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June 30, 2009

人間合格、人間当選

行きつけのジャズ喫茶のママさんは、子供の頃、熱が出てうなされる時は、よく見ていた同じ夢があり、それは、自分が「アリ(蟻)」になって、重たい荷物を持って暑い中、運んでいると、人の足にギャフンと踏みつけられる夢だったと云う。

だから、前世が「蟻んこ」だったんだろうか?と大笑い。

前世が蟻で、神様が、数ある蟻の中で、人間の足に踏まれて死んだ蟻が不憫で、人間に格上げ当選させてくれたのだろうか。人間に欠員がでて、人間への繰り上げ当選。人間に補欠合格だったのかもとか、私は冗談を云った。

そのママさんが長年飼っていた犬が、去年老衰で17歳で亡くなった日の3日前のこと。夢で、後光がさす、白いワイシャツの若い男の子が現れ、「僕、おとだよ」と、その犬の名前を云ったとのこと。

人間失格する人もあれば、人間合格の想像もある。心が洗われる想像の中の神秘世界。

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June 29, 2009

雨の江ノ島、人生の旅

昨日は、アラブ人夫妻を江ノ島に案内した。私自身も江ノ島の展望台や、洞窟や、「稚児が淵」と云う海辺の岩場は初めてだった。傘をさしての散策だったが愉しかった。彼らが、ナメクジを見付けて、お玉じゃくしだと云っていたのも可笑しかった。洞窟付近では、岩場に「フナ虫」もみつけた。

展望台付近のしゃれた小さなフレンチ・トーストの店は、代官山っぽい、カッコイイー店だった。眺めも最高で、人気があり、20分~30分待ちの予約制だった。江ノ島の頂上からみる対岸の景色は、モナコの海岸のようにも、カッコよく見えた。

7月末で、アラブに帰任してしまう若いアラブ人夫妻は、何だか、自分の弟夫妻・子供夫妻のようにも思えて、旅が名残惜しい。はしゃぐ彼らに、無邪気な若さを感じて、転勤の別れではあるが、子供の巣立ちのような、ミックスした感情が湧く。昔、たぶん両親が私に感じたであろう感情を想う。人生の転機に、激励して送り出す気持ちと、寂しさのミックスした気持ち。入学・卒業・転勤の季節に感じる何とも云えない気持ち。

人は皆、旅人。そして私も旅人。海も、山も、街も、それぞれの出会いの、旅の時を想い出させる。

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June 28, 2009

英語ギャグ

小さなカニが、成長して行く様を、英語で何と云うか?

「Organization」、オーガニ・ゼーション。 (私の、渾身のオリジナルギャグ)

男の方が女より病気になりがち。何故ならば、「Disease」(ジジーズ)と云うから。

せっかくの日曜日の朝、ギャグとの遭遇、お疲れ様です。

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June 27, 2009

ちっちゃな子の歌

みんな、アンパンマンを歌っていた、ちっちゃな子供だと思えば、いやな人も、憎い人もいない。

今、無邪気に、歌っている子供が、将来、悪い人間や、苦しみの人生を送るかも知れないと思えば、慈悲の心が湧いて来る。

その、時おりに見せる、人生の形態に、波と大海を感じる。波は色々。大海は変わらず。

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June 26, 2009

「ほうずき」は英語で何と云う?

会社のそばの、愛宕神社で23日24日、「ほうずき」市をやっていた。そう云えば、「ほうずき」って、英語で何と云うのだろう?と思って調べてみた。

「Japanese Lantern Plant 」とかもあった。「ちょうちん植物」か。言葉を作る時は、好奇心旺盛で、童話の世界みたいだと思った。

傑作なのは「Japanese Bladder Cherry」。Bladderとは、気泡・空気袋・膀胱などある。失笑を禁じ得ない。

「Ground Cherry」、「Winter Cherry」 とかの訳もあった。「冬のさくらんぼ」、「地面のさくらんぼ」か。これも可愛い描写だなーと心惹かれた。「ほうずき」を漢字で「鬼灯」と書くのも、また想像が拡がる。

娘が幼児の頃、羽田空港で、貨物を運ぶ長い連結した車を、私は「ニョロニョロ自動車」と教えた。娘との会話用に、私が作った言葉だった。

英語も、そんな、幼児の目で、好奇心いっぱいに見た時のような、童話のような目で、言葉が生まれているのもあるんだと、微笑ましく思った。

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June 25, 2009

「ゆずり葉」

「ゆずり葉」とは、毎年、季節を彩る木々の緑の葉たちが、前の世代から、次の世代へ受け継がれて行く様を詠っていた。

昨日みた、映画の試写会の題名「ゆずり葉」。ろうあ連盟60周年の記念映画で、会場には多くの聾唖の方々も見えていた。これは、障害者を描いた映画と云うより、「魂が浄化される」映画だった。

人生の試練は、忌まわしきものではなく、限りない感動の隠し味だと思った。

手話の美しさも知った。人生の「ゆずり葉」の緑の輝きも知った。

「お父さん」、「お母さん」、と云う言葉を、心の中でつぶやくだけでも、湧き上がる感動を感じる映画だった。

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June 24, 2009

神社・寺院・教会・モスクの左右対称の意味するものの想像

昨日、異業種勉強会の帰り電車の中で、造園業を営む人から、神社・寺院の建物など、左右対称に造られているのは、自然界にはない形で、人間を強調しているのではないかとのコメントを聴いた。

私は、ハっと思った。寧ろ、人間は本能的に、宇宙の法則を見抜いて、左右対称を、憧れ、信仰の対象にしているのではないかと。そして、その中心に神の座がある。プラスでもマイナスでもない均衡した場所に。

マイナス5は、プラス5を生む。プラス10はマイナス10を生む。シーソーのように、作用は、同じ力の反作用を生み出す。大自然、宇宙の法則は、そのように造られている。

人間の内奥に潜む、神・即ち宇宙の法則への憧れが、神社・寺院・教会・モスク・ピラミッドなどの左右対称の形状に現れているのではないかと、私は想像し、何かちょっとした発見をした気持ちになった。

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June 23, 2009

「あっ、500系だ」と、つぶやく

通勤の東急線の白楽駅で、特急電車の通過を見る時、時々、青い模様の入った電車が通る。

待ってるホームから、「あっ、500系だ」とつぶやいてみる。

そうすると、自分が、ちっちゃい子供になったような気持ちになり、世界が好奇心に満ちた世界に一変する。

日経新聞など、チンプンカンプンで読めない。

多摩川を渡る時、新幹線が見えたら、心の中で、バイバイと手を振ることも出来る。

通勤途上に気づいた、子供時代への旅。

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June 22, 2009

旅のはしご

3日前、金曜日は、休暇をとって、元の会社の1974年同期入社の同窓会出席。初めて石和温泉(山梨)に行った。約20名出席。初々しかった入社当時の同期の桜。入社当時の鵠沼海岸の研修、江ノ島までのランニング、など想い出した。お互いの人生を感じながら、しげしげと、お互いをを眺めながら、酒を飲み交わした。翌朝朝は、一人笛吹川の河原へも行ってみた。今後、同期の仲間達と、どのような付き合いができるか、楽しみにも思う。

土曜日朝、石和温泉駅を朝10時11分の"あずさ7号"で塩尻へ向かった。塩尻から12時3分の"しなの10号"で中津川へ到着、13時6分だった。中津川で、名古屋の異業種勉強会グループに合流、初めて下呂温泉へ車で向かった。ぴったり、別のスケジュールが、時間も、場所も、うまくかみ合って、二つの旅が出来た。

名古屋の方々10名とは、異業種の、新鮮な体験を愉しく聴けた。美術館や牧歌の里と云う、スイスや北海道も思い出させる草花の咲き乱れる高原にも連れて行ってもらった。日曜日、東京は雨だったと聞いたが、牧歌の里は、晴れの青空のもと、ラベンダーや、赤や黄色のポピーが映えていた。小鳥や、カエルの鳴き声、園内を走る、小さな遊覧列車。もう、先週は、遠い遠い昔のように感じた。週末の旅のはしご体験だった。

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June 21, 2009

観察する世界、変えようと試みる世界

幼児の頃、子供の頃は、周りの世界は、全て、観察する世界だった。好奇心や興味で、世界を観察する日々だった。

そしてその後、青年期に入ると、世界は観察するより、こうあるべきと、変えるべき世界に見え、ちょっと傲慢になっていたのではないかとも、今は思う。

人間が人間の知恵で、世界を変えようとすることも含めて、それでも、大きな自然の中では、法則の中では、調和しているのではないかと今は思う。どんなにあがいても、お釈迦様の手の平の上であったように。

そして今、再び、観察する世界に、戻って来た境地を感じる。

「二元に遊ぶ境地」が、私の求める境地。

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June 20, 2009

社長・会長のあと、経理事務の奉仕

一昨日、聴いたコンピューターソフトの会社の会長は、将来、会長退任後どうされるのかを問われた時、今でも、ある若い起業家の経理事務をボランテイアでやっているとのことであった。

一人でリサイクル関係の仕事をして、飛び回って苦労している若い起業家の苦労が、放置出来ず、経理事務をやってあげてるとのことだった。

「人は、ナンセンスとか、何してるのと不思議がるが、私は、目の前の困った人を放って置けないんです。」との言葉だった。魂が浄化されてる人の例を、現実にみる思いだった。

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June 19, 2009

コンピューター用語と禅

昨日夜は、ビジネス交流会で、日頃とても穏かで修行した僧のようにも見える、コンピューターソフト会社の会長さんの人生論の話を聴いた。人格が高められてらっしゃる印象だからこそ、話を聴く気になれ、そしてその通りだった。

「ハードウェアは有限で目に見え、身体みたいなもの。ソフトは、目に見えないが、無限の魂みたいなものと感じる」と評された。

ソフトが残っていたら、ハード(身体)を与えれば、コンピューターは動く。ソフトと云う表現の中に、目に見えない永遠のもの、大自然の法則みたいなものを感じとっておられた。

自分だけ幸せになることなど意味がない、落ち着かない、皆と一緒でいたい。金持ちになるより、泥棒が寄り付かない質素な人生が好いとの哲学であった。そして実際に、その考え方通り、質素な生活をしておられる。

禅の哲学、ヴェーダンダ哲学に通じる世界を、自分の50年の起業生活の中から、禅の修行をせずとも、感じとっておられた。人は、その表情・仕草・言葉に人格が現れるものだと思った。思った通りの素晴らしい人であった。

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June 18, 2009

年下が率いる社会、世界への想い

社会や世界を見渡して、自分より年下の人が沢山いて、社会を動かしていることを思った。

以前は、ずいぶん沢山の年上のエライ人達が、社会や世界を動かしているのだろうと思っていた。

大半が年下だと思うと、子供新聞や子供銀行に見えたり、子供国連に見えたりもする。可愛くも見える部分がある。

年下だと思うと、頑張ってるなーと関心する。

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June 17, 2009

小さな石川五右衛門・ロビンフッド

以前は、海外で、ホテルで荷物をもってもらった時や、枕もとに置いて置くチップなど、面倒で心地よくは無かった。

でも、座禅を学んでから、私に変化が現れた。

生活が貧しそうな人へのチップは、寧ろ快くあげる気持ちになった。(レストランへのチップは、そうは思わないが)

お金持ちから、お金を稼いで、貧乏な人へ配ると思えば、チップでも、小さな石川五右衛門や、ロビンフッドではないかと思える。

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June 16, 2009

被害者の親、加害者の親

事件が起きると、被害者の側にたって、また被害者の親だったらどんな気持ちになるかを考えて、憤りが湧く。

"自分が加害者の親だったらと云う視点"、これも、更に苦しい想像。もっと考えたくない想像。

被害者も加害者も、自分の子供だったらと云う想像は、激しい修行に似ている。

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June 15, 2009

限りなく、守り尽くされてる世界

全ての存在は一つのはたらき、全ての物質的現象が、一つの生命として見えてくる境地があることを住職から聴いた。

日常の喜怒哀楽は、問題なし。それは一つの景色。

「全ては、限りなく、守り尽くされて、存在する。」

自己の内面が、外の世界へ向かうのではなく、外の世界が全て自己の内面に入って来て、内と外が一体化し、統一、均衡する。それが宇宙と云う感覚。

大安心、絶対大丈夫の世界の存在を垣間見る。

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June 14, 2009

愛おしい虫の生態

虫は人間と出会うと、出会いがしらに、必死に逃げようとするのも多い。人間と云う恐竜見たいな生きものに睨まれると、さぞ怖かろう。

もうだめだと思ったら、ありだけの抵抗のため、クワガタ虫などは角を広げて威嚇しようとさえする。

健気に、必死に生きようとする生命。

これが、可愛く見えませんか?と昨日、住職は云った。

宇宙を構成する、生きとし生けるもの、全てが調和の所産。必死に、真剣に生きようとする虫さえも、よく見れば、愛おしく見えて来る。虫も、私そのもの。


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June 13, 2009

ジブシー、旅芸人、演歌、ジャズ

今月号の会員雑誌「選択」に、ロマ人(ジブシー)の記事があった。欧州全域に800万~1000万人がいると云う。ロマ人が故郷とされるインド北西部を離散してでて行ったのが10世紀頃と云うので、紀元前8世紀~6世紀のユダヤ人の国家喪失よりはかなり新しい。

ジプシーは、ユダヤ人と違って、刻苦勤勉や蓄財より、自由を求める民だった。開放の自由を上位の価値観においた。実質失業率は90%と云う貧しさ。

日本でも長男以外は、食って行くために、ジプシーのように彷徨いながら、自分の食い扶ちを求めて生きて来たようなものか? そこに、旅を歌う演歌への大衆の共感が潜んでいると思う。北へとか、どこかに流れるとか、今日は函館、明日は釧路とか。確かに演歌は旅が多い。昔の新潟などにいた盲目の旅芸人「ごぜ」と云うのも想い出す。放浪記の林芙美子さん、都蝶々さんもジプシー的生き方だったのではないかと思う。

ジャズも虐げられた人々の、人生の歌。単なる哀しみではない、哀しみが隠し味になって、より命を輝かせている。私が、ジャズが好きな理由が、わかった気がした。

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June 12, 2009

わくらば(病葉)

昨日、2年ぶりくらいに、故郷の高校の先輩の銀座スナックに顔を出した。ママさんは、律儀にも、2年前のボトルをまだキープしてくれていて恐縮だった。

そこで、隣に座った常連の知人客から、「わくらば」が「病葉」と書くことを、初めて知った。昔流行った、歌謡曲に、「わくらばを集めて♪今日も、川は流れる♪」とかの歌があったが、虫に食われたり、葉が欠けた病気の葉であったことを初めて知った。

ただ「わくらば」と云う言葉の響きだけで、今は、それが、病の身で見る人生を歌っている歌だったことを、しみじみと感じた。歌詞には、「たそがれの水のまぶしさ」とかの言葉も続いていた。

故郷の香りを感じながら飲んでると、昔、母が口ずさんでいた「雨に咲く花」を想い出した。いつの間にか、自然に歌えるようになっている馴染んだ曲。歌詞を、噛み締めながら歌ってみた。

歌詞から、色々な人生に想いを馳せる。



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June 11, 2009

バックパッカーとの会食実現

昨日夜、来日中のノルウェーの友人の大学生の息子と会食出来た。今年1月からノルウェーを離れ、バックパッカーで、アジア各地を回って、最後の訪問地が日本。13日、5ヶ月ぶりにノルウェーに帰るとのことだった。

旅は、男性の友人との二人旅。ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、マレーシア、フィリピン、中国、と転々と旅したあと、日本に5月21日に来て、もう一人の友達は、お金が続かず、日本で、数日早く、帰国してしまったとのこと。

新橋第一ホテルのロビーで、待ち合わせて、愛宕山山頂の愛宕神社境内の日本食レストランで、ご馳走した。彼の人生の想い出の旅の締めくくりに相応しくなる様に、バックパッカーで、貧乏旅行して来た彼を、手厚くもてなした。

途中、千葉の娘も仕事の残業後、レストランに合流。20代の二人と、愉しく盛り上がった。二次会に、新橋の英語のカラオケ、「2Beat」に、久しぶりにお邪魔した。私の娘の訪問に、店の人もびっくり。ノルウェーの人は、一般的に、歌を歌うことは、特別恥ずかしく、まだスカイダイビングがましだとか云って笑わせた。

深夜帰宅後、ノルウェーの友人に、今日のことをメールで報告した。ついに実現した、現役バックパッカーとの会食。そして、娘も入って、愉しい3人の会食、カラオケだった。小さな驚きの人生の風景が、一つ。

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June 10, 2009

100年後の校風、風紀委員

昨日、夜、ヒッポクラブの会合に久しぶりで出席。幼児や小中学生との交流が新鮮だった。帰りに行き付けのジャズ喫茶に立ち寄ると、いつもの火曜日のデイスクジョッキーを、やっていた。

最近、TVで人気の「ルーキーズ」の主題歌、「はるか」と云う曲を、改めて聴いた。ドラマ自体は、私は、一度か二度、小田原の妹の家で、皆と一緒に見たくらいだが、グリーンと云うグループの、男性ヴォーカルの張り上げる声が、何故か、青春の迷いやエネルギーを想起させた。私は何故か、風紀委員だった高校時代を想い出した。

学生服を着て、熱く、「100年後の校風を作るために」とか議論していた青春を想い出させた。放課後の校庭に響く、野球部のカーンと云うボールの音も。

「ルーキーズ」の主題歌に、風紀委員の連想。心は自由に、飛び廻る。

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June 09, 2009

おとぎ話のような、街の営み

昨日、会社の帰り、7時頃、東急線・白楽駅で改札を出た時、語学学習ヒッポクラブのメンバーの人のご主人に偶然出会った。立ち話で、6月末のヒッポの特別な会に是非、出席して下さいと誘われた。

白楽商店街の中の居酒屋で、ちょっと一杯の焼酎お湯わりの後、夕食を食べてたら、町内会の幹事の人に偶然出会った。今度の夏祭りの打ち合わせは、7月半ばと聞いた。

行き付けのジャズ喫茶に入ると、今度、商店街のおかみさんの会は7月の3週目の日曜日とのこと。今度は、「すいとん」と「いなり」が出ると云う。千代田湯では、落語や講談の会も予定されていると云う。ジャズのライブのパンフレットももらった。

次回の商店街の「ドッキリ闇市」は6月20日の夜だって。張り紙に書いてある。

「六角橋ふれあいの街」と、垂れ幕がかかるアーケードを、周りを楽しく見まわしながら歩いた。おとぎ話のような、街の営み。

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June 08, 2009

スズメの声、新聞配達の人のバイクの音

今朝は、通常通り、朝は4時半頃目が覚めた。早速、ヴェランダへ出て、慣れた横浜の朝の光景を眺めた。

曇り空、ベイブリッジに点滅する灯り。時折聞こえる、スズメの声。新聞配達の人のバイクの音。

日々が、新たな日常であることを思った。

そして、今日、私が、なすべきことを、心地よく、点検した。

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June 07, 2009

成田から見る車窓の緑

今日は、1週間ぶりに、昼12時半頃、日本に帰って来た。

車窓から見える山々の緑を、静かに見ているだけでも、これが日本だと想いが湧き出て来て、緑が輝いていた。

日本をちょっと離れる時間があるだけで、同じ見慣れた風景も、全く違って見えるものだと思った。

旅をして、丸っきり違う世界に身をおいて帰って来ると、日常の自分が、ちょっと他者をみる時のように、浮き立って、また奇異にも感じられた。

明日から、この男は、どういう行動をするのだろう? とか、他人ごとのように、自分の明日の予定などを考えてみた。

いずれにせよ、私は、この、美しい日本の山々のそばに、今、生きている一つの生命。


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June 04, 2009

Letter from London

I am still in London , and engaged in business meeting everyday . Weather has been very nice , June is the best , comfortable weather in London. I enjoy walking in the street .

My biggest surprise in London this time is the long daytime . Even late as 21;00 , sky is very bright . I felt a bit of shame for drinking in the bright time .

There seems to be no time for sightseeing this time . I will leave London on Saturday(June 6) evening , arriving Japan at noon on June 7 (Sun). Flight is about 12 hours.

Time difference is 8 hours . (London is 8 hours behind from Tokyo). I feel very sleepy sometime in the evening.

I am looking forward to coming back soon to Japan .

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June 02, 2009

悟りはエゴの放棄

悟りは、得るものではなく、エゴを捨てて、捨てて、捨てきった切った先に現れる境地と知った。先日の住職の話。

苦しみがあることが、悟りへの入り口であり、苦しみの種子は、光と水を与えられなければ、自然消滅する。

その、光と水は、まさに、自らのエゴ。

悟りとは、エゴの放棄。

悟った人は、悟ったとかの意識もなかろう。

悟ったと思う人は自らの勘違い。

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バックパッカー

最近、夫婦で来日したノルウェーの友人の息子(大学生)が、今、バックパッカーで世界を旅行していて、5月21日から6月13日まで日本滞在とのこと。

早速、連絡取り合って、ぜひ、来日中に、会ってみたい。

バックパッカーって、どんな、人達なのだろう。ぜひ会ってみたい。ワクワクする。

東京から京都へも安いバスで移動したと云う。いかにも若者らしい元気な旅。


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June 01, 2009

二人の僧の豪華共演、館山

5月30日ー31日は、館山のホテル「正翠荘」で、哲学カフェの合宿があった。

横山紘一先生の唯識に関する講演、「深層からのやすらぎ」。

山口博永住職の講演、「気に遊ぶ」。

私は、この二人の名僧の共演を、絶対に見逃せない共演だと思った。

海外出張直前だったが、万難を排して参加した。

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戦艦・三笠の記念日

5月27日は、日露戦争、日本海海戦の旗艦・「三笠」の記念行事の日だった。

私は、友人から、この記念行事の案内をもらって、とても嬉しかった。結局は、会社を休めず、行けなかったが、そのことを想い出すだけでも嬉しかった。

5月27日は、日本が、危機を脱した記念すべき、日本海海戦勝利の日であることを想い出した。

バルチック艦隊を日本海に迎え撃つ日本の艦隊。旗艦・三笠に、「Z旗」が翻る。気迫溢れる、先人の鍛錬・覚悟に、気が引き締まる想いがした。

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幼児語、「ご飯ちゅくってんの」

私の娘が、幼児の頃、砂場で遊んでる時、「何してんの?」と声をかけると、「ご飯、ちゅくってんの」と云った。その時の娘の声の響きが、何十年経っても、微笑ましく想い出される。

私が出掛ける時、玄関で「きょっけてね」と云った。「気をつけて」の意味だった。

何だか、3丁目の夕日みたいな、想い出。


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一つの泡ぶくの気づき

私のことは、どうでも良いとの境地は、すごいと思う。

命がけの愛のような法則が、宇宙を形成している。

私は、大海のひとつの泡ぶくに過ぎない。死とは、泡ぶくが、波が、ただ大海に帰ること。

住職の言葉の余韻を、31日、ロンドン出発前に成田で記した。

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