遠足の前日の子供のように
生も死も、喜びでもなく、悲しみでもないと思う、ただ自然の営み。
生は、朝の光の清々しい輝き、小鳥の声。
死とは、一日の終わりに、追憶の中で、オレンジ色に輝く夕日を眺めるような、穏かな安らぎ。明日の遠足を夢見て、そわそわして、枕元にリックを置いて寝る子供のように、床につけばよい。
毎日、生と死を繰り返していて、その集合体が人生なのではないかと、私は考えてみる。
朝に、生まれる清々しさを感じ、夕べに、終わり逝く夕日の輝きを見て、次の日の新たな朝を感じて眠る。
生とか死とかは、大自然のリズムやうねりのようなものではないのかとも思う。
私は、死を考える時、「遠足の前の日」と云う響きが好きだ。
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