鎌倉時代、比企家の悲劇
先日、鎌倉の妙本寺と云うお寺に行ってみたら、北条に滅ぼされた比企一族の館あとに造られた寺であった。
源頼朝との縁戚になった御家人、北条家と比企家は、勢力争いをしていた。比企家は、乱を起こしたと云うより、謀反の疑いで、先手を打って、北条が比企家のあった比企谷の館を攻めて、討ち滅ぼしたことがわかった。
妙本寺へ行くと、比企家の惨劇の、無念の想いが、残っているような感じもした。
数日後、川越の小江戸町並みを見学に行った時のこと。たまたま入った本川越駅前の居酒屋で、出された減塩醤油、「金笛」のラベルを見て驚いた。埼玉県、比企郡、川島町とあった。
関東武士の比企一族は埼玉を根拠に活躍、頼朝に認められ、鎌倉に来て、1203年、悲劇にあったことが、わかった。ほんの数日の縁で、比企家のことが、手にとるように見えて来るような気がした。