無我、無私のイメージ
自分を宇宙そのものと思った時、それを無我と云う。自分が、草木一本にもなりきれる時、それを無我と云う。
そのような説明を住職から聴いた。
無私とは、まったく自分が何かに仕えて、自分を主張しない、自分を忘れてしまった状態とのこと。
勘違いでも好い。無我にも時々、なれる気がする。無私にも時に、なれる気がする。
自分を宇宙そのものと思った時、それを無我と云う。自分が、草木一本にもなりきれる時、それを無我と云う。
そのような説明を住職から聴いた。
無私とは、まったく自分が何かに仕えて、自分を主張しない、自分を忘れてしまった状態とのこと。
勘違いでも好い。無我にも時々、なれる気がする。無私にも時に、なれる気がする。
米国大統領の宣誓式は、神に対して宣誓をする光景を見慣れていて、特に気にはせず、眺めていた。
先日、座禅の会の時、住職が不図、こう云われた。
「大統領の職は、大変孤独な決断を迫られる職であり、大統領は、もし切羽詰った時、最後の相談の拠り所は、神でしょう。」
最後の相談相手が、神か。それは、私に直すと、"内面の神"の神、"仏心"と思った。
そう思って宣誓式を見ると、ちゃらちゃらした、他人事のような気持ちで、宣誓式を見る気持ちは無くなった。
2月初旬、久しぶりに、ロンドンへ出張することになった。10年くらい前に、娘が中学生くらいだった頃だったろうか、海外出張した時に、行く先々のホテルのファクシミリ番号を教えて、娘からのファクシミリを頼んだことを想い出す。
欧州各地を数箇所回った時、行く先々で、チェックインする時に、娘からファクシミリが入っていると、どんなに嬉しいだろうかと思って、1回のファクシミリに付き1000円とか、娘に云って出発した。
結局、1回くらいしか来なかったが、それでも、とても嬉しかった。お土産に何を買ってきてねとかだけでも嬉しかった。また好きな漫画のキャラクターの絵とかが書いてあると、それは最高だった。
今はE Mailの時代。勤務する会社の近くの千葉に、今は離れて暮らす娘に、土産は何がいいかメールを送った。
両親、住職、娘、兄弟姉妹、友人など、無言で私を励ましてくれていることを感じる。
その人達は、生きていても、死んでいても関係なく、私を無言で励ましてくれている。
私も、無言で誰かを励ましている存在かも知れない。
そう感じることは、宇宙に漂うような、深遠なる幸せを感じる。
捨てれば、捨てるほど豊かになる感覚が今は、心地よい。
得れば得るほど、不足や乾きはひどくなる。
手放すことは、豊かになることの秘訣だったことに気付いた。手放せば、宇宙自体が私になる。
幸せの気付き、心の平穏の道。
手放すことの魔法の力。美と真理の啓示。手放すことの圧倒的な力に驚嘆する。
人生は、美術館を見るのと似ている。
一人でないと、じっくり味わえない。
誰かと一緒だと、気を使って、真に、美と対峙できない。
人生は、一人になる時間がなければ、その素晴らしさの深さを実感することはできないとさえ思う。
子供時代は、誰が自分の人生を支配しているのか混沌として、不明だった。
青年期は、誰か、他人が完璧に、私の人生も支配しているのだと思っていた。
そして今、結局は、自分が自分の人生の支配者だったことに気づいた。
混沌とした人生、他人が支配する自分の人生に、歯軋りする様な口惜しさを感じていた。
そして今は、自分が自分の人生の支配者だったことに気付き、過去のことは、心地よい口惜しさに変わった。
全ての世界の価値観は、今は、私が決めている。だから少しでも多く、私の時間は私が決める。気合いが入る人生に思う。
ただ目立ちたい人は、目立つことは、大変危険なことだと思う。
目立つべき、しっかりした内容もなく、ただ目立ちたいと思うことは、ボロをさらすことになる。
政治家には、自分が目立つことに耐えられる人間かを自問した方がよさそうな人も多い。
目立っても、失望から滑稽に、ボロボロになることもある。そんな姿をよくTVで見かけて、可愛そうになる。
一度でも、何か美しいものを見た時、その後の人生は一変すると思う。
美しいものを見つけた時の心の衝撃のマグニチュードの深さが、その後の人生を一変させる。
時折、そんな経験をしながら生きていければと思う。
だから、芸術や、旅や、自然と対峙することは、私の人生の優先事項。
青年期の夢は、とてつもない夢、年配者の夢は些細な夢を持つことが多いと思う。
でも、その後、年を重ねるにつれ、若い頃の、とてつもない夢が、実は幼児っぽい、些細な夢だったことに気づく。
同時に、若い頃、些細な夢と思っていた夢が、とてつもない夢だったことに気づく。
面白い逆転。
直木賞の天道荒太さんのインタビュー番組をたまたまTVで見た。「悼む人」は、「誰に愛され、誰を愛し、人に感謝されたか」を問う作品だと云う。それは、死に際した人間の深い問いかけだと思う。
私は、最近、その境地とは、ちょっと違う問いかけ、生き方にも魅力を感じる。力まずに、人を愛する境地。自己がちょっと放棄されたような。
「愛されて良し、愛されなくても良し、ただ大切と想う人が健やかに生きてさえいれば」と云う境地。そして、その大切な人がこの世を去る時が来たとしても、穏かに宇宙の意思として淡々と受け入れる。
そんな、大安心の世界を生きたい。自己が宇宙に溶け込んでしまうような、大安心の世界。
変化するものへの執着は苦しみを増す。
執着は捨てられないものならば、変化しないものに執着すれば良いと云う。
変化しないものの存在を微かに感じるだけでも、少し楽になる。
変化しない何かがあるから、変化しているものが見える。
17日、日経ホールで、映画監督、大林宣彦氏の講演を聞いた。
大林さんは、講演の中で、戦没者の若い画家達の遺作の絵を展示してある長野県の無言館の話をした。
24歳くらいまでに死んでいった若い画家達の絵を見て彼は、彼らの人生の深さ、密度の濃さに驚嘆したと云う。
今70歳になられたと云う大林さんは、続けて云った。私は、彼らの生きた24年間を、また今から70歳の新人として生きていきたいと。70歳から24年生きると94歳、可能である。
70歳からでも、まだもう一人分の充実した人生を、新たにスタートさせることだってできることに気づかされた。
戦後生まれの私は、まだまだ沢山の新たな人生を送れるチャンスがあることに気づき、そうか! よっしゃと、心の中で掛け声を発した。
先日、休日、電車の中で、若いお父さんと小さな女の子、幼児の女の子と、すいている電車の中で乗り合わせた。
女の子は、アンパンマンの話をお父さんに向かって、沢山話しかけている。
私は、時々、その親子の方に目をやっていた。
私が、先に降りる時になったその時、そのちっちゃな女の子が、突然、私にバイバイと云って、手をふってくれた。
全然予期していなかったので、それは、それは嬉しかった。
あれは、確かに、私の母が生まれ代わって、電車に乗っていたのかも知れないと思った。
先日、リサイクルショップで、セーターを買った。とても安く、良い買い物だと、嬉しく思った。
薄い茶色、オレンジ色っぽい色のセーターで、タートルネックで、私は、大学時代の親友・白谷君のことを想い出した。彼が、そんなセーターをよく着ていた。
彼は、大学卒業後7年~8年後から消息不明になり、今でも、身内の人に聞いても、消息が知れない存在になってしまった。
もしかすると、その白谷君のセーターが、色んなところを経て、何十年後か、今私が着ているのかも知れないと思うと、何か、不思議な気持にもなった。
「白谷君のセーター」、心の中では、そのセーターは、そんな名前を付けた。
京王線、向丘遊園の入り口は丘の上にあった。入り口そばに、ぐるぐる回るコーヒーカップの遊具は、この15年くらい、ずっと、また行きたいと気にかかっていた。
大きなコーヒーカップの中に二人が座れるようになっている遊具。娘は小学校に入る前の頃、これに乗って、ケラケラ笑っていた。二人で時々向丘遊園へ行った時、また乗るまた乗ると何回もせがんでいた。
つい先日、たまたま向丘遊園そばに住んでらっしゃる人と座禅で一緒になった。その方から、もう7~8年前に向丘遊園は閉鎖になったと聞き、ショックだった。とても寂しくなった。
もう、心の中でしか、あのコーヒーカップには乗れないのかと悟った。人生に鮮明に刻まれた想い出となった。
「北風小僧のカンタロウ♪、ヒュルルル、ヒュルルル♪」
この歌が、朝の教育TVの幼児番組で流れて来る。
この歌は、私は母との時間や、娘が小っちゃかった頃の時間を連れて来てくれる。娘が幼児語で歌っていたことをほのぼのと想い出す。
愛しさ、可愛さ、暖かさが、ぜーんぶ入った不思議な歌。嬉しくなってしまう。
日常、色んな選択肢の中で、人生を送って行く中で、"想い出作り"と云う支点は好いと思う。
素晴らしい想い出になりそうなことを選択する。
どちらでも好いことに囲まれて生きている日常の現実に、ちょっと冷水をかけられる気がして、痛快な感じもする。
穏やかに、夕日を見送るような気持にしてくれる、好い想い出になることを、日々重ねていけたらと思う。
年末の頃、海岸で貝拾いをしている時に、イノシシに後ろから、体当たりされた人のニュースを聞いた。
その事件の数日前にも、イノシシ が海を泳ぐ姿を見た人がいると云うから、本当らしい。
山でエサが無くなったイノシシが海岸へ降りて来て、自分の縄張りを作り、そこで貝採りをしていたおじいさんを侵入者と思ったのだろうと云う。
おじいさんにしてみれば、自分も年をとってボケたかと思っただろう。
吹き出したくなる、ニュース。 人生、眺めてみると、面白いことが結構起きてるんだと思う。
キョトンとした爺さんの姿が、可笑しくて思いだし笑いしてしまう。
ホスピスで、穏やかにいずれ死を向かえる人達に、大切なものを、思い付くままに沢山書いてもらって、徐々にその、大切なものの数を減らして行ってもらうと、最後に残る一つには、形あるものを残す人はいないと云う。
結局、日常には思いもよらなかった、気づかなかった価値に気付く瞬間。
日常生活の中で、その最後に残る大切なものを、気付いて生活するならば、かなり、違った人生の行動、人生の選択肢が拡がるはずだと確信する。
そのような行動ができる人は、私にとって、まさに尊敬に値する人に思える。
何か、どこかで、「親孝行は人間にしかできない」と聞いたことが、何故か耳を離れない。
動物は、自然界の掟で、親子は早い段階で、離れて行く。
飼い犬、飼い猫などは、親子で飼ってもらう例は稀だと思う。親子離れ離れ。仮に動物が親子で、住んでいても、人間のような情があるのか私にはわからない。
そうか、親孝行は人間にしかできないのか。そうだったのかと、今さらながら思う。
そして、亡くなった両親のことを想い出し、早く気づけば良かったと、ため息がでる。
忙しいと、色んなことに追いまくられて、誰の人生かわからなくなる時がある。その時は、充実した感じも味わえるが、後が怖い。 忙しいけど、想い出せば空虚な人生にもなるリスクも大きい。「忙しいけど退屈な人生」にもなる。
暇が出来ると、時に、ちょっと後ろめたい気持もでるが、色んなことを考えたり、やってみて、ちょっと、生きている実感を感じることが出来る。何と云っても、自分との深い対話が出来る。それは、「暇だけど退屈ではない人生」。
可笑しな逆転。
数日前の朝、たまたま聴いた、TVのNHK俳句の数首に、大自然に溶けゆきたいような、安らぎを感じた。
「往き暮れて 雨漏る宿や 糸ざくら」蕪村。 糸ざくらの下で休む旅人蕪村を思う。
「くれないと云う 重さあり 寒椿」健和田柚子。雪囲いの中、真っ白の中のくれないを思う。
「傘さして あられの的に なりにけり」投稿。あられと戯れたい気持ちになる。
人生の登り坂では、現実的に、目に見える視界がいっぱいに拡がっていく。若者らしく、勢いや、登った高さを楽しめば好い。
人生で必ず訪れる波に於いては、下り坂に於いては、今まで目に見えなかったものが見えて来る。目に見えない視界が静かに感動的に拡がって来る。
そして、下り坂に於いては、登った坂の愉しかったことの余韻を静かに味わうのも好い。想い出となった余韻も、沢山の現実的な幸せをもたらしてくれる。
登り坂も、下り坂も、上ったり降りたり、夫々の味わいがある。
1月1日の日経朝刊の第3部の一面に、「パリの朝陽」と云う題名で、素晴らしい朝陽の神々しさを感じさせてくれる絵画が、大きく載っていた。
大牟田出身の画家・大津英敏さんの作である。昨年2月パリに行かれた時、朝陽を見たさにコンコルド橋まで行かれたと云う。
柔らかく明るい色彩と水辺の風景に惹かれるのは、有明海に面した故郷の風光と水に親しんで育ったからだと解説しておられれた。
一昨年、高校の大同窓会で、お会いして、私が、弟にそっくりだとおっしゃった大津さん。私も、いつの日か、またパリを訪れた時は、早朝のコンコルド橋から、朝陽を眺めてみたいと想った。
年賀状の窃盗のニュースに、最初けしからん事件だと怒りを感じたが、アナウンサーの続く言葉に、哀れで、涙が吹き出した。
あるホームレスの男性が、他人のものでも、印刷された家族写真の年賀状を見たくて、盗んでしまったとのことであった。
私の思いもよらぬ、家族恋しさの犯行に、人生の厳しさと哀しさを想った。
ある知人の方からの年賀状に、剣の達人のような、穏やかな表現にも鋭い切れ味を感じた。
「終着駅が近づき、ふと網棚の荷物を見上げました。このところ忘れ物が多いもので・・・・。勿論、人生の終着駅の話ですが・・・・。」とあった。
何か、ジーンと来る、熱い厳しさのようなものを感じた。
「あの子はだーれ、誰でしょね。♪、なんなんナツメの木の下で、♪お人形さんと遊んでる、可愛いミヨちゃんじゃないでしょか?♪」
この曲が、お正月、1月1日の夕暮れの奈良、三条商店街のスピーカー から流れて来た時の感動。
遠ーい。 遠ーい昔。母や姉・妹と過ごした時間を呼び戻してくれた。私は、知らない街で、私の人生を彷徨った。
昨日は早朝から法隆寺の境内を、新鮮な気持ちで散策した。
昼は奈良駅から若草山へ続く、三条通り商店街を興福寺へ向けて散歩した。
興福寺では、鹿と戯れ、大好きな甘酒を飲んだ。
興福寺の阿修羅像のポスターに「私が、私と向き合う」とあった。
私が、私と向き合う旅。2009年の始まり。
今回の九州帰省の旅は、往きに立ち寄った、瀬戸内、鞆(とも)の浦の美に圧倒された。万葉の歌人・大友旅人が太宰府の任地から京へ帰る途中に立ち寄り詠んだ歌、頼山陽が”山紫水明”と歌った”鞆の浦”の美は大発見であった。福山にこんな素晴らしい美があろうとは。
仙人も酔う程の美しさの”仙酔島”を散策すると、すぐそばを、走り抜けるタヌキにも出会った。草鞋を買って砂浜を歩いた。”ここから”人生が始まることを暗示させるような、”ここから”という宿の名前も心にくいほどだった。
初めて訪れる仙酔島には、浜辺に「お帰りなさい」とつたない字で書いてあった。まるで映画のポニョに出てくるような島だった。この旅は、心に沁みる旅になった。
新年おめでとうございます。
今日は、奈良に宿泊します。
お正月の奈良のお寺の風情が見たくて、横浜への帰りの途中下車です。
奈良のお寺を散策しながら、新しい年の生き方を、考えようと思います。