼の歌に「天井と私の間を 各駅停車が往復する夜」とあった。15歳から26歳まで、自宅の部屋で寝込まれ、どれだけ、寂しく天井を眺められたことだろうかと思った。

私は、何故か、あの頃の木目の模様を鮮明に想い出す。それも、私の人生の光景。

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December 08, 2009

レセプション&居酒屋

昨日夜、"日本・アラブ経済フォラム"のレセプションに参加し、初めて直島経済産業大臣の挨拶を聴いた。12月6日~9日、アラブ、日本の政府・企業・経済・メデイア関係の人達が今後の協力関係を考える国際会議が目白フォーシーズンホテル椿山荘で開催中。レセプションでは、顔馴染みの中東関係者も多く集まり、大体の中東に関する、ビジネスの近況を垣間見ることが出来た。

私は、ちょっと、フォラムがどんな雰囲気なのか知りたいのと、また、椿山荘が学生時代の外人観光バスの添乗員でよく行った場所で懐かしく、レセプションに参加した。

レセプションには30分くらいいて、すぐ、友人との待ち合わせの新橋の居酒屋へ向かった。新橋の居酒屋では、時を忘れる程、酒を飲みながら談笑した。目白でレセプションと、新橋の居酒屋のハシゴ、そんな組み合わせが、私には、新鮮だった。

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December 07, 2009

想い出の力

何故、"想い出になるような生き方"を求めるのか?と自問してみる。世間の価値は低くとも、そのように行動したくなる生き方がある。

例えば、今までの人生で、ちょっと想い出すだけでも、穏かな幸せに包まれるような想い出がある。母と二人で見た裏山の夕日、娘と行った遊園地、旧満洲への旅、など。

想い出は、現実を幻覚に導く程の幸せをもたらしてくれる。想い出は、"過去のもの"ではない。想い出は生きるエネルギーになって行く。

ほのぼのとした想い出になるような人生を送りたいと想う。

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December 06, 2009

「いくたびも 雪の深さを 尋ねけり」、子規庵訪問

昨日は、午前中、神奈川いまむかしガイドの会に参加。東横線・大倉山駅界隈の散策をした。江戸名所図絵にある、師岡熊野神社(723年創建)、江戸時代の獅子ケ谷村の名主・溝口屋敷(豪農屋敷)を初めて訪れた。地元にこんな場所があることを知らなかった自分に驚き。熊野神社前の池にある石灯篭は、江戸名所図絵にも描かれ、まるっきり同じ位置にあり、その発見が、何故か嬉しかった。

午後は、東京シテイーガイド文学グループの行事に1年ぶりくらいで参加、昨日は憧れの谷中・根岸・千駄木を歩いた。子規庵には感激。戦後に再建されたとは云え、正岡子規が病床で眺めた庭のへちまが、当時を偲ばせ、ジーンと感じるものがあった。「ここは冬景色もいいですよ」とボランテイアの解説の方が教えてくれた。絵葉書の雪景色の子規庵の佇まいは、冬の寒さの情景と共に、昔の日本の質素な暖かさがあり、心惹かれた。その1枚の絵葉書には、子規の句「いくたびも 雪の深さを 尋ねけり」とあった。その絵葉書は、私の想い出の宝として、購入した。

その後、漱石、鴎外など文豪のゆかりの地も散策。私にとって、嬉しかったのは、山岡鉄舟が維新に殉じた人を弔うために創建した寺"全生庵"訪問だった。 「晴れて好し 曇りても好し 富士の山」、彼の言葉は、今では、私の人生の指針。私は、小雨の中、傘を置いて、深々と彼の墓に一礼した。

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December 05, 2009

外人からの食育についての問い合わせの光栄

昨日夕方、石油市場関連の海外メデイアの記者から電話があり、いつものように、匿名を条件に、坦々と慎重に会話しようと思っていたら、石油とは全く違うことを云われてびっくり。

「友人から、貴方が食と健康の勉強と実践をされてると聴き、私も今、肥満を解消する努力中で、貴方の話を聴いてみたい。」と云う内容だった。彼は、一度あったことがあり、欧米人だったことは覚えていた。外人から食育について問い合わせを受けることは、とても光栄に想い、嬉しかった。

早速、電話で、砂糖・動物性脂肪が病気の過剰摂取が二大原因であること、夜9時以降の食事は肥満・病気の元など、すばやく話して、参考に私の作った英文食育資料をメールで送ってやった。

以前日本にいた、100キロ以上ある体重のアラブ人の同僚や、不健康がちのアラブ人の友人達のために、作っていた英文資料が、このような時に役だった。

そうだ、私は、食育でも社会貢献をするんだと、これからの人生の広がりに夢が膨らんだ。

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December 04, 2009

銀色の月、朝焼け、富士山が見える朝

今朝、6時頃、新聞受けに新聞を取りに玄関を開けた時、もう明るかったが、西の空に銀色の月が大きく、くっきりと輝いていた。東の空は、太陽が昇る前のオレンジ色の輝き。そして、おまけには、西の地平に富士山も見えた。

ひんやりとした冬の朝の空気が、ピリッとして、妙に子供時代に感じた冬の朝を想い出させてくれる。

「もう、参ったなー」と思う程、新鮮な、雨上がりの朝。

新たな一日の始まりとしては、申し分無し。そして、ところで今日は、何をする日だったっけと、予定を確認した。

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December 03, 2009

アブダビ、ナショナルデイ、レセプション参加

昨日夜は、アブダビのナショナルデイのレセプションが帝国ホテルであった。同時にインターコンチで開催のShell のレセプションに先に出て、レセプションのハシゴをした。

石油や中東との関わりの、友人・知人と再会出来る貴重な機会で、私は、最近毎年参加している。

ビジネス中心の人々の中に、混じって、今の私は内心ちょっとビジネスからは引いて、人間観察を楽しむような境地でレセプションに参加している。疲れた人、やる気満々の人、卑屈で横柄な人、肩書きにこだわる人、ビジネスのことで頭が一杯の人、研究肌の人、チャラチャラした人、派手好きな人、ドキドキしながら参加している若い人など。それぞれの、移り行く人生の光景を眺める。

アブダビのレセプションの帰りにもらった今のアブダビのパンフレットを、電車の中でめくってみた時、写真に、私達が住んだ、フラットのあるビルが載っていた。私の、人生観を変えるきっかけとなったアブダビ。私は、繁々と、その写真に見入った。

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December 02, 2009

星空の神秘、小田原駅ビル屋上仮設プラネタリウム

先日箱根の帰り、小田原駅ビルの屋上で、今の時期の小田原の星空の鮮明な映像の投影をやっていた。天の川が大きく横に流れ、冬に向かう今の時期の西の端の空に、天の川を挟んでVega(織り姫)、Altair(ひこ星)が輝いていた。その中間の、少し西に、白鳥座があり三角をなしていた。

「織り姫とひこ星の間は、140兆キロメートルで、メールを出しても届くのに15年、新幹線で行っても6000万年要ります。」と解説を聴いた。

全ての星には寿命があって、太陽にも地球にも寿命があることを知った。

「あの赤ちゃん星は、まだ生まれたばかりで、まだ200万年しか経っていません。」など聴いた。

新幹線でも6000万年かかる距離の"織り姫"と"ひこ星"を、遠くの星から眺めている私は、巨人のようで、不思議な気持ちになった。小さな人間の小さな目は、そんなすごい宇宙を、俯瞰していることを想った。

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December 01, 2009

30分の1に下落したドル

先日、副島孝彦氏の講演を初めて聴いた。副島氏の過激な経済評論の著書を、よく店頭で見かけるが、過激過ぎて、詳しくは読んだことは無い。

驚いたのは、彼が、案外、ユーモアたっぷりの人間であったこと。漫談風の講演にも聞こえて、深刻な題材の話なのに、私は時折大笑いしながら、聴いた。

でも、私が、ハッと驚いたのは、ドル下落の歴史のことだった。第二次世界大戦終結期の1944年、ブレトンウッズ体制(IMF体制)が発足、金1オンス(31グラム)が35ドルと固定された。つまり、金1グラムが約1㌦だった。

それが、今は、金1グラムは約1000㌦。約30分の1に価値が下がったドル。1971年ニクソンショック(金ドル交換停止)以来、青天井のように増刷される米国通貨は価値を落とし続けている。

30分の1に価値を落とし、これからも更に価値を落とし続けるドルに、世界経済は、新たな基準作りが必要になる。私達の時代も、大きな歴史的転換点の真只中にいることを思った。

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