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July 24, 2009

戦国九州三国志、大友家の猛将・高橋紹運

大友、島津、龍造寺の戦いに明け暮れた、九州の戦国時代のことを知った。(学研、「九州三国志」)

私の出身地、大牟田のシンボル的な山"三池山"にある普光寺は、私が子供時代から慣れ親しんだ場所。最近帰省の度に、大牟田の散策を楽しむ中で、戦国時代、地元で活躍した武将、高橋紹運のゆかりの地でもあることを知った。

大牟田は、大分・大友家の領地。大友家は、佐賀長崎の龍造寺家、鹿児島の島津家と、熾烈な戦いを繰り広げた。高橋紹運は、柳川の立花宗茂の父親。1586年、大宰府北の岩屋城で、わずか700の手勢で、押し寄せる島津の5万の大軍を15日間もくぎ付けにした男。秀吉の九州入城を前に、筑紫を平定したかった島津の戦略を打ち砕いた男。壮絶な死を遂げた高橋紹運を、九州平定後、秀吉は、「乱世の華」と惜しんだと云う。

今度、帰省する時は、高橋紹運を、もっと知りたいと思う。そうだ、私は、大友宗麟の領地にいたんだと、感じることは、小さな驚き。今度のお盆の帰省の自由研究のテーマになる。心の中の「夏休みの宿題」にしよう。

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