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September 11, 2009

アジ(鯵)の無念、イカの無念

昨日、朝食にアジ(鯵)の開きやイカの塩辛を食べた。

通勤途上思った。鯵(アジ)にしてみれば、さぞかし無念だったかもしれないなど。鯵(アジ)が、ある日、群れて泳いでいたら、網にごっそり、仲間と共に捕まって、バケツに入れられ、切り開かれて、干されて、最終的には私と云う人間の食卓にのぼり、ぐちゃぐちゃに食べられて、残りは生ゴミの袋に入れられて、一貫の終わり。何で?と思ったかもしれない。

イカも、捕まって、刃物で解体され、内臓と身体を一緒に漬けられ、標本みたいにされて、保存され、そして、最終的には、私と云う人間に、ご飯にのせて食べられた。何たる無念であったろうか。

気付けば、鯵(アジ)とかイカの無念を、一身に背負って、通勤していた自分。清々しい、一日の始まりと思っていたが、見方を変えれば、このような他の生物の不幸を一身に背負っていた自分に驚いた。

バナナや果物は、食べられて無念と云うより、食べられて本望と云う感じが好い。他の動物に食べられることを前提として、自分の種を保存しているように思う。食べられて、寧ろ、食べた動物に「美味しかったか? ざまーみろ。」とさえ云ってるようにも感じる。

生きることへの気付き。神妙に考える。

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