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November 30, 2009

英国人バックパッカーとの再会

今年9月娘とインド旅行中の列車の中で会った英国人バックパッカー女子大生2人に、ついに昨日また日本で会えた。

浅草雷門前で娘と4人で夕方、待ち合わせて、若者達らしく六本木ミッドタウンへ行った。夕食は、外人が多く来る"権八"(外人居酒屋)へ行って、日本食を紹介。天ぷらも寿司も初めて食べるようで、大喜び。バックパッカーの旅で、最高のご馳走ですと云って興奮気味だった。

娘とは同じくらいの年で、インドの列車の中以来、大の友達のように、話し込んでいた。

六本木交差点近くのカラオケ館に入り、もう英語の歌のオンパレード。英国人の青春の歌も沢山聴けた。娘の"A Whole New World"(デズニー映画アラジンの歌)も、また聴けた。

彼等の青春の世界旅行の一場面に、私達親子が、立ち合えた一日だった。彼女達が歌った曲で、"Wind Beneathn My Wing"(私の羽根を浮かす風)と云うのが好かった。誰かに助けられてると思う人生は素晴らしい。

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November 29, 2009

新潟・箱根の日

先週、25日(水曜)は、終業後新幹線で新潟へ行き、翌日、新潟時代に、お世話になった先輩を見舞った。2007年6月新潟から旧満洲ハルピンへ行った時、新潟空港まで見送りに来てくれたり、家族のように付きあってくれる先輩だから、万難を排しても早く見舞いに行かねばと思った。ご夫婦とも、病気療養中であったが、昔のように談笑出来て、嬉しかった。

その後、私が、新入社員時代に勤務した新潟製油所の場所を見に行った。当時600人の社員を抱え、大工場だった沼垂四つ角の工場も、今では、閉鎖され、門には鉄条網が張られ、門の前の線路には、雑草が生えていた。事務所の前の階段で、私は転勤する時、並んで記念写真を撮ったなーなど、金網の間から、中の様子を覗き込んだ。

新潟駅方面へ続くシャッター通りを通り、ある飲食店で日替わり定食を食べた。鱈の煮付け、キス南蛮漬け、柿のもと(菊の花)お浸し、で630円であった。店を出て、遠い日の新潟のことを想い出しながら、新潟駅へと歩いた。

そして、午後は、新潟から東京経由で箱根・桃源台の、友人の勤務するホテルへ向かった。私の人生の旅の一日。

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November 28, 2009

禅の思想と、「星の王子様」

26日に箱根で勤務する友人のホテルに宿泊した帰り、27日の朝、川向の"星の王子様・ミュージアム"に入ってみた。何となく知っているつもりだった、サンテグジュペリ、星の王子様が、こんなに深い哲学だったのかと、改めて感動した。

サンテグジュペリの、1900年から1944年までの人生。彼は、第二次世界大戦の終わりの頃、飛行士としては老体に鞭打って、志願して母国フランスへの偵察飛行に向かったまま消息を絶った。彼は、「良心の呵責に折り合いをつける唯一の方法は、苦しむことだ」と云った。彼は、母国がナチに蹂躙されたまま、自分だけの幸せでは意味を持たなかった。

死ぬ前に弟が云ったと記している。「身体は単なる、脱け殻のようなものだから、精神は痛くも何とも無いよ」

「本当に大切なものは、目に見えないんだ。」

これらのことは、全て、禅の修業を積む人達と同じ思想に通じている。サンテグジュペリに改めて尊敬と、敬愛の情を感じた。そして、同じ修業の同志だと想い、胸が熱くなった。

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November 27, 2009

日本史の2大重要転換点、応仁の乱&元禄文化

数日前に東京シテイーガイドの企画で、上野の東京都美術館で、「江戸の出版文化」と云う講演を、清泉女子大の佐伯孝弘先生から聴いた。

これまでの日本の歴史の中で、1467年から7年間、京都を焼け野が原にした"応仁の乱"が、日本の制度のハード面を根本から変えた最大のイベントであったとの話に驚いた。鎌倉時代の武士社会と江戸時代の武士社会とは、全く違う。鎌倉時代は、まだ荘園が残っていて、武士も公家も荘園を持ち、共に大勢力として゛緊張状態を保っていた。応仁の乱を境に、地方の荘園の管理者(豪族)が、京都の戦乱で、本家を喪ったことを幸いに、荘園をのっとり、全国で乱立、戦国時代へ突入して行った。日本の制度その物が、断絶的に実質的に変化してしまった。

元禄文化(1688-1704)は、江戸時代の儒教思想の導入・普及政策で、鎌倉仏教の来世での幸せを願う"憂世"から、現世の幸せを語る"浮世"の価値観に、日本人の人生観を大きく変えた。儒教は来世を扱わない、今世のみ扱う。元禄文化は、今世を肯定する、生命力溢れる文化であった。応仁の乱は日本のハード面(制度面)を変え、元禄文化は、日本のソフト面(精神面)を根本から変えた。

これは、日本史が、とてもスッキリする解説で、小さな驚きでもあった。

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November 26, 2009

韓国の車の地味な色について

数日前の韓国出張時、韓国で見かける車の色が、地味な色が多いことに、一緒に行ったアラブ人が気づいた。

私も云われて気づき、韓国人の友人に二人にその理由を聞いてみた。

韓国人は、「集団の中で目立ちたくないので、地味な色を好む」と云う答えであった。

韓国も、控えめな、華美を嫌う価値感を持っていることは、小さな驚きの発見であり、私はちょっと、韓国文化を見なおした。

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November 25, 2009

大学同窓・家裁調停委員の有志の会参加

昨日夜は、以前勤めた家裁の調停委員の、大学同窓の集いがあり参加した。今の私の日常には無い、新鮮な刺激を感じる集いであった。

翌日の調停のことが気になり、深夜2時頃、目が覚めることもあったとか、ある調停委員OBの方の発言は、何故か生き生きとした、頼もしい責任感を感じた。8年間の調停経験で、離婚を取り止めた夫婦は2組だけだったとかの発言にも驚いた。

私が調停を経験したのは2年半、私の意外な人生体験だった。私が関わった約100組の離婚調停の夫婦は、今頃、どうしているのだろうと想い出した。

私の人生はあっと云う間に終わらないように、色々な体験をする生き方に変えた。それが、7年前のことだった。想い出に満ちた人生になるように、生き方を変えた。調停委員の人との交流は、私の人生の転換点を想い出させてくれる。

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November 24, 2009

新潟ESS・OBを訪ねる旅、アラブ巡礼休暇

私は、1975年、NHK新潟放送局のスタジオを借りて、新潟ESSと云う英語会を発足させた。当時、学生・社会人約20名くらいがメンバーで、週2回くらい、常時10人くらいで英会話を練習した。その時の想い出は、素晴らしい人生の想い出でもある。

11月26日・27日は、アラブの巡礼休暇(25日ー30日)に合わせ日本オフィスも特別休暇となり、26日(木)夜は箱根のホテル勤務の、その新潟ESSのOBを訪ねる計画を立てた。

その後、昔、私が住んでいた新潟の独身寮近くの人で、家族ぐるみで付き合ってくれた、新潟に住む同じESSの先輩が、数日前病気で療養中と娘さんから電話が入った。私を親戚のように可愛がってくれた先輩なので、すぐ見舞いに飛んで行きたいと思った。この、巡礼特別休暇を除いて、今年はもう、予定が立てられない状況で、急遽25日夜、終業後、新潟へ行き、26日昼、先輩を見舞うことにした。26日は、午後新潟から新幹線で東京経由で箱根へ行き、当初通り、箱根の友人の勤務するホテルへ泊まると云う案が成立した。

その時の新潟ESSの男性メンバー2人を、新潟と箱根にいるOBの2人を、偶然、明後日(11/26)、同日に訪ねることになった。人生の予期せぬ展開に、小さな驚きを感じる。「新潟・箱根へのESS巡礼のこころの旅」。


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November 23, 2009

三田祭案内、2009年の秋

昨日は、2007年春に亡くなった大学時代の先輩の、仙台のご家族3人が三田祭を見学に上京され、朝から三田祭会場をご案内した。奥さんと、25歳の息子さん、21歳の娘さん、3人で、お父さんの大学時代を偲んで、大学祭を見学された。

私は、先ず、田町駅の三菱自動車本社前の西郷隆盛・勝海舟の会談の碑を紹介し、当時もあった古い喫茶店"ボンソアール"の前を通って、フォークダンスクラブでよく使った居酒屋"つるの屋"の前を通って、通称"幻の門"から、大学構内へご案内した。

朝10時くらいから、もう若者の活気溢れる大学祭会場であった。先輩の同学年だった人も2人、図書館前で合流し、6人で学生食堂"山食"で昼食しながら、懇談した。

その後、武蔵小山の下宿付近、日吉キャンパスを案内し、時間があったので、おまけに”横浜みなとみらい”もお連れした。お世話になった先輩のご家族の家族旅行に、このように立ち合えて、喜んでらっしゃる姿をみると、私も、とても嬉しかった。そうだ、私は、こんな生き方がしたいんだと改めて思った。

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November 22, 2009

朝鮮半島38度線見学

先週末の19日から21日の韓国出張は驚きに溢れていた。我々が宿泊したGrand Hyattホテルは、丁度、前日の18日に米国オバマ大統領一行約300人が宿泊したとか云われて驚いた。丘の上、にソウル市内を見下ろす夜景の綺麗なホテルであった。

私は、20日の夜にアラブ人代表団を送り出して、21日帰国の日、午前中、38度線・非武装地帯の見学をすることが出来た。38度線は、ソウルから僅か54キロしか離れていなく、朝8時からのバスで午前中で十分見学することが出来た。

鉄条網が臨津河(イムジン河)沿いにずっと続いていた。北朝鮮の山々、工業団地も遠くに見えた。記念施設の中に、朝鮮戦争当時の壊れたSLの残骸が残っていて、私はそのSLに何故か心が引かれた。

そのSLの大きな鉄の車輪を見ると、当時、釜山からソウルを経てピョンヤンを経て、満洲のハルピンへと走っていた鉄道のことを想った。私の母は、20歳の頃、駆け落ちの相手にすっぽかされて、1人で、このような列車に乗って、2昼夜半もかけて釜山からハルピンへ行ったことを想った。私は、感慨深く、その壊れたSLを眺めた。

ソウルへの出張の合間に簡単に38度線付近に来れて、こんなに近くに、あの強烈な独裁国家、悲劇の国家、北朝鮮があることを身をもって感じた。

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November 21, 2009

心残り

先日TVで、ある医師が書いた、「死ぬ前に考える25のこと」のテーマで、人生の心残りを、患者さんの例を通して感じたことを、夫々を紹介してあった。その中で、私が、印象に残ったのは、次のことだった。

「ありがとう」と云えなかったこと。

自分を一番と信じて疑わなかったこと。

感情に振り回されたこと。

心に残る恋愛を、しなかったこと。

故郷にあまり帰らなかったこと。


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November 20, 2009

子供達の世界の想像

全ての人を、全ての大人も、みんな小ちゃな幼い子供達と思うと、世界観が一変する。

何か、その一生懸命さに、健気さに感動したり、また哀れにも想われたりする。

何か、人体の60兆の、夫々の細胞のようにも、有り難くも見えてくる。

大人と思うから、憎たらしくも見えたりするが、ちっちゃな幼子と思えば、憎たらしさや、イヤ味は消える。

みんな、夫々の役を演じ、役割を果たしている存在かも知れない。

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November 19, 2009

今日から韓国出張

来日中の5人のアラブ人と、今日から3日間、韓国へ出張する予定。

韓国の石油会社訪問の後、アラブ人代表団を中東へ送り出して、その後、私は一人、ちょっとだけSeoulの街の小さな散策をして日本に帰れることを期待する。

ちょっとでも、一人旅の気分が味わえる時間があれば幸せに思う。

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November 18, 2009

英国人バックパッカーとのカラオケ計画

今年9月に娘とインドへ旅した時、偶然、列車の中で同じ席で知り合いになった英国人バックパッカーの女子大生2人が、まだ続いている長いアジアの旅の途中、最近、日本に立ち寄り、メールが届いた。インドの列車の中で、ゴキブリにもめげなかった彼女達。ゴキブリを、「フレンドリー・コックローチ」とか呼んで私達を笑わせた。

12月初旬までの日本滞在中に日本各地を旅するとのことで、日本出発前に、娘と4人で、東京で、カラオケと寿司に行く計画を話し合った。日本でカラオケに行きたいとの希望が面白かった。

インドへの旅も強烈な想い出になったけど、その時のインドの旅で知り合った人達と、また東京で会えるとなると、また、人の出会いの素晴らしい展開だと思う。彼女達は、バックパッカーで世界を半年にわたって旅しているとか、娘と一緒に、彼女達の日本滞在の好い想い出になるような、もてなしをしたいと思う。将来、娘の良き友達になるかも知れない。

私は、英語のカラオケで何を歌うかを、ちょっと考え始めた。英国人女子大生達は何を歌うのか、また私の娘の歌も一緒に聴けるし、ちょっと、小さな驚きになりそうな予感。

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November 17, 2009

万物に自分の生命を感ずる境涯

食べることの出来なくなった病人が、食べられなくなったことを神に嘆いた。

その時、神は云ったと云う。「お前は、人の口を借りて、食べているではないか」と。

この言葉に、私は大きな衝撃を受けた。宇宙が一体であることを思った。

ヴィーベカナンダの師、ラーマクリシナが病み、尊敬するカーリー神に問うた時の答えだったと云う。住職から、最近聴き、その意味することの深さに感動した。

例えば、牛が草を食べるのを見て、自分の生命を感じる境涯。一本の草木を見て、自分の生命を感じる境涯。"生ぜず、滅せずの世界"を感じる。

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November 16, 2009

人間の三毒の原因

住職に問うた時、住職が答えてくれた。人間の三毒、「貪り、怒り、愚痴」の元は、次の四つ。

(1)お思い通りにしたいと思うこと。(2)自分が永遠であると思うこと。(3)自分が最高だと思うこと。(4)自分だけを愛すること。

これらが、人間を陥れる三大害毒の源とは、深遠な悟りの世界。

三毒に陥る価値観は、一見、何も毒らしきものが見えないことが、人生を惑わす所以だと思う。

自分は宇宙そのものと思えば、"思い通りも、永遠も、最高も、自分だけへの愛も、全て不用、無用"。

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November 15, 2009

雨の中、万騎が原・古戦場

昨日朝9時から、雨の中、"神奈川区いまむかしガイドの会"のツアーに参加した。相鉄線・鶴ヶ峰駅から約4.5キロを、源頼朝の重臣・畠山重忠の史跡を辿った。

畠山重忠は、古くから頼朝に従って行動を共にした武勇・学問・芸術に優れた武将であったと云う。1205年、当時、頼朝に近かった有力武将をことごとく滅ぼしにかかった北条家の策略で、重忠は鎌倉へ呼び出され、埼玉・比企郡の館を出て鎌倉へ、僅か134騎の手勢で向かった。横浜二俣川付近で、雲霞の如き北条勢の大軍に待ち伏せされ、取り囲まれ討ち取られたと云う。

途中、北条勢の待ち伏せに気づくも、ここで引き返しては、武士の面目がたたぬと、僅か134騎は、堂々と大軍と戦い、万騎が原付近まで展戦、奮戦し、約4時間も戦い抜いて果てたと云う。重忠の陣に向かって北条勢が放った矢が、この一帯の一面に突き刺さり、矢畑のようであったとも歴史は伝えている。

相鉄線二俣川は、運転免許の書き換えの場所、万騎が原付近は、毎年、旭ジャズフェステイバルがある場所と思っていたが、このような凄まじい歴史の跡があったことを知り驚いた。このような史跡めぐりは、私は寧ろ、雨が似合うと想った。雨の中、畠山重忠に合掌した。

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November 14, 2009

ドキュメンタリー「泣きながら生きて」

昨日、会社帰りに、六角橋商店街の小さな質素な会館で、「泣きながら生きて」と云うある中国人家族のドキュメンタリ-を約50人の地元の人達と見た。2006年のフジTV放映のドキュメンタリーに感動した大学生の熱意が、このドキュメンタリーを映画になったのだと云う。11月28日から新宿バルトでロードショーが始まるという。

私は、この中国人の親子の、夫婦の、貧しさと運命とに立ち向かう、健気な清らかな目に、こんなに美しい人生もあるのかと心打たれた。東京で15年もの出稼ぎの夫、上海で縫製の仕事で働きずめの妻、教育を受けられなかった自分達が1人娘の進学に託した夢は、自分はどうなってもいい、この子にだけは十分な教育を受けさせたいと云う、希望だった。

米国留学へ旅立つ18歳の娘さんが、8年ぶりの再会に、24時間のトランジットで成田へ立ち寄った時、1人つぶやいた言葉を想い出す。泣きながら、「私は知っています。どんなにお父さんが私のことを愛しているか」。

親子が8年振りに再会した日暮里駅のホーム、その後、夫婦が13年ぶりで再会した日暮里駅のホーム。私は、その日暮里駅のホームを自分が訪れた時、たぶん涙するだろう。京成電車が成田駅駅に近づいた時、親子の別れ、夫婦の別れのシーンを想い出し涙するだろう。

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November 13, 2009

1日100円で預けられていた弟

昭和36年生まれの弟がまだ、2歳~3歳くらいの頃、飲食店をやっていた母は忙しく、弟は毎日、日中は近所のおばちゃんの家に預けられていた。毎朝、家から100メートルくらい離れた、坂道の河野おばちゃんと云う人の家に預けていた。

10歳年上のお兄ちゃんの私が、夕方迎えに行くと、弟は、泣き出すように喜んで、私に飛びついて来て、私に抱っこされた。1日100円で預けられていた弟のことを想い出す。

哀しかったけど、今、想い出せば、人生の美。

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November 12, 2009

自分の意思か?、宇宙の意思か?

一昨日の哲学カフェで、再度「自由」と云うテーマでの議論があった。自由と云えば、「自分にとって何が、本当の自由なのか?」と云う命題を、再度、参加者は深く考える機会を得た。

そして今朝、私は不図、思った。今、私が望んでいること、「私の自由」は、私の意思なのか、宇宙の意思なのか?と。

個々の人間が"私と思っている存在"は、突き詰めれば、何億年の経験が遺伝子に組み込まれた印象・気分の総合計であり、それぞれが、宇宙の現象、エネルギーを表していると。(ヴェーダンダ哲学)

個々の人間は、宇宙の意思を現す存在であると思うと、自由も不自由も、宇宙の意思の手の上にいるのだから、どちらでも良いではないかと、楽な気持ちになる。

自由について、本当の自由に拘る気持ちは、自分と云う存在への執着がなせる技、執着の所産が故に、真理を見ることが難しいのではないかと、私は思った。個々の人間の自由・不自由と云う概念を超越して、宇宙は、永遠に安らぎ、単純にして美しく調和しているように見える。

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November 11, 2009

路上で、手旗信号を振る人との遭遇

昨日、朝、神奈川区役所に立ち寄るため、東神奈川駅前を歩いていたら、交差点の信号付近で、道路の反対側へ向かって何度も、右腕を上下に振り、何か手旗信号で合図をしているような、80歳前後の男性のご老人がいた。

ちょっと精神を病んでらっしゃる昔の軍人さんなのかとも思った。その雰囲気が、誰かを助けようと、手を振ってらっしゃるようにも見え、何か、有難くも、哀れにも見えた。

また、その光景が、私の想像で、周りの人々や風景に、最後のお別れに手を振ってらっしゃるようにも見えた時、何故か胸が熱くなった。

もし人生の終わりが迫ったと感じた時、この人のように、周りの風景や、人々に、堂々と素直に、サヨナラ、サヨナラと手を振ってお別れが出来たら、何と気持ちが晴れ晴れとすることだろうと思った。そんな時は、この人のように、子供が新幹線に手を振る時のように、人目をはばからず堂々と、好きな風景に、有難う、サヨナラと、大きく手を振れば好い。

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November 10, 2009

初めての九品仏駅下車

先日の土曜日、座禅の会の会場が、たまたま東急線・自由が丘の隣の駅"九品仏"の地区センターに決まり、初めて"九品仏駅"に降り立った。自由が丘駅から溝の口方面へ一駅、駅からすぐに九品仏の、大きな、歴史ある寺の境内に続いていた。

そこには、日本昔話を聴く時の子供達ように、何故か私を、懐かしい、穏かな気持ちにさせてくれる空間が広がっていた。私が、初めて、荒川線の鬼子母神駅に降り立った時も、そうだった。

座禅会の後、住職と我々生徒4人で、夕方の境内を散歩した。住職は寺の鐘の音を聴くとすぐ、条件反射で寺の作業のことを想い出すとおっしゃって、みんなで笑った。広い境内を見ると、さぞ掃除が大変だろうとおっしゃって、それも可笑しかった。5人で、閻魔堂や、大きな九品仏を奉ったお堂の柵や窓ガラスに、顔を押し付けて中を覗いたりもした。

境内で、4~5人の青年と1人の子供が、大きな声で、「達磨さんが転んだ」の遊び(達磨さんが転んだと云う言葉に合わせて前に進むゲーム)をやっていて、落ち葉の夕暮れの境内が、ちょっと幻想的であった。

このような夕暮れの思いがけない散歩は、いつの日か、遠い日の夕焼けのような、ほのぼのとした想い出になることを想った。

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November 09, 2009

立川旧米軍基地、昭和記念公園

昨日は、サイクリングの会に久しぶりに参加をした。立川から青梅線で一駅の西立川で降りたら、すごい広さの公園が広がっていた。旧米軍基地の3分の1が公園に、なったのだと云う。

飛行場だった場所に、自然の丘陵のように起伏をつけ、木々草花が茂り、川も流れ、日本庭園、農家の里、植物園、池、運動の施設、バーベキュウの施設、子供の遊び場など、素晴らしい公園であった。サイクリングクラブの約20名は、思い思いに自分のペースで広い公園を走った。時折、私は自転車を降り、丘で、寝っ転がって青空を見たり、自然と戯れた。

砂川口とか公園にはいくつもの入口があった。1957年米軍基地拡張反対運動の砂川事件の場所であった。地図には太宰治で有名な、玉川上水とかも近くにあった。

サイクリング終了後の懇親会で、隣に座った、ある70代の男性の方が、夫婦別姓で別居、事実婚とおっしゃたのには驚いた。若者の同棲の風潮の対極にあるような、別居・事実婚のシニア世代の価値観。余りにも驚きだった。

また、旅と人に、少なからぬ驚きを与えてもらった。帰りの南武線の電車の音も、心地好かった。

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November 08, 2009

貧しさ中の美

「親が一番親らしく見える時は、貧しい時」。

こんな素晴らしいことを、住職から聴いた。この言葉だけで、どれだけの教えがあるだろうか。

貧しさの中に、確かに美がある。

裕福になることを求めて、裕福になればなるほど、人は醜さを増して、美から遠ざかって行く。

貧しかった両親の後姿を想いだし、両親の背中にすがって、有難うと云って、泣きたくなる。

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November 07, 2009

般若心経のドイツ語訳

昨日、会社帰り、新宿での座禅会に参加したら、二人の外国人女性がいた。アメリカ人女性とドイツ人女性。

ドイツ人女性は、以前、般若心経のドイツ語訳に触れて、日本へ留学し立教大学で仏教も学び、禅の哲学への興味が湧いたのだと云う。彼女は盲目で、現在、福祉の仕事、ボランテイアを、英国スコットランドでやっているとのことであった。二人ともチベットのダライラマ仏教に大きな関心があるとのことだった。

"般若心経のドイツ語訳"が彼女に、人生の灯りを点したことが、驚きだった。

私は、真剣に般若心経を読んでみなければと思った。

昨日の住職は、「生まれてもいない存在、滅することもない存在」「生ぜず、滅せず」の世界を説いた。「行くも返るも余所ならず」、そんな言葉を想い出す。


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November 06, 2009

想い出は、やはり"旅と人"

会社を一旦辞めてからの人生は、とても印象に刻まれる人生に変わった。自分に根付いた価値観に生きることは、自然で、満足度が全然違う。一般的な、他人や世間の価値のような、表面的な価値観に振り回されない生き方は、とても気持ち好い。こんな人生があったんだとつくづく思う。

2002年に会社を辞めてからの人生は、毎年の想い出は何かと云えば、強烈に想い出すことがそれぞれに、すぐに浮かんで来る。それは、旅であり、一緒に行った娘や姉や妹との旅の想い出、来日した親しい外国の友人を案内した日本の四季の風景など。

このような想い出は、大学を卒業してからの会社生活の何十年では、何十年生きても全然無かったこと。世間的なカッコ好さを追求していた時代には全然無かったこと。

旅と人に感動するのは、生きている充実の実感。それは生命への感謝、両親への感謝、大自然への感謝、宇宙の意思への感謝。

"小さな驚き"は、やはり、"旅と人"がもたらしてくれると思う。

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November 05, 2009

サーカスのテント

自分が住んで居る場所も、考えてみれば、生まれてから以来、何回転居して来たことだろう。

住んで居る場所なんて、思えば、サーカスの大きなテントみたいなもの。確かに、その時は、確固たる住まいとしての存在感はあるが、長い年月単位で見れば、広がる荒野に住んで居るようなものかも知れない。

何も持たず、ただ宇宙に漂うエネルギーの一部としての人間の存在を思う。所有は幻想、所有は執着、所有は傲慢、そして所有は苦しみ。

何も持たず、ただ、「無一物無尽蔵の境地」が好い。

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November 04, 2009

苦難の意味、

前田行貴著「瞑想のヨーガ」の中に、苦難に就いての次のような記述があった。

「苦は、貪欲や執着や前世(過去)の因縁関係に起因するが、人間はこの世で修業して、更に高い霊性を目指して向上するため、自ら苦難の世界に生まれ来ている。苦難は、その人に相応しいものとして、またその人のカルマ(業)を消滅させんがために訪れているのである。」

"苦難は、その人に相応しい宿題として、与えられた課題か・・・・"。

自分の苦難・不幸は、私にとっても似合っているものと思うと、愛着すら湧いてくる。誰のせいでも無い、ただ、私に似合った、愛着のある服のようなもの。古くなった、昔の服のように、懐かしく眺められる日が来ることを願う。それが人生の修業、向上の醍醐味だと想う。

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November 03, 2009

カナダから運んで来られたアブダビの風

昨日、夜は、カナダ在住のアブダビOB御夫妻の来日のご縁で、急遽、アブダビのOB会が実現。約20年弱ぶりの方にも会えた。10月下旬に、アブダビとは何も関係も無い九州の弟からの一本の電話をきっかけに、数日後には、ホテルの立食で14名のアブダビOB会が出来、感激だった。まさに、人生の展開は、不思議な縁に包まれていることを思った。

当時のアブダビの地図を壁に張り、記念写真を撮ったり、一人一人の近況に聴き入った。夫々の方々の人生があり、夫々の方々の新しい人生の展開を新鮮に感じた。古文書研究、ピアノ、"エンジェル・ハープ"、飛鳥文化の勉強など、夫々の方々が、気づかない遺伝子に導かれて、興味を開放してらっしゃるのではと、面白く思った。

人生の中で、これは、やっておかないと、収まりが付かないことがあると感じたのは、私が早期退職に応募した時。不思議なエネルギーは、舟を動かす風のよう。

時が経つのを忘れ、2時間はあっと云う間に過ぎて、別れを惜しんで会を終えた。外は、アブダビの光景が広がっていると思ってホテルの外へ出ると、ぴりっと、今年一番の寒さが、現実に引き戻してくれた。今朝もアブダビの余韻に包まれて、当時のアブダビは、人生の素晴らしい時期であったことを想い出す。

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November 02, 2009

土日の小さな驚きのハンテイング

一昨日、午前中、恒例の神田古本祭りにでかけた。慶應大学・西岡秀雄先生の「気候700年周期説」を久しぶりに発見、懐かしさのあまり、即購入した。

昼は、満洲・鳳城会の関東地区の方々数名で銀座で会食。戦後生まれの私は、満洲で育った方々の話を聴くのは、とても嬉しい。父母の暮らした満洲を知ることは、私自身の人生の一部のように感じ、何故か心休まる。

夜は、綱島で、座禅とヴェーダンダ哲学の勉強。住職のヴェーダンダ哲学の話は、まるで、素晴らしい演奏を聴くようだった。

そして、昨日の午前中は、地元神奈川大学の文化祭。大学1年生のジュニア・バンドのジャズも、何故か、すごーいと感動した。若さの輝き。

午後は、ヒッポクラブの行事で先週に続き、東大駒場で、「言語と脳」に就いて、酒井先生の講義を聴いた。

沢山の小さな驚きは、2日間の休日を、2ヶ月くらい長ーく、感じさせてくれる。これが、私の、好きなパターンの生き方。健康と、小さな驚きを与えてくれる人生の日々の事象・出会いに感謝する。

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November 01, 2009

動物的人間の悲しみ・苦しみ

動物的人間は、感覚の中に生きている。食物が十分得られれば、幸せである。

彼にとって、幸も不幸も、彼の感覚に始まって、彼の感覚によって終わる。

感覚が高まると共に、彼の不幸は増えて行く。

ヴィベーカナンダの言葉を、昨日、住職に教えて頂いた。

五感に翻弄される動物的な人間の持つ悲しみ・苦しみが、即ち地獄を造り出していると想う。

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