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July 25, 2009

「私はどうなってもいい」の境地

心を魂を、身体を、清々しくしてくれる境地がある。それは、「私は、どうなってもよい。他が良ければ。」と云う境地。

この境地の存在と、この境地の想像は、心が震え、圧倒的な感動に覆われ、喜びのマグニチュードは何にも及ばない。

「あの人が幸せになれば、周りが救われれば、私はもうどうなってもいいんです。」、こんな境地を、何故私は、憧れるのか。それは、母や父が、私に、この気持ちを持っていたことを想像するからです。

そして、私は、母や父を、宇宙や自然に置き換えて考えて、ものすごく穏かな気持ちになることもあります。

「私が、幸せになる」これが、全ての苦しみ、悩みの根源。「私」への執着を捨てるところに、見えて来る世界は、光輝く、調和の世界。私への執着は、他との軋轢となる。大海に気づかず、波と波がぶつかり合うが如し。

「自他一如」「自他不二」の世界。「私」と、「他」が統一された世界。波が大海に気づく瞬間。波にこだわることはない。私は、人生に、穏かにただようように生きたい。

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Comments

「私への執着を捨てる」は、深い言葉ですね。確かに、自分にこだわりすぎると周囲との軋轢が生まれます。

Posted by: Okada | July 27, 2009 at 08:44 PM

Okada san:
私からどれだけ離れられるか?が、幸せの尺度だとは、驚きの「法則」ですね。座禅を通じて、最近知りました。

私から離れることは、私が他へ溶け込んで消えるって感じを想像します。

Posted by: life-artist | July 27, 2009 at 09:04 PM

こんばんは。
 座禅をなさっているのですね。足がしびれるので私は20分以上足を組めません。長時間足を組める方がうらやましいです。
 今日は会場に無事間に合いました。7時5分に到着して、7時半に終了しました。皆さん楽しそうにされていましたよ。
sign01

Posted by: Okada | July 29, 2009 at 09:42 PM

Okada san;座禅は「安楽の法なり」とか云います。座禅を座るのは辛いですが、座禅の哲学が凄いと思います。
業界のレセプションは、久しぶりの友人・知人に会える絶好の機会です。私も、時折、小さな驚きに遭遇します。昨日は、某元売の社長と、久しぶりに話をしたことが新鮮でした。

Posted by: life-artist | July 30, 2009 at 06:51 AM

「座禅は安楽の法なり」深いですね。
座禅をするにも、やはり場所が大事なのでしょうか。街中で座禅するよりも、静かなお寺の軒下で座るほうが、落ち着ける気がします。
 

Posted by: Okada | August 03, 2009 at 12:20 PM

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