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February 28, 2009

寝台車の想い出

今朝、鹿児島県阿久根に寝台車を固定してホテルにしている宿があるとTVで云っていた。

3段くらいある寝台車のベッドに、梯子を登って入る映像は、大学受験時代を想い出して、ジーンと来た。

九州の鹿児島本線・大牟田駅3番ホームから、寝台特急"みずほ"に乗って1日かけて東京へ行った。夕方大牟田駅を出て、北九州にさしかかると日も暮れて、大牟田の実家の夕飯の様子を想像したりした。両親にもらった100円札の板垣退助の顔まで想い出す。

まるで、アメリカにでも旅立つような覚悟で上京していた日々。ただ山手線に乗るだけでも、嬉しかった。

寝台車の映像が、私の、飛び立つ時代の、私の心や、そのとき吹いていた風までも運んで来てくれた。

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February 27, 2009

味噌、お茶、海苔、日本からの土産

今週来日中のアラブ人ゲストが、日本から買って帰りたい土産の話を聞いて面白いと思った。

女性のゲストは、友人にも頼まれて、味噌を4パック買って帰りたいとのこと。一人の男性は、コレステロールを減らすために、日本のお茶を希望。もう一人の男性は、娘さんへ味付け海苔を希望。

話を聞いてると、とっても可笑しくなって来た。昨日夜、会社帰りのスーパーで全部、取り揃えてやった。

今朝、味噌、お茶、海苔を持って会社へ行く。我ながら傑作の行動。

彼らを驚かすために何か、面白いことを考えた。大根おろしなどをおろす、小さな”おろし金”をポケットに忍ばせて、彼らにさりげなく見せる。そして、彼らの、反応を楽しむ。どんな答えが返って来るかな。


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February 26, 2009

冬に輝く生きもの

「冬に生き生きする動物がいます。」と云う台詞が、映画"旭山動物園物語"の中にあった。

銀世界の中、雪にまみれて喜ぶペンギン、白クマなど。冬季閉園だった冬こそ、旭川動物園の最高の魅力に気づいた物語。

人生の苦難はよく冬に例えられる。

私の両親も、冬がとても似合う人だった。沢山の苦労があっても、苦しみは「生きとる、証拠たい。」と笑って、周りを励ましていた母。

多少の不幸なら、まるで、雪と戯れる動物達のように、子供の私達には生き生きとさえ見えた。

冬に輝く生きもの。雪にはしゃぐ生きものにも勇気を貰える。

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February 25, 2009

クウェート開放記念日レセプションの意外なゲスト

昨日夜、クウェート大使館主催の、イラクからの占領の開放記念日のレセプションが、帝国ホテルで開かれた。

会場で、私が最も驚いたのは、拉致被害者の横田滋さんがお見えになっていることだった。何故だか、親しみを感じ、近寄ってお声をかけさせてもらった。「横田さんは、中東とはどう云うご縁でらっしゃいますか?」と問うと、色々な行事になるべく顔を出されるように心がけてらっしゃるとのことだった。

拉致問題を色々な方面の方々へアピールされるためにご出席されているのかとも理解した。

そして、今朝、不図思った。人と一緒にいらっしゃる時間を多く作ることで、幼い娘さんを拉致された哀しみを紛らわしてらっしゃるのもあるのではないかとも想像した。

ちょっと、お年になってこられた姿を見て、何故か、自分の父親が生きていた頃を想い出した。

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February 24, 2009

特別なアラブ人の来日

一昨日夜、アラブから出張者3人が来日、昨日から1週間にわたり、顧客訪問などを開始した。

昨年夏、本国に帰任した、私を採用してくれたアラブ人が、その来日団のリーダー。

彼らのスケジュールに同行することは、とても心がウキウキする。

仕事と云う感覚はなく、まるで、彼らの日本見物(れっきとした仕事であるが)に同行するような感覚である。

そんな、感覚に、密かな安らぎを感じながら、今週は出勤する。

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February 23, 2009

元ベイスターズ、盛田選手の講演

昨日は、もと横浜ベイスターズの大魔神・佐々木と並ぶ大ストッパー(1992年頃)だった盛田投手(現野球解説者)の、脳腫瘍体験(98年、2005年)の講演を聴いた。

大手術で、再起不能と思われたが、その後リハビリをして、392日ぶりに球界復帰(99年)した時の様子を彼はこう語った。

「リリーフカーに乗って、マウンドへ向かう10秒くらいの時間が、とても長く、走馬灯のようにお世話になった人達の顔が浮かんだ。マウンドが高く、輝いて見えた。」と・・・

リハビリの時は、5mの距離さえも20分くらいかけて、手すりにつかまって歩いた自分を体験して、日常、普通に生きてきたことのすごさ、有難さが、初めてわかったと。

そして彼は、5歳の時、がんで亡くなった弟のことを想い出し、講演の途中で、「ちょっと待って下さい。」と云って、1分か2分、ただ、宙を見上げて沈黙した。

その沈黙が、彼の、最大の感動を語っていたと思う。

彼は、今でも、脳腫瘍の後遺症と闘っていて、今後も闘って生きていくと思うが、彼の体験を通して得たであろうものには、禅の修行をする人が辿る道にも似た、大いなる安らぎを感じた。


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February 22, 2009

五感六識の働きを休止、そして見える世界

鏡に写る自分が変化しても、周りの景色は変わっても、実は私自身は人生を通して、子供時代から少しも変わっていないような感覚があることに気づいた。

人間の五感六識のレンズを通して見る"生物としての現実世界"と、もう一つ別の世界が確かにあると思う。

身体も心も、その五感六識の世界で変化していく。

一方、その変化を母の目のように、暖かく見つめている世界がある。変化しない目があるから変化が変化として見える。

それが、"魂"。私も、母も、宇宙も全てが同じもの。

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February 21, 2009

身体、心、魂の三つ

身体・心・魂と三つのものの存在は、驚きだった。

心と魂の違いは何か?

身体と心は、まだ自分に関わっている物質的存在、心も"物質的こころ"と云うのがわかり易い。

魂とは、宇宙いっぱいに拡がる法のようなもの、「生ぜず、滅せず」の存在のようなものだと思った。個ではなく、宇宙意思のようなもの。

全てのものを、元素レベルや原子レベルで見れば、全てが同じに見える境地も魂の目ではないかと思う。

身体を見るものには心や魂は見えず、心を見るものには身体や魂は見えず、魂を見るものには身体も心も見えないと云う。

魂で見る境地は、大安心の境地。

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February 20, 2009

褒められたり、出世すると修行は中断

悟りへの道は、色々あって、勤労・作務(さむ)により悟った人に、仏陀の十大弟子の中の一人もいると聴いた。

ただ、箒(ほうき)を与えられ、ただ黙々と庭を掃いて、悟りに達したと云う。

一つのことに徹底的に集中していき、座禅の時の静かな呼吸の時のような状態に到達したのだろう。

ただ、勤労・作務で悟りまで高めるには、究極的な苦労がないと駄目であると云う。ちょっと頑張って、褒められたり、出世すると、修行にはならないと云う。褒められたり出世するのは修行の邪魔だと云う。それでは、サラリーマンでは、勤労により悟る境地は、まず無理。

ただ、人知れず、黙々と作業していく中で、悟りに近づくことも出来ると云う。

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February 19, 2009

市場、人間の業の場

昨日、産経新聞に中谷巌氏(多摩大学教授)の懺悔の書、「資本主義は何故自壊したのか」に就いて本人のコラムが書いてあった。

時代のうねりであった"市場に任せる思想"に対する信奉に、大きな誤解があったことを述べておられた。

市場の効率性は市場参加者が等しく完全な情報を共有していることが前提であるが、現実は、情報は著しく非対称的であり、情報優位に立つものが強欲にもとずいて市場を操作する。

市場とは"投機"そのものであり、必ずバブルの生成と崩壊を来たす本質。

この2点を述べ、市場主義に対する大いなる反省を述べておられた。

市場は投機と同義語かと思うと、痛快な思いがした。人間の業を考えると、市場が憎くもあり、また可愛くも見えた。

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February 18, 2009

100% 今

ヴェーダンダ哲学で、人を取り囲んでいる無知無明なる「印象・気分」を自分と思い込んでいる事を学んだ。自分とは何かの問に対し、勘違いであることの示唆。

「我を学ぶは、我を忘るること也。」

感動の素晴らしさは、感動の瞬間は、過去も未来も無く、その対象に溶け込み、我を忘れる境地になっていると云う。100%が今。前後が無い境地。

道元禅師の歌、「春は花、夏ホトトギス、秋は月・・」の境地とは、その時々に、花になり、ホトトギスになり、月にもなる境地と云う。禅の修行の行き着く境地、「今ここ」、「汝はそれなり」の境地への扉ではないかと思う。

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February 17, 2009

例えば10メートルの人生絵巻

一昨日、TV新日曜美術館で、江戸時代の絵師、岩佐又兵衛の絵巻が紹介されていた。何メートルにも及ぶ絵巻の物語に引き込まれるような感じであった。

自分の人生を、頭の中で、10メートルくらいの絵巻に表現したらと想像してみた。夢中で生きてる人生であるが、絵巻にしてみると芸術性が増し、心地よい感じであった。

半分は描き終えてる絵巻をしげしげと眺めて見る。フムフムとか、うなずきながら見る。

そして、今日からの描き方に、適度な注文をつけてみたくもなる。配色や構図も考える。

そう思って、今日も会社へ行く。

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February 16, 2009

娘の人生観

昨日、娘と二人で会食した。

娘は今しか出来ない事、将来やってみたい事などについて語った。親からみれば、ちょっとハラハラするが、これも若さがもたらす、自然な願望かとも思った。

人間は、遺伝子に組み込まれた何か企画書のようなものがあり、時間の感覚もきちっと制限を設け、木々が葉を出したり、実をつけるように、その年齢に応じた興味があるのだろうと思った。私の人生もそのように展開して来たし、今もそのような、見えざる自然の摂理に導かれているようにも思う。

娘の人生観を聴きながら、自分の人生の事も思い浮かべながら、大きな宇宙の意思に委ねる事を思った。それは、どんな事があっても、神のゆりかごの中、お釈迦様の手の平の上。

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February 15, 2009

人間も動物も同じ材料、原子のレベルにたち返れば

粘土を人間の型にはめれば人間、牛の型にはめれば牛、魚の型にはめれば魚。

元は、同じ原子。同じ粘土みたいなもの。

人間と云う壺は、自分が壺だと思っている間は、解脱・悟りはないと云う。

自分が原子、粘土だとと気づいた時、自分は宇宙いっぱいに拡がる。個は消え全てと一体となる。そして平穏なる宇宙の光景。

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February 14, 2009

・・しなければならない事

「・・しなければならない」と思う事が多い程、不自由で、人生は辛い。

「・・しなければならない」事を、むしろ進んでやっていると思えば、むしろ楽しんでいるとさえ思えば、状況は一変する。楽しめば、不自由も自由に変わる。

身の周りで起こる色んな事、色々な、しなければならない事を、好奇心で眺めて見ると、ちょっと楽しくもなる。

人生にも、結構、幸せのメリハリが付いて見えてくるようでもある。

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February 13, 2009

東京タワー、成田エキスプレス、石油タンカー

成田始発の成田エキスプレスを待ってる間、駅員さんと会話した。「車輌長いですね。何メートルくらいあるのですか?」


「34メートルが12輌ですから・・・・400メートルくらいですかね。」との答えだった。

カーブしたホームに前後が見えないくらい長ーい車輌を見ながら、そうか、東京タワー(約330メートル)、横浜ランドマークタワー(約300メートル)、石油タンカー(約標準330メートル)と同じくらいか、もうちょっと長いくらいか・・・・と関心した。

自分が乗り込む成田エキスプレスを縦に立てたら、東京タワーより高く聳え立つ様を想像して、新鮮な想像に微笑んだ。車輌の端から端まで歩いたらこりゃ大変だ。

これも、小さな驚き。

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February 12, 2009

人間関係の黄金律発見

たまたま買った英語で書いた禅の本に、凄い表現を見付けた。人間関係には、三つのパターンがあると説明してあった。

(1)ゲスト対ホスト: 給仕される人と、給仕する人、社会や個人でも、この人間関係の類が多い。だが、内実は大きな不満の爆弾を抱え込んでいる。ゲストがのぼせ上がってしまっていることが多いから。水面下の人間関係は破綻していることが多い。

(2)ゲスト対ゲスト: 最悪。 両方ともに自分が接待されて当然と思っているから、衝突は必至。夫婦の亀裂は、大概がこれだと思う。

(3)ホスト対ホスト: 最高の穏かな付き合い。 自分を客と思っておらず、何かを相手にしてあげるホストに、自然に慣れている人。そのような人どうしが巡り合えば、最高の人間関係。修行した僧と僧が出遭った時のよう。すごいと想う。そんな人間関係に憧れる。

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February 11, 2009

娘からの誕生日の返信メッセージ

昨日は娘の誕生日だったので、朝出勤前に、一人暮らしの娘に、おめでとうのメールを送った。

夜、帰ってからパソコンを見ると、返信が、「有難う。早いもので25歳になりましたとあった。」

娘が生まれた日のことを想い出したり、ジーンときた。

ロンドン出張前に、今度の休日に、娘の住む千葉へ出掛けて、二人で夕食をする約束をした。父親として、伝えたいことを、少しづつ伝えておこうと想う。

娘が紙バックの中に入るくらい小さな幼児の頃、度々お爺ちゃんお婆ちゃんにご馳走してもらった、海鮮料理屋へ行って、今は人生を語る。

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February 10, 2009

父ちゃんへの"ようかん"

ロンドン出張中に、日本人の方がアラブ人にと持って来られた"ようかん"の土産を私にも頂いた。

普段"ようかん"は滅多に食べない私は、その"ようかん"を見ていたら、姉から聞いた母のエピソードを想い出し、胸が熱くなった。

生前、病気で入院中の母に、姉が好物の"ようかん"を持って行った時のこと、母は"ようかん"を半分食べ、半分を残し、これは「父ちゃんの分」と云って、しまってまた姉に託したと云う。

私の両親は、満州からの引き揚げで、配偶者と死別した者どうしで再婚し、私が生まれた。人生の地獄、どん底を経験したであろう二人の、再婚後、助け合って生きて来た"人生の同胞意識"に、ただ泣けてくる。

"ようかん"を見ていたら、「父ちゃんの!」と云って、"ようかん"を手渡す時の情景、母の表情が浮かび、母の想いや、強さや、母の人生を想った。

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February 09, 2009

ロンドンの雪、歴史の刺激

昨日夕方、ロンドン出張から、1週間ぶりに日本へ帰国した。

私が到着した2月1日の夜のロンドンは、19年ぶりの大雪になり、翌日は交通は麻痺した。そして大概の会社は臨時休業となった。それでも、私の出張用務は順調に進み、金曜と土曜の午前中は、ちょっとした観光もできた。

ロンドンから郊外の畑の真ん中にある、紀元前5000年のストーンヘンジ、雪景色に映えて神秘的だった。1220年建造のソールスベリ大聖堂には1215年のマグナカルタ(人民憲章)の元本も展示してあった。

この1週間は、仕事に関する刺激もさることながら、改めてまた世界史への興味が強く湧いて来た。中世の城塞ロンドンタワーには、徳川秀忠から贈られたと云う、鎧甲冑が保管されていることも知った。

沢山の小さな驚きのメモを、読み返しながら、今回の出張への縁に感謝する。


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February 08, 2009

生き返って来たと思えば感動

人生は、その時、その時がもう既に、遠く消え去る無常の中にいると云われる。

そのような意味では、その時その時に、もう死んでしまったと思えば、分かりやすい。

そして、毎日を、生き返って来たと思えば、毎日が輝く。

その時は、もう行動に迷いは無いように感じる。

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February 07, 2009

青木繁、高島野十郎、久留米はすごい

高校の教科書にも載っている絵画、青木繁の「海の幸」には数年前くらいになって、改めて魅せられた。鮫を担いだ荒々しい漁師の中の一人の顔を、恋人だったであろう想い出の女性の顔に描き換えて、作品「海の幸」は輝きを増した。

高島野十郎は、ただ友人・知人にあげるために、「蝋燭」の絵を沢山描き続けた。カラス瓜や桜の名作もあるが、彼の蝋燭の炎の描きかたは、何かすごい訴えるものを感じる。一人静かに、その蝋燭の炎を見詰めたくなる。

この二人の画家は何と、私が生まれ育った大牟田から電車で30分の久留米出身なのだ。久留米はすごいと、改めて思う。

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February 06, 2009

自転車のおばさんの鼻唄

数日前、通勤途上、駅への小道で、こちらに向かってくる自転車に乗ったおばさんが、鼻唄を歌っていた。

ちょっと、演歌のような、おばさんの鼻唄だった。

朝8時前後の通勤時間帯での光景だが、狐につままれたようで、とても嬉しくなった。

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February 05, 2009

人生の有限性

人生を、死刑が確定し、執行をまっている状態と思うと面白い。

人生の有限性から云えば、死刑とにているともいえる。

何十年後の死刑執行であっても、自分を振り返り、懺悔することは普通の人にも、大切なことだと思う。

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February 04, 2009

神のゆりかご

あまり暴れると、人間関係のゆりかごからは落ちることはある。

どうあがいても、神のゆりかごからは落ちることは無いと感じる時、大安心の世界に入る。

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February 03, 2009

春は花、道元禅師の歌

春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」と云う、道元禅師の歌について、住職の解釈は、「執着の無い世界」、「大丈夫の世界」、「自然そのものの世界」を歌ったものとのことであった。

執着の無い、大丈夫の、大自然に抱かれた世界か。

この歌を、かみしめる人生を送りたい。

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February 02, 2009

四川地震のエピソード

2008年、5月12日、四川地震はオリンピックの3ヶ月前に発生した。オリンピックのシンクロ9人の選手の中に3人の四川出身がいて、地震のニュースを見た時は、ショックで泣きっぱなしだったと云う。その後、全ての中国の選手も、惨劇のニュースに泣いたと云う。

練習に気が入らない選手に、井村監督は云ったと云う。貴方達は、こんな時に、ボランテイアに四川に行かずに、練習している自分達を責めているでしょう。私には、わかる。と云って一緒に泣いたそうです。

そして、四川の苦しんでる被災者に、オリンピックで頑張って、明るい話題で励まそうよ。と声をかけたと云う。

それが、中国チームの奇跡の銅メダルにつながったことを知った。

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February 01, 2009

絶対絶命の時の覚悟、井村雅代監督

31日、オリンピックの中国のシンクロのコーチ、井村雅代さんの講演を新宿で聴いた。

中国のメダルが期待されたデユエットに失敗し、中国選手団も、意気消沈、落胆したと云う。2日後に迫ったチームの演技を前に、選手の中に恐怖が芽生えた時、恐怖を取り除くために、井村監督は、その2日、選手を一人にさせないようにしたと云う。一人になると恐怖や不安が高まる。そこで、わざと人通りの多い通りで陸上で演技の練習させたりしたと云う。

中国がメダルを取るなら、デユエット しかないと云われたデユエットで失敗した、絶対絶命のピンチの中で、井村監督は、選手の能力をいっぱいに引き出すために、腹をすわらせ、起死回生の覚悟で次の試合に臨んだ。

最後の演技に選手を送り出す時、井村監督は、選手に云ったと云う。「ここは、北京です。貴方達の家です。貴方達の演技をしなさい。」と。

鬼コーチと云われた井村監督。練習した者だからこそ云える、すごい迫力。


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ロンドンへ出発

今朝、7時半の成田エキスプレス で横浜を出発、11時半のANA便でロンドンへ立つ。久しぶりのロンドンへの旅。

8日までの出張期間中のブログは、全て構想して自動アップにセットした。ロンドンからも投稿する余裕があれば、トライするかも知れない。

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