マフラーのプレゼント注文、大晦日の誕生日
今日は、私の誕生日。
一人で九州に帰省している私は、姉や弟の家族と過ごす誕生日。
娘には、誕生日のプレゼントは、マフラーが好いと云った。
横浜では、娘がマフラーを買っていてくれるかなー。
2008年に大きな感謝。これからも人生の修行を誓う。
今日は、私の誕生日。
一人で九州に帰省している私は、姉や弟の家族と過ごす誕生日。
娘には、誕生日のプレゼントは、マフラーが好いと云った。
横浜では、娘がマフラーを買っていてくれるかなー。
2008年に大きな感謝。これからも人生の修行を誓う。
人間として生まれて来る時は、大きな宇宙が、小さなミクロの粒に宇宙が凝縮するようなものではないかと思った。
人間とは、窮屈に閉じ込められた、"窮屈な宇宙"だと思った。
そして、死とは、宇宙一杯に広がることだと思った。
そう考えると、何だか、すごーく楽な気持ちになれた。
一所懸命であることは可愛いことだと思った。必死であることは、可愛いことであると思った。
それを達観して見ている時は、愛おしく思える。
時に、一所懸命に、時に達観して生きる。
自分が当事者だと思った時は、必死に生きて、そして、自分の気持ちにちょっと余裕ができたら、達観して眺める。
その時は、一所懸命なことは、可愛く思える。
先日、横浜球場で開催の「ゆず」の冬至コンサートの人気振りの報道を見て、興味が湧いた。
彼等の原点は、横浜伊勢崎町通りで、もうすぐ閉店になる松坂屋の前で、路上ライブ を長くやっていた時だそうである。今では、1万人以上を収容する、横浜球場や、横浜アリーナ でも一杯になるほどの人気と云う。
「ゆず」の二人のインタービューを見てると、質素誠実で、すがすがしいなーと思った。普通の若者であるところが好い。TVで、彼等は、閉店する松坂屋を眺めて寂しそうだった。路上ライブをやっていた頃の想い出。
私は思う。路上ライブで、数人の客を前に声を張り上げて歌う「ゆず」と、何万人の前で歌う「ゆず」は同じだと。 どちらでも真実。同じ真実。
何万人の前でも、一人の前でも、自分をどれだけ真剣に歌い上げられるかだと思う。観客の数は幻、ただ波の形態の一部に過ぎない。
サンタクロースを信じることは、微笑ましく可愛いこと。電車の中や、街で、小さな子供達が、サンタクロースの話を夢中でしているのを聞く度に、メルヘンのような気持ちになれる。
一方、サンタクロースは、"自己中心世界の象徴"だなーとも感じる。子供時代は、自己を中心に世界が存在する実感が大きいから、サンタクロースと自己との世界が成り立つのだろう。
世界の子供の数だけサンタクロースがいなければ、サンタクロースの話は成り立たない。ちょっと変だぞと気づき始めることは、ちょっと失望に近いが、自分の愚かさにも気づき、"面白い失望"、"心地よい失望"でもある。
そして、「待てよ・・・・」と云う、人生の疑問の始まり。やはり、このプロセスも、人間の可愛いところだと思う。
27日から1月2日まで九州へ帰省予定です。年末までの記事はまとめて入れておきました。
自宅のノート・パソコンも故障修理中で、不便ですが、1月中旬には、復旧することを願っています。
一昨日夜の、飯島愛さんの死のニュースは衝撃だった。実際にも見たこともない芸能人であったが、TVでよく見掛けた若い芸能人の死は、少なからず驚きだった。
人間の自己認識、自己を観る目の病みを思った。一人の人間の死でも、確実に私の見ている時代の風景は変わる。
自然界の風雨に晒されて、岩や木々が徐々に変わっていくように、彼女の存在の消失で、私の見ている風景も変わるように感じる。
人は、自然界の風雨に晒され生きている。個としての存在の支えが弱まった時、それは自然に返って行くのだろう。風に吹き飛ばされていくのだろう。
北海道の旭川の旅で、タクシーの運転手さんの話に驚いた。屋根から下がる氷柱(つらら)が、頭の上などに落ちて来て亡くなる事故が、年に2人くらいいらっしゃるとのこと。私は、初め冗談かと思ったが、運転手さんは真顔で説明してくれた。
九州生まれの私には、氷柱(つらら)って、何か可愛いもののように見えていたが、ここでは、恐いものなんだと思った。
旭山動物園で、有名な、ペンギンのお客さんとの行進は、雪が多くないと、ペンギンが爪を傷めるので、出来ないのだそうだ。他の動物園じゃ中々真似できないことだと云うこともわかった。
今年は旭川でもまだ雪が少ないと云うことだったが、私にとっては、真っ白の世界が、それは、それは驚きの世界だった。やっぱり、人生は面白いと思った。
12月20日~23日、また若いアラブ人夫妻を連れて北海道・旭川へ旅した。
美瑛・富良野の雪原は、楽しかった。それぞれにスノーモービルにも、初めて乗った。すごーい。
旭山動物園は確かに、凄いと思った。以前、潰れかけた寂れた動物園は、よみがえり、沢山の人で溢れて、活況だった。初めて狼を、まじかで見た。ペンギンと戯れた。
40℃~50℃のアラブの国の人間が、雪景色の中、氷点下の国を旅する、その付き添いも楽しからずや。
また、目を丸くする彼等の一生の想い出に立ち会えて嬉しかった。幼児と戯れるときと同じような楽しさ、むつごろう王国のようなものとも思った。
色々な習い事、修練の道は、まず形を覚えることから始まると云う。
しかし、「形は、形を超える為にあるもの」と住職は云う。
自分を乗せて来た「いかだ」を捨てるのが、修行の真骨頂と云う。
書家が、筆を捨てて、自分を表現する域に達するなんて、考えただけで、降参。
「神を求めると云うことは、サターン(悪魔)に追いかけられてる証拠です。」と、住職は云う。
強くなりたいと願う人は、自分が弱いと思っているから。
だけど住職は云う。思い通りに強くなった人間は、破滅・崩壊へ向かうと。
人は、悟りに迷い、賢者は、「迷いを悟る」と云う。
「サターンがいなければ、神は存在しない」との世界が、微かに見えて来る。
人生で、金メダルをもらったような、感動の想い出があれば、その時々で、完結して封印すれば好い。
完結したと思うからこそ、穏やかに、その感動のマグニチュードが封印される。
永遠を求めるところに、感動を汚す大敵が潜んでいると思う。
哀しいこと、不幸なことにも、「慣れること」は痛みを和らげてくれる。
嬉しいこと、幸せなことにも、「慣れること」は、満面笑みの有頂天ボケから、平常に戻して、真顔にしてくれる。
浜に押し寄せる大きな波のよう。大きな波も、次第に、小さな波の水面に戻って行く。
押し寄せる大きな波も、浜辺の波打ぎわに白く泡だって到着して消える。そしてまた、引き返し、大きな波になって返って来る。
その光景を見ている、私がいる。慣れることの生命力を感じる。
先日、通勤途上、駅へ続く道で、交差点を右折してくるバスの運転手さんをチラッと見ると、私が子供時代に、「俊ちゃん」と呼んで、よく遊んでもらっていた親戚のお兄ちゃんとそっくりだった。優しい、頼りがいのあるお兄ちゃんだった。今でも故郷に帰ると、暖かい父親のようなお兄ちゃんの姿がある。その「俊ちゃん」を想い出し、暖かい気持ちになった。
駅そばの小道わきには、小さな竹林もある。地面の下には、既に竹の子が地上目指して、冬を越え春の到来を待っているのだろうと想像したりもした。
白楽駅前の不動産屋さんの横のコミュニテイープラザ商店街からは、いつものように心地よい音楽が流れていた。その日は、映画「アラビアのローレンス」のサウンドトラック版だった。大好きなメロデイーなので、駅前で、足を止めて、曲が終わるまで聴いてから、改札口に入った。
通勤途上にも、沢山の小さな驚きがあった。
昨日、韓国の石油会社の顧客が来日、東京タワーを眼前に見る森ビル42階のイタリアレストランで会食した。
ライトアップされた東京タワーを見ながら会食するのは、男性5人では、ちょっと不似合いなくらい、もったいない感じだった。
夜8時くらい、オレンジ色の東京タワーが一瞬消え、散りばめられたダイヤモンドの照明に変わった。それは、今朝の日経新聞にも「ダイヤモンドヴェール」と紹介してあった。
50と云う数字もイルミナーションされ、50周年を迎える東京タワー。
毎日、会社の窓から眼前そびえて見える東京タワー。何だか、人生を見つめてくれているようにも感じる。自分が訪れた東京タワーの想い出も輝く。
昨日、急遽、四国から上京した友人と会うため、当初予定していた忘年会を早めに失礼して、7時からと8時半からと二つの会食をした。高校時代に一緒にヒッチハイクをした親友である。
長年、有機農業と関わっている彼が、新らしく始めたNPO事業の名刺に「生物多様性農業支援センター」とあった。
説明を聞くと、植物・農作物は、人間中心に、人間に良いために作るのではなく、生物の多様性の自然な生育を支援し、それを自然界の一部としての人間が食し、地球、宇宙の調和を保つと云う発想と感じた。
座禅の修行で目指す境地へ通じていると思った。多様性の中で調和している大きな世界がある。多様性の中の単一と云う調和、安らぎを感じた。
植物性油が、動物性油脂より、身体に良いことは、案外良く知られているが、同じ植物性油でも、次のような差異には、あまり知られていないように思う。「究極の食」(講談社インターナショナル、南清高著)に、次のように纏めてあった。
①オレイン酸(オメガ9系) : アボガド゙・オリーブ・椿油。悪玉コレステロールだけ低下させる。生活習慣病予防。
②アルファリノレン酸(オメガ3系): シソ油・緑色野菜・海草・豆類など。善玉コレステロールを増やす。血液の粘度を下げる(サラサラ効果)。*アレルギー症状を和らげる。脳神経活性化。大腸がん・乳がん・肺がんの予防。
③リノール 酸(オメガ6系): 紅花油・ひまわり油・ゴマ油・コーン油・菜種油など。摂り過ぎると、善玉コレステロールを減らす。*アレルギー 症状を激化させる。血液の粘度を増す。
植物性油でも、アレルギー症状を和らげる油と、激化させる油がある。食を学ぶことの大切さを感じる。
人は、「永遠なるもの」を求めるが故に、苦しみを感じると云う。万物は変化する。
この無常観こそ、すべての修行の始まりだと云う。
無常観を突き抜けて、苦しみの真只中を突き抜けて、喜びに到達出来れば素晴らしい。それが、「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪さえて涼しかりけり」の境地だと思う。「晴れて好し、曇りても好し、富士の山」の境地。
万物を変化させている、絶対的な調和をもたらしている法則のようなものの存在を感じれれば、無常観にあっても、視界が明るくなるのを感じる。
住職が幼児のころの母との別れの場面の話を聴いた。
「母は、電車のホームで、泣いて近づく私を、鬼の形相で、遠ざけた。そして、ホームの陰で、じっと目を凝らせて、遠くから私を見つめ続けた。親戚の人が、私を手を引いて連れて行ってくれるまで、ジーと、隠れてこちらを見続けていた。」
それが、住職の、修行への導きであったと云う。どちらに転んでも、安心と云う境地は無いのかと。
イスラム暦では、今年の12月29日が、1430年の1月1日に当たると云う。モハメッドが、メッカからメデイナに脱出した西暦622年から1年を354日と数える。
日本では、西暦1428年には、正長の土一揆勃発。応仁の乱は1467年に始まった。
今を、1430年と考えることは、何だか、異次元世界を感じて楽しい。
昨日夜、LPG業界の新入社員など若手社員有志が集まる立食パーテイーに飛び入り参加した。数日前に情報を知り、茶目っ気をだして、私も出席させて下さいと、幹事さんにお願いをした。
何と、場所もかっこ好い西麻布。マンション風の建物の中のサロンで立食パーテイー。商社・元売、船社、トレーダー、メデイアなど約60名の20代、30代の若い男女の社員が大勢参加していた。これは、私にとっては、まさに潜入という感じであった。
余り、ゆっくり話したことの無い若手の方々と、ワインを飲みながら、リラックスして話すのは、とても楽しかった。
今朝、6時のNHKニュースでノーベル賞受賞の益川さんが、ノーベル賞受賞の晩餐会のことを、自分が絵本の中に入り込んだみたいだったと表現していた。私も、昨日は、30才前後の頃の、私の人生のアルバムの中に潜り込んだようなものだった。
町で、行き交う人は、子供時代に見た人達と同じように、知らない人達の集団。昔、子供の目で、何となく見た大人の集団と何ら変わらない。
物理的に、時の経過を強く想い出させるものが無い限り、私は、何時でも、子供時代にも、青年時代にも返れる気がする。
昔は、すぐそばに、現実的に存在している。「過去は、古くなった今」。「未来は、想像世界の今」。
そう考えると、今を、子供時代としても、青年期としても、中年期としても、自在に観て、生きる事が出来るような気がする。
人は、何かへの執着は免れない。
移り行くもの、変化するものへの執着は、苦しみをもたらす。
「絶対的なものに執着せよ」と住職は云う。
陰と陽の二力の拮抗する調和の世界、ゼロの世界を見れば、色々な矛盾の世界、変化の世界も、背後に穏かに安らいでいる世界が垣間見れる。
アラブでは12月5日~13日まで犠牲祭の休暇、聖地巡礼の休日。私の勤務する日本支社も8日(月)は特別休暇となった。
そこで、また、アラブ人夫妻と、伊豆へドライブ。今度は、川奈ペガサスハウス、大室山頂上火口でのアーチェリー、城が崎吊り橋、などを訪れた。アーチェリーは初めて挑戦したが、難しかったが、ワイワイ楽しんだ。
1日中、写真もバチバチ撮った。車の中は、アラブ音楽のCDをビンビン鳴らして、3人の旅。
城が崎の吊り橋は、切り立った岩場に打ち寄せる大きな白波は、すごい。前にも見たことはあったが、あらためて自然の迫力と美に、驚嘆。近くの木立には、可愛いリス達も木々を飛び回っていた。
とりわけ、オレンジ色に染まり、暮れてゆく空、山々、海は、感動的な美だった。人生の絵日記。
高校時代の友人に案内をもらって、初めて吉沢京子さんのファンの集いに行ってみた。ファンクラブの類は、今まで行ったことは無かったが、懐かしいアイドルに会えると云う願ってもない機会なので、喜んで参加した。
当時、TVで、一世を風靡したアイドルと、30名くらいの会合で、今このように穏かに会える機会が来ようとは、人生の展開を不思議に思う。
芸能界は平坦な道ではなく、色々な苦しみ、葛藤も経験されて来られただろうが、清純なイメージは変わらず、会えて、大変嬉しく思った。
丁度、昨日の朝、TVの新日曜美術館で、米国の画家アンドリュー、ワイスの静かな寂寥とした絵の魅力について、「自分にとって何が愛おしいか、振れない価値観」があるとゲストの方が紹介されていたが、その様な価値観が、今の吉沢京子さんは、あることを感じた。
昨日は、東京虎ノ門から横浜・白楽の自宅まで約30KMの距離を、約7時間かけて、虎ノ門の知人の貿易会社オフィスに預けていたイタリア製の自転車を運んだ。とてもユニークなデザインのカッコ好い自転車で、湖の周りや、軽井沢など観光地を、遊び感覚で走るタイプの自転車。
朝10時に虎ノ門を出発したが、パンクのせいか、ペダルが重く、自転車屋さんを探しながら、徒歩で、横浜方面へ向かった。白金の明治学院大学前を初めて通った。五反田を過ぎ、星薬価大学前も通った。14時過ぎに、やっと中原街道の荏原付近で大きな自転車屋さんに出会い、自転車の修理をしてもらった。
日本にはまだ輸入されていない珍しい自転車に、自転車屋さんも、興味深く、熱心に修理してくれた。そこで、かっこ好い自転車用のヘルメットも買い、一路横浜へ、多摩川を越え、日吉、綱島を越え、やっと家についたのが、17時15分。それから、大慌てで、外出、綱島での座禅の会にも何とか出席することもできた。
1日掛かりの、徒歩と自転車での東京から横浜への7時間の旅。これは新鮮だった。徒歩や自転車で広がる光景・世界は、電車に慣れてる私の世界とは、異次元の光景だった。みずみずしい、楽しい別世界が、そこに展開していることがわかった。また、新しい世界を探検したいと夢が膨らんだ。
もう会えなかったら、想い出は金字塔のように輝く。想い出は、年を追うごとに輝きを増すこともある。
もし会えたら、新たな金字塔になる想い出が、上書きされる。
会えても、会えなくても、既に素晴らしさに於いては完結している。
そんな、大切な人との出会いが、人生の中ではあると思う。
昨日は、日経新聞の一面の、デカデカとした日石・ジャパンエナジーの経営統合のニュースに仰天した。両社でも役員クラスの数人しか知らなかったという極秘裡の協議だったということにも驚いた。私の出身会社がこの経営統合で、世界8位の石油会社になりそうであることは、経営環境の悪化が引き金の動きであっても、嬉しくも思った。
そのビッグニュースに優る驚きを与えてくれたのが、UAE(アラブ首長国連邦)ナショナルデイのレセプションで、久々にお会いした、アブダビ時代の商社の友人のご夫人の言葉だった。私の娘が子供のころ、ブリッジの会に母親と来て、遊んでいる時にハサミに描いたと云うケロッピーの絵が、今も残っていますよとの言葉だった。
娘は、漫画の絵を描くのが好きで、色んなところに絵を描いて遊んでいた。
何だか、ジーンときた。娘が当時描いた、その絵を、いつか見てみたいとも思った。初めてアブダビで見た、アブダビのナショナルデイの、街中の華やかなイルミネーションを想い出した。
この数日、休日もとったこともあるが、変化が際立つ、小さな驚きいっぱいの数日だった。変化は、ただ変化を見るだけでも、面白い。
日曜日は、産業カウンセリングの団体のセミナーに参加して、グループワークを通して、人それぞれの思考の特異な受信機ぶりに、改めて驚いた。
月曜日、火曜日は、休暇をとって、妹も参加する、女性のエステ・パーテイーのボランテイアの写真係り。みなとみらいの273mのロイヤルパークホテルの66階スイートルームを使った、ゴージャスなエステ・パーテイーで、それぞれの参加者の晴れ姿の写真を撮る係りをした。私はスーツ姿で、黒一点の異次元体験。
火曜日の夜は、横浜家裁の、調停委員の有志忘年会に久しぶりに参加した。今でも、私は、男性調停委員体験者では、最若手だが、2年前までやっていた調停の仕事のことを想い出す。ある調停委員の方が、ボランテイアで長年続けてらっしゃる、視覚障害者の為の「音声訳」という朗読にも驚いた。気づかないうちにも、地味にも素晴らしい社会貢献をされてることがわかった。
昨日は、通常の会社へ復帰し、夜、Shell さんのパーテイーに出席。業界の知人・友人に会って、石油の話や、経済の話。ちょっと、軌道を通常モードに修正した。そして、決して、アッという間に終わらない日々を、実感した。
人生は、色んなものを、見つけて回ること。ある知人の不図した言葉だった。
何かを、作ったり、育てたりするものでなく、それは、そこにある。
曇りに埋もれたり、人混みに隠れて、見えないのかも知れない。
人生は、ただ、身の周りにある、輝くものを見つけて回ること。静かに、耳を澄ませ、じっと目を凝らす。
現代は、家族や社会からの疎外感を感じる病の人が多い時代と思う。大きな疎外感は、犯罪や自死に繋がる恐れがある。
一方、私は想う。60兆の細胞を持つ人間、厳密な意味で云えば、人それぞれに、元々、理解不能な神秘的な存在。小さな疎外感くらいは、共存して生きて行くくらいの気持ちを持つ余裕も大事だと思う。
時に、周りに、自分への深い理解を求める心境は、幼児的な、傲慢な願いにも思える。自分が、周りを深く理解できているだろうかと思うと、大概が勘違いが多いことに気付く。
お互いに、理解出来なくても、愛おしく感じることは出来る。お互いに、理解出来ないが故、尚、愛おしく感じることも出来ると想う。
昨日朝8半過ぎ、青山で開催の心理学関連のセミナーへ向かう為、自宅から白楽駅へ歩いている途中、突然、「お父さん、しっかりして!、「倒れないで!」と通りまで聞こえるほどの大きな、お婆さんの声が聞こえて来た。
その家の方を見ると、玄関前に、今にも倒れんばかりのお爺さんが、壁を背に、正面からお婆さんに抱きかかえられている緊急事態だった。
私は、とっさに、家の門をくぐり、玄関先に駆け寄り、その倒れかかったお爺さんを支え、お婆さんに救急車を呼ぶように促した。結局救急車を呼ぶのにもたもたしている間に、お爺さんは、しばらくするとちょっと、力が入り、私とお婆さんで支えられながら、家の中に入ることができた。
家の中に入ると、どちらの方でしょうか?お名前を?と聞かれたが、私は、「通りかかりの者です」、大丈夫ですか?と言って、緊急事態が去ったか、様子を確認して、その場を立ち去った。
もう、予定のセミナーには、間に合わない覚悟はできていたが、結果的には、間にあった。
通りかかりで、助けた人に、「せめてお名前を」と聞かれるのは、時代劇でよく見たシーン。そのとき、「いやー名乗るほどの者じゃござんせん。通りかかりの風来棒でござんす。」と言って立ち去る、渡世人、木枯らし紋次郎など思い出し、内心おかしくなった。「おひけーなすって」などつぶやきたくなった。昨日は、そんな一日の始まりだった。