神様への頼みごとは不要
神様への頼みごとは、誰しもが幼い頃から体験すること。
だが、座禅の哲学で、神とは対等ではなく、神とは契約するものではないと云うことを何度も、気付かされた。
「条件付きの幸せを求め、その条件を神に頼む」ことは、余りにも子供っぽく、愚かな、哀しい願いのようにも感じる。
条件を付けずに、大安心の、穏かな幸せの境地は無いのか?これが、住職が若い頃、苦しみの末に出家された時の心境であったと云う。
「神にはゆだねるもの、条件を付けて契約するものではない」。絶対的に神にゆだねた時、身も心も一挙に軽くなるような気がする。
「結果は、全て神のもの」。
どんなに高いところから飛び降りても、下では、神のセイフテイー・ネット(安全網)が、フワリと身体を受け止めてくれている。確かに、人生では、そんなことが多かったと思う。母の微笑みを想い出す。
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