« 通りがかりの人助け | Main | 育てるものではなく、見つけるもの »

December 02, 2008

私を理解しての叫び

現代は、家族や社会からの疎外感を感じる病の人が多い時代と思う。大きな疎外感は、犯罪や自死に繋がる恐れがある。

一方、私は想う。60兆の細胞を持つ人間、厳密な意味で云えば、人それぞれに、元々、理解不能な神秘的な存在。小さな疎外感くらいは、共存して生きて行くくらいの気持ちを持つ余裕も大事だと思う。

時に、周りに、自分への深い理解を求める心境は、幼児的な、傲慢な願いにも思える。自分が、周りを深く理解できているだろうかと思うと、大概が勘違いが多いことに気付く。

お互いに、理解出来なくても、愛おしく感じることは出来る。お互いに、理解出来ないが故、尚、愛おしく感じることも出来ると想う。

|

« 通りがかりの人助け | Main | 育てるものではなく、見つけるもの »

Comments

私は、人と違う自分を喜び、人と同じだということに共感して、笑顔で過ごしています。

Posted by: のほほん | December 06, 2008 12:29 PM

のほほんさん、「大海に於いて同じ、波に於いて違う」と云う境地が、二元に遊ぶ境地と云われています。

それが穏かな人生の真髄だと思います。

Posted by: Life-Artist | December 06, 2008 11:39 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 通りがかりの人助け | Main | 育てるものではなく、見つけるもの »