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September 01, 2009

猫も武将、蝉も武将

猫は死が近くなると、どこかいなくなって、人目につかないところで死ぬと云う。何か、武将が、敵の手にかからず、果てるのと似ていると思う。織田信長は、本能寺の変で死ぬ時、誰も入れるなと言い残して、奥の部屋で自刀して果てたと云われる。戦場で死ぬのを避け、戦場を離れ、人目に付かぬ場所で逝く武将のように感じる。

蝉は、思いっきり戦って、敵の前であろうが、戦場の真っ只中だろうが、堂々と戦ってその場で果てる武将のよう。余りにも、なりふり構わぬ、潔い戦いっぷり、堂々たる死にっぷりに、敵も天晴れと心打たれるくらい。戦場で、大の字になって死ぬ。道路で、大の字に転がって死ぬ蝉に、私は、すがすがしささえ感じる。思いっきり鳴いたであろう蝉の声が聴こえてくる。

猫も武将。蝉も武将。堂々たる、腹の座った覚悟の死に方に心打たれる。孤独死だの、寂しい人生だったのだの、騒ぐ世間は、その潔い、堂々たる死など、分かるまい。私は、猫にも蝉にも、共に、右往左往しない、カッコ好い死に方だと感動する。それは、寧ろ、人生が満足であったこと暗示しているかのようにも感じる。

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