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February 18, 2009

100% 今

ヴェーダンダ哲学で、人を取り囲んでいる無知無明なる「印象・気分」を自分と思い込んでいる事を学んだ。自分とは何かの問に対し、勘違いであることの示唆。

「我を学ぶは、我を忘るること也。」

感動の素晴らしさは、感動の瞬間は、過去も未来も無く、その対象に溶け込み、我を忘れる境地になっていると云う。100%が今。前後が無い境地。

道元禅師の歌、「春は花、夏ホトトギス、秋は月・・」の境地とは、その時々に、花になり、ホトトギスになり、月にもなる境地と云う。禅の修行の行き着く境地、「今ここ」、「汝はそれなり」の境地への扉ではないかと思う。

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Comments

「100%の私がいる」

一年ほど前に、あまりカッコヨクナイ立場におかれた日々がありましたが、そのときに詠んだ自由律の山頭火風の句です。

「乗り切って今」

今、できました。

Posted by: のほほん | February 21, 2009 at 06:45 PM

のほほんさん、「100%の私」から「乗り切って今」、それぞれの境地が、自分との対話ですね。

Posted by: life-artist | February 21, 2009 at 11:31 PM

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