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March 14, 2009

1862年・生麦事件の歴史的意義

昨日、夜、横浜で、1862年発生の生麦事件の講演会(浅海武夫氏)のビデオを見せてもらった。

英国人観光客4人の日本の風習への無知(大名行列に騎馬のまま突っ込む)と、当時の幕府の怠慢(外国人への警告不備)、薩摩藩士の武士として、"尊大な外国人観光客"への正当防衛的斬りつけ。と云うのが私の頭の中に整理された。

その後、この事件に怒った英国は、多額の賠償金を幕府から貰い、更に、薩摩からも賠償金を貰うべく薩英戦争(1863年)に及んだ。鹿児島湾での戦闘の結果、薩摩は大善戦をしたが英国の強さを知り、攘夷政策を止めることなった。その後、英国も幕府を見限り、薩摩と接近して行くことになる。

1864年、攘夷派の拠点・長州も四国艦隊の下関攻撃で、長州も攘夷政策の無駄なことを悟り、大きく明治維新へ向かって行く。まさに、そのスピードを加速させたのが、この生麦事件だったのだ。

1862年、生麦村で、ノーテンキな英国人観光客一行の、無礼な観光行為が、皮肉にも日本を救ったとも云えることに驚いた。生麦事件が無かったら、攘夷派の政策が続き、日本が欧米列強の植民地化へ突き進んだかも知れない。生麦事件は不幸な事件だったが、日本を救ってくれた事件だったのだと、今更ながら驚いた。

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