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November 30, 2008

帰省チケット、途中下車の旅

年末の九州への帰省に旅を絡めることに成功。朝7時に駅に並んで、27日・28日と新幹線の切符が取れてほっとした。

新横浜から岡山へ行き途中下車、岡山で昼、2時間位途中下車し、大学時代の友人とお茶を飲むか、後楽園散歩。そして再び岡山から新幹線に乗り、知らない町・福山下車、その日は福山に宿泊し、福山を探索。倉敷や尾道は有名だが、福山は何か印象が薄い。行ったことも無い街。知らない街に行ってみたい。

横浜への帰りは1月1日出発。1月1日は、奈良で宿泊できる旅がしたい。正月は、静かに奈良を散策したい。奈良に一泊して、横浜へ帰ろうと思う。その為には、また12月1日、2日の朝7時に、JRの駅に並ぶ。

帰省と旅のコンビネーション。小さな驚きを求めて。

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November 29, 2008

帰り道の夜空、北斗七星

昨日、白楽駅から自宅へ歩く坂道で、不図夜空を見ると、星が見えた。ちょっとしたプラネタリウム。

北斗七星がはっきり見えて、嬉しかった。

哀しみの中で見る北斗七星。幸せに包まれて見る北斗七星。ただ何となく、ぼんやりした気持ちで見る北斗七星。

それぞれに、それぞれの、測り知れない深遠な美を感じる。比較できない、それぞれの味わいがある。

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November 28, 2008

インドのテロのショック

昨日のニュースのインドの大規模テロ事件で、私の勤務する会社の、お客さまの会社の社員の方が犠牲者に入っておられて、ショックだった。

インドへの視察ご出張に出られて、ホテルへチェックインする時に、事件に遭遇されたと新聞は伝えていた。

38歳の若さで、このような最後をとげられるとは、さぞかし無念でらっしゃっただろうと思う。

あらためて、人生のめぐり合わせ、社会の情勢の変化など、頭の中を、色々な想いが巡る。

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November 27, 2008

通貨の不美人投票振り

昨日、中東・通貨などについての講演を聴き、次の事が印象に残った。

今回の経済危機の震源地の米国のドルが、円以外に対して強いのは何故か? 信用不安による世界的な、銀行間のドル資金不足で、ドルが強い現象。ドルの威信低下は云われても、結局ドルに頼らざるを得ない世界経済の構造。通貨取引は結局「不美人投票」とは、好く言い当てている。

ユーロが弱いのは、経済基盤の弱い諸国を内包して、共倒れ現象とも云われている。ドイツのような、経常収支黒字国に守ってもらう為に、最近、経済の弱い国がEUに加盟したがる現象が起きていると云う。EU拡大か、共倒れか?の道。

中東も、ドル離れをしたくても、石油収入のドル離れは困難。結局、ドルを支えながら、内心ドル離れの気持ちの並存という不思議な現象。

世界のマスコミは、米国非難をしつつ、自国経済の弱さを覆っている。ちょっとした驚き。

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November 26, 2008

父の遺稿の製本の恩人逝去

昨日、昼、銀座で、満洲の日本人会・鳳城会の方々7名での昼食会があり、私も会社の昼休みを利用してちょっと参加した。鳳城会は、私の父の人生を、より身近に感じることの出来る手がかりとして、私には貴重な会だと思って参加している。

数年前、私の父の遺稿、満洲脱出記を、ワープロで打ち直して下さった九州・久留米の鳳城会の方が、9月16日に逝去されていたことを知った。79才で糖尿病でらっしたとのこと。

その方とは、満洲のことを知りたくて、手紙をやり取りしたことも何度かあった。9月6日、私が、舞鶴の平和記念行事に参加したすぐ後に、亡くなっていたことを知り、ショックだった。

心の中で黙祷した。想い返せば、あれが、最後のお別れだったのかと云う数年前のシーンを想い出す。人生では、そのような、最後のシーンがいつの間にか、蓄積していっている存在かもしれない。

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November 25, 2008

三田祭で出会った政治家、作詞家

昨日も、連続して三田祭に行った。出身の民族舞踊研究会のデモンストレーションにもちょっと顔を出した。

全く違うダンスであるが、最近、神奈川大学の大学祭でも見た、Jade Dance と云うパワフルなストリート・ダンスの大人気には驚く。雨の中でも、野外のステージ前に、傘をさした大勢の若者が歓声をあげる光景には圧倒された。

政治家の中川秀直氏の講演では、彼の哲学にちょっと共鳴した。「形を、人生の目標にすべきではない」、金や名誉のもろさは、人生を経て来るとわかる。人に役立つ人間になりなさいと訴えた。

綿貫民輔氏は80才の政治家の為か、ダムや道路の大切さや、人の名前を覚える事の大事さなど、人間関係の要領などを強調されていた。余り、心に響くものを感じなかった。

作詞家の秋元康氏は、時代を読む事とは、誰も気付かない出来事に新しい時代の兆しを感じる事との話しだった。今、「置き菓子」と云う、富山の薬売りのようなシステムで、オフィスに御菓子を売るビジネスが勃興しつつあると云う話も聴いた。発案者は富山の薬売りからではなく、農道の脇で、無人で野菜を売るシステムにヒントを得たと云う。

三田祭は、色々な予期せぬ出来事、小さな驚きの宝庫であった。

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November 24, 2008

三田祭、満洲国紙幣との出会い

昨日、慶應大学の三田祭のロシア研究会のコーナーのそばを通った時、偶然、満洲国紙幣の話が耳に入り、立ち寄った。ロシア発行の紙幣の歴史が実物紙幣でアルバムになっていて、夫々の紙幣の説明中で、丁度、満洲国侵攻の後、ロシアが発行した、満洲国紙幣の4枚であった。私は、思わず駆け寄り、説明を熱心に聴きいた。

説明していた男性の学生は、私の両親が満洲引き揚げ者であることを知り、その中の一枚の紙幣を私にくれると云ってくれてビックリした。こんな貴重なものをと思い、感謝しながらも一度断った。その後、更に話をしている内に、私は、明後日、会食する予定になっている満洲・鳳城会の人達に、この紙幣を是非見せてやりたくなり、彼の厚意に甘え、やはり、一枚頂くことにした。赤い印刷の十円紙幣で、印刷にロシア紅軍指令部、1945年とあった。

この十円紙幣は、ロシア軍侵攻後、困窮した母が、飴玉を売って、靴を磨いてもらった十円紙幣だったかも知れないと想うと、思わず目頭が熱くなった。

紙幣をただでくれると云った学生は、「お返しします」と云った。何を云われたかわからず、私は聴き返すと、彼は、ご両親へ「お返し致します」と云うのである。私は、この感動の言葉に、また胸をうたれた。三田祭で、このような素晴らしい体験をしようとは、思いもよらない驚きの出会いであった。

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November 23, 2008

アラブ人の、「白糸の滝」体験

昨日は、会社の若いアラブ人夫妻を連れて3人で、河口湖ツアーに出掛けた。日本での任期が最終年に入り、富士山をまじかに見たいとの希望であった。

まだ30代の若い夫妻で、新婚ムードの二人を連れてのツアーは、ほのぼのとして楽しかった。河口湖畔のホテルの暖炉のある喫茶から、紅葉の湖畔の眺めは、産油国の光景とは隔絶された、おとぎの世界のようだったろう。

近所に、寂れた、河童を祭る神社も面白かった。河口湖から10キロくらいのところに、小さな「白糸の滝」の案内を見付け、車で近くまで行って見た。結局、車から降りて、歩くのは断念したが、白糸の滝でなくても、山道の単なる、岩やせせらぎに、「Shiraito、白糸、白糸」と云ってはしゃいでいた。

その後、何でも、水を見ると、「白糸、白糸」と云うようになって、大笑い。

東京へ帰って来て、彼等がよく来ると云う豊洲のららぽーとのレシトランで、海を見ながら夕食をした。

彼等にとって、日本滞在の貴重な想い出の1ページに立ち合えて嬉しく思った。


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November 22, 2008

中高生がたむろしていたら、

近所のクリーニング屋さんのそばに、コインランドリーもあるが、そのコインランドリーの入り口付近に面白い張り紙がある。

「中高生がたむろしていたら、警察へご連絡ください」との張り紙。

いつも、私は、この張り紙を見る度に、「もし、年寄りがたむろしていたら」、どうなのだろうか?と思って笑ってしまう。

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November 21, 2008

人間が同じに見える世界

同じ種類の犬、同じ種類の猫が同じに見えるように、人間が、時に同じに見えてくる。

他の生物から見れば、種類としては、人間は同じ範疇にひっくるめて、同じに見えてると思う。

性格は色々あるだろうが、同じ種類に、大ざっぱに見ているだろうと想像する。とても面白い。

地位が高いぞ、美人だぞとか本人が思っても、同じ範疇の、十把一絡げ(じっぱひとからげ)の人間が、たむろしているくらいに見られている世界があるように思う。そう思うと、滑稽なくらいに、人生が面白い。色んな事が、どっちでも、いいじゃないか云う気持ちになる。

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November 20, 2008

不幸を楽しむ

何事も、流されてしまって、もがいていては、苦しみが増す。死ぬ事すら起こり得る。

運良く、その濁流から逃れてみると、今度はその処し方がわかり、将来その濁流を楽しむ事すら出来る。

雪崩の怖さと、雪景色の美。人生における不幸も同じではないかと思う。ちょっと自分を離れて試れば、不幸を、楽しむ事すら出来る。

幸せも不幸も無い。ただ、大自然の、宇宙の営みがあるのみ。その大自然の営みを、景色として眺めれば、それぞれに、味わい深い美がある。人生の春夏秋冬の巡り。

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November 19, 2008

香港の長寿の所以

昨日、WHOの世界健康フォラムが横浜で開催され、家森幸雄先生の解説の長寿に関するビデオに驚いた。

香港が、最近長寿で有名になって来た背景が意外だった。長寿には食と運動と心の三つが大事と云う。

香港の食は、新鮮な野菜、魚、など新鮮だから、保存食に使うような塩分を摂らない。

香港は、狭い土地に沢山の人(約600万人)住んでいるから、古い、エレベーターの無い高層アパートに住み、階段の昇り降りで運動している。

狭い土地にひしめきあって生活してるから、何世代も近くに住み、家族の絆が強く、精神的な連帯意識が、孤独感を防いでいる。

「食と運動と心」が、気付かない内に、揃っていて健康・長寿を達成しているとの分析だった。特に、狭い住宅環境が、寧ろ健康に役立つとは、思ってもいなかった気付き。

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November 18, 2008

個とは何か?

「比較するものがあるから個がある」とは、深い真理の言葉だと思った。

大きいか小さいか、遠いか近いか、金持ちか貧乏か、など現実の生活は全て比較のもたらす錯覚に惑わされて生きているのではないか。

他があるから個がある。

先に自分がいて、他の人がいるのだろうか? 他があるから自分が存在して見えるのかも知れない。

他が無い世界は? 私も消滅するのか? 私は、他とセットで、存在している存在か? 考えると、何か、一つの大きな世界の存在を感じる。 波と大海。 様々な波は、大海の色々な現れ方に過ぎない。私は、波のようなもの。


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November 17, 2008

余りにも感動して、伊藤和也さんの遺品の写真

今朝NHKのテレビで、アフガニスタンで農業支援中に、ゲリラの凶弾に倒れた、伊藤和也さんが残していた写真の報道に、余りにも感動して、衝撃を受けた。

彼は、アフガニスタンの子供達の笑顔を沢山撮っていた。そのあどけない、清らかな子供達に、彼は神を見出していたと思う。

村の長老が云っていた。イトウは、見返りを求めずに、我々を助けてくれた。日夜、農業や井戸を掘って、子供達が将来食べて行ける社会を夢見ていたと云う。子供達はまだ、彼が死んだ事を知らない子もいる。車の音がすると、イトウが来たと云って飛びだして行く子もいると。

この世に、伊藤和也さんと云う人がいた事を知るだけでも、私は、巨大な感動に包まれる。哀しさと共に、例えようの無い、美や、幸せに包まれる。

今日は、急遽、この二つ目の記事を書かずにはいられなかった。

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キノコは動物?菌類は凄い

昨日の日経に、「キノコは動物?」と云う記事があった。

キノコは、植物より、動物に近い存在だと云う事にビックリ。

太陽光と水などから有機物を造る植物は自然界の云わば、「生産者」。

植物を栄養とする動物は、自然界の云わば「消費者」。

動植物の死骸を分解して、再び土に返す菌類は、生物界の「静脈産業」。

ワー、凄い存在と驚嘆。 動物・植物・菌類の均衡した世界が広がっている。

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November 16, 2008

「矛盾の人」とのネーミング、

世に善人、悪人といるのは、自分の価値観、社会の価値観がある以上、逃れられない。

自然界の現象は、全て"矛盾"と"統一"の、繰り返す運動。

苦しみは矛盾。悪人は苦しみの象徴。

悪人は「矛盾の人」。坐禅の住職のネーミングか、初めて聴く言葉。

あいつは悪い奴と非難するより、「徳無きは、憐れむべし」。

苦しみは"慈悲"を誘発するという。

そして、遂には、己の闇を知り、闇は、光が造っていることに気づく。それから、崇高な懺悔の領域へ。

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November 15, 2008

車のナンバーをメモする遊び、

昨日、ノルウェーの友人が仕事で来日、7年振りくらいの再会。夜、新橋ライオンでビールを一緒に飲んだ。

お互いに仕事の話は、余りせず、趣味や旅や人生の話ばかり。

中でも傑作だったのは、彼が子供の頃、街を走る車のナンバーをメモして、遊んでいたと云う。男の子が電車に夢中になるようなものかな。車のナンバーをメモされた方は、気持ち悪いかも知れないと思いながら、笑ってしまった。

この友人は魚釣りも好きなので、10年くらい前に、魚のミニ図鑑をプレゼントした。魚を見て、パッと名前が云えるマニアって可笑しいと思ってしまう。

子供時代の興味の拡がり・価値観は、新鮮で、人生の楽しさを想い出させてくれる。

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November 14, 2008

75才の少女のいる国、世界が見た日本

"世界が見た日本"と云う記事が"クーリエ・ジャパン"と云う雑誌の最新号に載っていた。面白い驚きを発見。

「TV番組"徹子の部屋"は、高齢化社会を勇気つけている」: 高齢者の自殺大国・韓国の記者の評価で、黒柳徹子さんを"75才の少女"と云っているところが面白い。深夜討論番組74才の司会者の田原総一郎なども紹介。

「芸者が増えると、自民党が喜ぶ」:最近日本で、芸者見習いの人が若干増えて来た事は、"伝統と安定"を求める日本人の傾向を表していて、それは自民党に有利との、英国紙のレポート。

「トイレの使用法に見る日本人の情報伝達力」:タイの記者は、日本のトイレのウオシュレットの絵付きの使用法に関心。レストランのメニューの絵や、サンプルなど、日本人の表現力に脱帽。

読んでいたら、可笑しくなった。

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November 13, 2008

「今」の神秘

過去は現在の集合体。未来も現在の集合体。

ただ、現在が猛烈なスピードで過ぎ行く。

過ぎ行く過去に希望の芽を見出し。未来に夢を抱く。

それは、今が、希望そのものであり、今が夢そのものである証。

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November 12, 2008

「蜘蛛の糸」のエンデイング

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読み返してみた。地獄から、蜘蛛の糸を伝って天国へ登り始める罪人の話。

最後は、自分の下に次から次から登って来る同じような罪人達を振り落とそうとした瞬間に、糸が切れて、自分もまた、地獄へ逆戻りと云う話であった。

先日、住職から聴いたもう一つの話では、下から登って来る罪人を見て、これでは、大変と思って、自分の重みだけでも軽くしようと、手を離した瞬間に、手を離した罪人は、極楽の蓮の葉の上に座っていたと云う。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」には、芥川龍之介が越えられなかった、何かを感じた。

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November 11, 2008

楽しい夢体験、そして子供達との別世界

毛越寺の庭園のような、浅い小さな、せせらぎのそばを走り回り、アメンボウの競争をしようと近くの子供達を誘って、せせらぎに糸を引いたアメンボウが浮び、思い思いに泳ぐ姿。そんな夢を見て、深夜、はっと目が醒めた。子供達のはしゃぐ声も聞こえたような。

毛越寺の庭園と云えたのは、一度だけ行った事があったから、アメンボウは、子供時代から、あの水面を走る姿を、不思議に思い観察していたからだと思う。潜在意識の表現する夢は、遺伝子が、見て来たものなのだろうか。

私は、子供達と戯れるのが大好き。幼児番組で、子供達が遊ぶ様子は、一緒に歌いだしたくなる。「♪おにぎり、ギリギリ♪」NHK教育TVの8時過ぎの番組は特に楽しい。小さい頃の娘と遊んでいるような気がする。

「お馬パッカ・パッカ」と云って、自分の背中に子供を乗せて、自分が馬になって歩くのは、私は今でも好きだ。「飛行機ブーン」と云って、私が仰向けに寝て、子供を対面に、私の屈伸した両足の上に乗せて、高く上げたり降ろしたり。

子供と云うより、童子と云った方がピッタリ。童神(わらべがみ)とも云う子供達の様子にうっとりする。

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November 10, 2008

驚きの混ぜご飯、そんな一日

昨日午前中、初めて気功・太極拳の入門体験をした。気功・太極拳が、動く禅であることを体感し気合が入った。

昼は、大学時代の民族舞踊研究会の大同窓会に出席。消息不明になった私の親友が、当時憧れていた女性も出席していた。当時、彼と語り明かした大学の寮・居酒屋の情景、彼の情熱なども想いだした。

当時、慣れ親しんだ、ミザルーと云う静かな踊りの曲に、今更ながら、人生の深い味わいを感じた。

夕方、白楽駅に帰って来たところ、祭りの打ち上げで酔っ払った町内会の青年団と遭遇、居酒屋に連れて行かれて、また宴会。私は、通行人Aとして宴会に参加、お得意のギャグを見舞ってやった。

締めは、独り行きつけのジャズ喫茶で、一日を振り返りながら、一日の新鮮な展開に、内心、幼児のように目を丸くした。哲学と、情熱と、ユーモアの混ぜご飯のような一日だった。

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November 09, 2008

無常を見る目

万物は変化している。その無常を見ている目がある。

動かないものの視点があるから、動くものが動いて見える。その動かないものが己自身の中にある。

それは生まれたり滅したりするものでは無い。それが魂、虚空世界のようなものと云う。

魂を見ている者にとっては、身体や心は、もはや気にならない存在。

昨日の住職の言葉。

隻手の音(片手の音)を聴くが如し。闇夜のカラスを見るが如し。

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November 08, 2008

金持ち地獄、有名地獄

音楽家、小室哲也さんの破綻ニュースは、まさに「金持ち地獄」と思った。一旦成功して、出来た、人生に対する傲慢なイメージと浪費癖。

有名人になったが故の見栄、事業への勘違い的な未熟さ・甘さの並存、それらがジワリジワリ、人生を蝕んで行く。金もちになったが故の地獄。

金持ちであることが、有名であることが、どれだけの人生の重荷になるか、気づいていない人も多い。

それと対称的に、質素な魅力は、輝きを増す。「無一物、無尽蔵」を思う。

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November 07, 2008

政治家の宿命、哀しみ

私は、新しい政治家の台頭を見る時、いつも政治家の宿命、政治家の哀しみを想う。

新鮮に総理や、大統領になった時は、人気が沸騰することもあるが、任期も進んで来ると、欠点や失策がマスコミに叩かれ、ヨレヨレになって、みすぼらしく、政界から去って行く場合が多い。

このことが判っていても、政治を志す人達がいることは、有難いことだとも思う。政治は、政策は選択であるが故に、実行と同時に批判は付きまとう。

新しい米国大統領の新鮮さ、黒人社会へ与えた希望など、感動的な出来事だと思う。それと同時に、彼の政治が進んで行く中で、彼が、世論の批判を浴びた時のハンデは、今までの大統領より厳しい中傷を受けるのではないかと思う。

それでも、尚、彼は内なる政治家としての衝動に駆られて大統領になったのだろう。彼の歴史的役割を思う。

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November 06, 2008

経済の話題のつまらなさ

毎日、洪水のように流れて来る経済ニュース。サラリーマンの口からも、大勢の色々な人からも経済に関する話が圧倒的に多い。政治も経済の話題一色。

経済の話を聴いていると、何か表面的な、評論家的な印象を感じてしまう。人生としては、余り訴えて来るものを感じない。経済が、そんなに大したことかとも思ってしまう。

経済成長や、景気のことばかりを話題にする人は、寧ろ、余り深く人生を考えていないのではないかとさえ思ってしまう。

経済のことが気にならないくらい、他のことに夢中になりたいと思う。

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November 05, 2008

208年、赤壁の戦い、そして人生を詠う

先日、映画「レッドクリフ」を見た。日本がまだ詳しい史実が残っていない大昔の時代、208年と云う年代に、中国で繰り広げられた三国志のクライマックスの戦い。何故か、映画を見ていると、そんな大昔ではないように感じた。巨大な敵に挑む戦いをまじかに見て、何故か気持ちが高揚するのを覚えた。

映画の最後に流れて来た歌の台詞が、また感動的だった。

「百の酒杯よりも、月の光に酔う」、何と云う人生の美を詠った言葉だろう。私も、人生に恋し、月の光に酔いたい。

「苦しみは、私の勲章」、これまで訪れた苦しみは、私の人生の勲章。私が戦って来た証の勲章、人生の誇り。

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November 04, 2008

岡本太郎、茂木健一郎、芸術的人生の魅力

今回の連休、強く印象に残った出合いがある。それは、故・岡本太郎著作の「強く生きる言葉」と、茂木健一郎氏の講演会だった(丸ノ内丸善書店)。

神田古本祭りで見付けた岡本太郎の本の中に、彼の言葉があった。「僕は幸せ反対論者なんだ。つまり、簡単に云ってしまえば、人間が、幸せと思っている時は、一番死が遠ざかった時なんだ。これは生きがいを失った時になる。そんな幸せ、僕は欲しくないね」。彼の絶えまない情熱が伝わって来る。

脳科学者・茂木健一郎氏は、TVマスコミで見る印象とは全然違って、彼は芸術家だと思った。知的探求を彼は、一種の偏愛、果てしない憧れのようなものですと表現した。世間一般の価値とは隔絶した世界を彼は持ち、人生そのものに恋しているよう、なみずみずしさがあった。

連休中の、素晴らしい出会いだった。久しぶりの会社が、もう何年も経ったように感じる。

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November 03, 2008

神田古本祭り&神奈川大学文化祭

昨日午前中、初めて神田の古本祭りに行ってみた。通りはお祭りの飾りつけで、沢山の古本の、長い屋台の様な陳列を夢中で見て回った。豚汁やヤキソバ、ワインなどの屋台も並び、通りのステージではジャズのライブもあった。私の大好きな本の海の中での祭り、夢が拡がる様な幸せを感じた。両手には重たくなった本の紙バックを提げ、地下鉄で白楽へ帰った。

午後は、神田で買った本を白楽駅のコインロッカーへ入れ、毎年見に行ってる神大フェスタを見学。中庭ステージでの神大スター決定戦は、最高だった。若者の文化、力強さ、まさに命の輝きって感じだった。演奏、ダンス、前衛的な劇、大道芸、どれをとっても、彼等の将来を応援したくなる様な気持ちになった。生きるのに、ピチピチと、もがきながら精一杯生きてる様な、そんな生命の息吹を感じた。

自分が大学時代だった頃に感じた、文化祭の頃に吹く秋の風を、また確かに、頬に感じた。

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November 02, 2008

人生のスナップ写真

子供時代の光景。トカゲは人間に出合った時、自ら尻尾を切って逃げる。出会った子供も怖がって、自分も逃げる。

ビックリ仰天、お互いに怖がって、一目散。

それを、母は、微笑んで見ていた。宇宙意思は、微笑んで見ていた。

生きていることの一つのシーン。

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November 01, 2008

喜びは夏、哀しみは冬、ただ淡々と、

例えば、喜びは夏、哀しみは冬と考えてみる。

四季は、折々と、素晴らしい光景を見せてくれる。

喜びに向かう春、祭りに向かう春。新芽が、新緑が眩しい。

哀しみに向かう秋、夏の祭りが終わった後の秋。秋は紅葉が眩しい。

ただ、淡々と、人生の出来事を、四季の美を味わうように、眺めれば好い。

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