コンピューター用語と禅
昨日夜は、ビジネス交流会で、日頃とても穏かで修行した僧のようにも見える、コンピューターソフト会社の会長さんの人生論の話を聴いた。人格が高められてらっしゃる印象だからこそ、話を聴く気になれ、そしてその通りだった。
「ハードウェアは有限で目に見え、身体みたいなもの。ソフトは、目に見えないが、無限の魂みたいなものと感じる」と評された。
ソフトが残っていたら、ハード(身体)を与えれば、コンピューターは動く。ソフトと云う表現の中に、目に見えない永遠のもの、大自然の法則みたいなものを感じとっておられた。
自分だけ幸せになることなど意味がない、落ち着かない、皆と一緒でいたい。金持ちになるより、泥棒が寄り付かない質素な人生が好いとの哲学であった。そして実際に、その考え方通り、質素な生活をしておられる。
禅の哲学、ヴェーダンダ哲学に通じる世界を、自分の50年の起業生活の中から、禅の修行をせずとも、感じとっておられた。人は、その表情・仕草・言葉に人格が現れるものだと思った。思った通りの素晴らしい人であった。
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