天丼に感涙、大牟田"志まや"
今回の大牟田帰省で、行きたかった所に、天丼の"志まや"がある。高校2年生の夏、私は肺浸潤で、大牟田市立病院に1ヶ月入院した。その市立病院そばに、大牟田で有名な、そば屋"志まや"があった。その"志まや"は、今でも同じ場所にあり、繁盛している。
退院まじかな頃、見舞いに来た母と、2人で、"志まや"に入ったことを今でもよく覚えている。私は、"海老天丼"と云ったら、「海老は云わなくても、天丼は海老に決まっとる。」と母は笑った。母と食べた、その天丼の美味しかったこと。あの美味しかった味は、一生忘れないと思った。
そして、今回の帰省の時、私は一人で店を訪れ、また懐かしい天丼を注文した。一口食べたら、涙がどっと溢れるようだった。今思えば、ちょっと甘すぎると感じる味だが、高校生の時、母と食べたあの時と、まるっきり同じだと感じた。目の前に、「美味しかかい?」と微笑む、母の顔も浮かんだ。
一人感涙にむせびながら天丼を食べてる姿は、抑えたつもりであるが、気付いた人は奇異に思ったことだろう。それでも、私にとっては、圧倒的に充実した"志まや"のひと時だった。母との再会のひと時であった。
Comments
お母さん。
人にとって、永遠の故郷。
母の愛に勝るものはないです。
手を伸ばしても、どんなに伸ばしても、届かないぬくもり・・・
でも、心と心は、いつも繋がっていると思います。
お母さん想いなのですね。
切ないお話でした。
Posted by: ひまわり | August 18, 2009 07:58 PM
ひまわりさん、母と子の絆が、宇宙との一体感、安心感の、出発点のように感じます。母から、宇宙へ拡がる一体感が、大安心の根源だと。
Posted by: life-artist | August 19, 2009 03:42 AM