一切れの「たくあん」の示唆
座禅合宿へ行くとき、いつも感激することがある。それは、食事の後、一切れの"たくあん"を小さな椀に残しておき、お湯を自分が使った椀の大きな椀から順番に注いで、その「たくあん」で洗って行く作業。
「たくあん」で洗った、洗い汁を飲み、最後にその「たくあん」も食べる。
椀に残った洗い汁を、飲む行為は、最初、何でこんなことまでと思ったが、その後、多くの想いへ誘ってくれた。
生きることは、何かの生命を頂いて生きている。他の生命を無駄にしては申し訳ない。洗い汁をすする、その質素な振る舞いに、私は、何か高い穏かな精神性を感じるようになった。
宇宙に調和して、邪魔にならないように、生きているように感じ、穏かな安心を得る。
生きることそのものが、懺悔する存在に気づくことは、究極的には、自己犠牲や慈悲の心を誘発する。それは大安心の世界。
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